たいした問題じゃないが−イギリス・コラム傑作選−

昨日25日(土)は会社(関連企業も併せて)の全国会議ということで、悪天候の中、上京したのだった。
エスパルスの応援行くので行けない」と言ったら、「そんなのだめ」と即座に却下されて、渋々参加することに。
まあいいさ、往復で半日以上のバスと電車の移動時間を有意義に使ってやろうと、マイルス・デイビス“KIND OF BLUE”を特集した『レコードコレクターズ5月号』を読みながら、この超名盤をiPodでリピートし続けた。降り続く雨に濡れ、ただただ寒い一日だったが、トータル45分位のこのアルバムは完全に頭に入って、今も鳴っている。

で、その合間に読んでいたのが、出たばかりのこの本。


【たいした問題じゃないが−イギリス・コラム傑作選−(218P)/岩波文庫・2009年(090425-0426)】
編訳:行方昭夫(なめかた あきお・サマセット・モーム他の英米文学翻訳に定評のある英文学者)

二十世紀初頭のイギリスに、ガードナー、ルーカス、リンド、ミルン(くまのプーさんの)の四人を代表とするエッセイ文学が一斉に開花した。イギリス流のユーモアと皮肉を最大の特色として、身近な話題や世間を賑わせている事件を取り上げ、人間性の面白さを論じていく。

       



日本で紹介されるコラムニストというと、まずボブ・グリーンやピート・ハミルなどアメリカのジャーナリストが多いのだが(彼らは米四大スポーツなんかも書くし)、多分、現在のイギリスにも無名の名文家はたくさんいるに違いない。音楽やサッカー関連の雑誌を見ていても英国発の記事は個性的でブラック・ユーモアに溢れたものが多くて楽しい(そういう国民性なんだけどさ)。

たとえば、プレミア・リーグ、現ブラックバーン監督のアラダイス氏は「中古車選びの達人」といわれる。サッカー・チームの監督がなんでクルマ選びが上手い?… その心は、一度落ち目になった選手を再生させるのが上手い(安く買って高く売る商才もある)、ということだそうだ(笑)

それから、これはかなり前の、でも今でもイギリスっぽい話として大好きなのだが、「宇宙人に地球代表として紹介したいアーティスト」としてオジー・オズボーンが選ばれた、という話。二位がデビッド・ボウイで三位がカート・コバーン、だったかな? どういう企画記事だったか忘れたけど、はぁ?と思ったのに、すぐに何となくふさわしく思えてきて可笑しくなってきた。

変な切り口で、茶化しつつ讃える、みたいな。ちっとも嬉しくない栄誉を授ける、みたいな。
これは極端な例だし、ゴシップの類だけど。岩波の本書にこんな「サン」とか「デーリー・ミラー」的素材は出てこないけど、やっぱり複眼的というか、視角を変えて物事を見る目というのは、英ジャーナリズムの伝統なんだろうなと感じさせられる。


本書では主に二十世紀前半にイギリスで活躍した四人の名コラムニストのエッセイを、それぞれ七〜九編ずつ紹介している。日本では英語翻訳練習用のテキストや試験問題として使われることが多かったのだそうだ。もしかしたら自分も一回や二回、彼らの英文に触れていたかもしれない。
さりげない日常の習慣や身近な出来事から人生の機微を抽出する職人芸のような文章が並んでいて、どれも素敵に愉しい。まず一寸立ち止まって違う角度に視点を持っていくことによって、ふだんの無意識な営みの中に見すごしがちな小さなストーリーに焦点を当てる。
けして大上段に世相を語るのではなく、声高に風潮に疑問を呈すのでもなく、見落とし、忘れがちなものを思い出させて現代でも全然違和感なく読めるのは、社説や評論では持ち得ない力があるからなのだろう。

ガードナー/「プリーズ」をつけるつけない、ルーカス/二人の金持ち、リンド/時間厳守は悪風だ、ミルン/日記の習慣、がそれぞれ良かった。
欲を言えば(岩波文庫なんだし)もっとたくさん読みたい!と思う。例によって行間が空いたページ構成なのだ。
だけど元来は新聞雑誌に一編ずつ発表されたものなのであり、まとめて読むよりニュース記事の中にこういうコラムが一箇所あることが良いんだろうなとも思う。
新聞や週刊誌に安心して読めるお気に入りのコラムがあるのは、幸せなことだ。それは、ごく個人的な愉しみにすぎないにしても、大人のたしなみの一つなのだと思う。


オー・ヘンリー『最後の一葉』やモームの短編なんかは、きっとこういうコラムから派生してるんだろうな。
最近のスーザン・ボイルの話題も現地の記事で触れたらもっと面白いのだろう。
しばらくはバッグに入れて持ち歩いて所々読み返すことになりそうな一冊。