R・ディーキン/イギリスを泳ぎまくる

昨年末、買い物を終えて出ようとした書店で、通り過ぎざまに背表紙が目に入ったのがこの本。そのときは、イギリスを、歩く、食べる、話す〜等々のよくあるイギリスを紹介したガイド本かと思ったのだ。
でも、「泳ぎまくる」って…? イギリス好きには何とも気になるタイトルではないか。放っておくことができず、結局アマゾンに注文した。


【ロジャー・ディーキン/イギリスを泳ぎまくる(420P)/亜紀書房・2008年(090328-0404)】
訳:青木玲 監修:野田知佑
WATERLOG by Roger Deakin 1999

泳ぐことの陶酔を書きつけながら、静かに自然保護の重要性を訴えた、特異で、驚異のスイミング・レポート!

       


実は「泳ぎまくる」という邦題が喚起するような、水ある所ならばどこでも泳ぎまくるような破天荒な行動記録でも、自らの体験をもとに環境問題を声高に訴えるというものでもなかった。
著者はフリーの映像作家・ライター。ケンブリッジ大(今年で創立800年(!)だそうだ)の図書館内の地図室に広大な英国地図を広げ、国土を走る青色に塗られた水脈を追う。ルートを探ってそこに向かい、たどり着いた現地で実際に泳ぐことによって、その地の水にまつわる歴史を追体験するという旅を繰り返していく。
運動競技としての水泳・競泳ではなく、日常行為として水浴びしたり川や池や湖で泳ぐこと。湖水地方やカントリーサイドの名水地ばかりではなく、地域の社交・娯楽の場であり、あるいは地域を代表したスイマーたち(飛び込みや遠泳、寒中水泳の達人から日課として毎日欠かさず数十年間泳ぎ続けている老人まで)の活動の場であった水浴場(プールではない)や泉を探し出して、その水に潜る。
泳ぎながらめぐらす様々な思考や夢想とともに、自然と現在の環境への考察も浮かび上がってくる。

 僕らの大半が生活する世界は、看板や標識、公式見解でしだいに埋め尽くされていく。現実が仮想現実に置き換えられる。歩いたり、自転車に乗ったり、泳いだりすることが、破壊活動のように見なされるのは、これらが常識を破り、公式見解を無視し、この国に残る野性を復活させようとするからだ。泳ぐ旅に出ることで、僕は、いまだ深い神秘を湛えている闇や霧、森や高地の一端に触れられる。それは陸地に囚われたままの人間を、新たな視点から見つめ直すことにつながるだろう。


イギリスは水の国でもあるのだ。ローマ人の襲来に備えた掘が今でもいたる所に残り、国中を流れる大小の川が重要な交通手段だった時代から、スポーツではない、純粋な娯楽としての水泳は続けられてきた。二十世紀に入って水道の普及と急速な水質汚染で水が身近なものでなくなってきたことを著者は嘆くが、まだまだ手つかずの豊かな水源が残されていることも実証していく。
それ以上に変わってしまったのは、現代人の生活習慣の方なのかもしれない。歩いたり走ったりするのと同じように、「泳ぐ」という行為は本来人間が具えている機能であるはずなのに(人差し指と親指の間にあるのはヒレだ)、現在では遊泳禁止された場所で泳ごうとする著者のような人物はアウトサイダーだと見なされてしまう。

安全で健康志向の環境庁や港湾管理局の過剰な干渉。都市型の屋内型娯楽の蔓延。冷たい水に全身を晒し、急流に身をまかせることで甦るのは人間の本能とイギリス人として歴史の連続性の中に生きている強い実感だ。


内容的にはおおむね上記のような感じなのだが、いかんせん著者が向かう場所も、紹介される様々な歴史的なトピックもとにかくディープ・ブリテンすぎて日本人には分かりづらいものが多く、なかなかページが進まない(もちろん、こちらの浅学も大いにあるのだが)。
ただ、英国的なるものが間違いなくこの本にはあって、放棄できない。何日かかってもいいから最後まで読むと決めて、もう一冊を併読しながら毎日少しずつ読む持久戦に。著者が訪れて泳いだ地域の地図をネットで調べたり、十年以上前の『地球の歩き方-イギリス-』を引っぱり出してきて地名を探したりしながら読んでいったのだった。

イングランドにはまだ、十分に調べられていない魔法の土地がある。このプールも僕を魔法にかけた。水の精たちに取り囲まれて、このまま夜を明かしてもいいと思った。しかし人間の男は、水の精にだけはキスしてはならない。イングランド民謡『ジョージ・コリンズ』には、それは確実に死を招き、その男がキスした女も同じ運命をたどると歌われている。古い異教の神々はもうこの国からほとんど逃げ出してしまったかもしれないが、出没する場所がまったくなくなったわけではない。


で、案の定、道草・寄り道が長くなってしまい、これがまた楽しい(笑)
英国政府観光庁公式HPをじっくり見てしまう。
今年のイベントにウィンブルドン全英オープンみたいな世界的権威の大会と一緒に「チーズ・ローリング(チーズ転がし」(転がるチーズを追いかけ丘を駆け降りるイベント)、「世界泥沼スノーケリング選手権大会 」なんてのも載っていて「これ政府の公式ページなんだろ?」的なツッコミ所満載なのだ。たしか「大声を上げながら坂を転げ落ちるコンテスト」なんてのも、かの国にはあるのだ。
今年のグラストンベリーは6/26-28、BBCプロムス・ラストナイトは9/12、とのこと。


昨年のグラストンベリーには大復活(!)したThe VERVEが登場!歓喜の‘BitterSweet Symphony’が鳴り響いた!



近年の五輪水泳の成績だけを見れば、イギリスより日本の方がメダル数は多いと思う。だが、ドーバー海峡横断とか、英海軍が航行不可とするジュラ島の恐ろしい渦巻に挑むとか、日本人の観念を遥かに超えた ―自然を愛し、一体化するための― 水泳が、イギリスにはあるのだ。それは文化的な豊かさでもあるのは間違いない。

イングルトンのバーニーズ・カフェで、その場所は泳げるのかと無邪気に尋ねた僕への返事はこうだった。「どれだけ生きていたいかによるな」

これはイギリスの歴史に連なる名もなきスイマーの系譜に加わろうとすることで、イギリス人としてのアイデンティティを再発見する旅の記録でもあったのだ。そうしてみると、『イギリスを泳ぎまくる』というタイトルも、あながち的外れでもないと思えてくるのだった。