C.ジョーンズ/絶対帰還。

現在も日本人宇宙飛行士・若田光一さんが滞在している国際宇宙ステーション(ISS)の話題も、ここのところ音沙汰がない。3月のシャトルディスカバリー打ち上げとISSでの活動開始時はあれほど報道があったのに。
といっても、自分も宇宙には大して関心がない。地球上の身の回りのことで日々が飛ぶように過ぎていく。宇宙から見た地球とか、火星の映像とか、茶の間で何気なく当たり前のようにぼんやり見ている。

「面白い」という評判を聞いていた本書も、どうせ大袈裟に脚色されたアメリカ万歳式のサクセス・ストーリーなのだろうと思っていた。
だが、アポロ11号の帰還直後のパイロットたちを書いたプロローグが予想外に面白くて、本編に引きこまれていった…


【クリス・ジョーンズ/絶対帰還。− 宇宙ステーションに取り残された3人、奇跡の救出作戦(464P)/光文社・2008年(090512-0517)】
Too Far From Home:A Story of Life and Death in Space by Chris Jones 2007
訳:河野純治


2002年11月、アメリカ人二名、ロシア人一名の三名からなる第六期長期滞在チーム(エクスペディション6)の宇宙ステーションでの活動が始まった。順調にミッションをこなし、任務終了まで残り数週に迫った2003年2月、ステーションへのクルーと物資の輸送を担っていたスペース・シャトル「コロンビア」が大気圏突入時に分解、失われる事故が起きる(七名のクルー全員が死亡)。ステーションに取り残された三人は生き延び、無事に地球に帰ってこれるのか?

       


コロンビアの事故当時、大々的に流されたライブ映像は自分にも記憶がある。シャトルの打ち上げと帰還がアメリカの国家的ビッグ・イベントらしい盛り上がりを見せている映像を日本で見ていても違和感が強くて、そのニュースを傍観していた。
その影で、まだ宇宙空間に残っている人間がいて、彼らの「足」がなくなってしまったなどということには想像も及ばなかった。

「悪い知らせがある」ハウエルが言った。声の主がハウエルだったので、ペティットとバウアーソックスは最後まで聴かなくても、掛け値なしの悪い知らせだとわかった。「機体が失われた」
 単語にして九語。それだけだった。ほかには何も語られなかった。


本書は米ソの宇宙開発競争から現在の協調路線、選ばれたパイロットのプロフィール、無重力空間での仕事と生活、送り出した家族の心境等を幅広くカバーしながら、前代未聞の事態に直面した人間の精神の葛藤を追う。宇宙科学の最前線を舞台にしながら、シャトルやステーションのハード面やミッションの解説よりも、きわめて泥臭いクルーたちの個性に焦点を当てたノンフィクションであって、特別に宇宙に興味のない人間にも読みやすく構成されていた。


散りばめられたトピックが多彩で楽しい。
古川日出男『ベルカ吠えないのか』にも出てきた宇宙犬ライカはもとより、ソ連(ロシア)とアメリカのやり方の違いを紹介した部分が面白い。曰く、スター・シティ(モスクワの宇宙飛行訓練センター)にネズミが出没すれば、退治するのにネコを導入する。無重力空間ではインクが上がってしまうのでNASAは高額を投じ専用ペンを開発したが、モスクワは鉛筆を持参させた、云々。
(三人のクルーのうち二人のアメリカ人に比べて、ロシア人クルー・ブダーリンへの取材はやや少なかったのかもしれない。ロシア人を「無表情で武骨で実用一点張り」と画一的に描いたところは、少々?だった)

最新鋭の科学技術の粋であるはずの宇宙船内で、我々が日常的に見舞われるのと同じようなトラブルや人的ミスが起こるのには、妙に親近感がわいてきて可笑しい。簡単に開くはずのハッチがなかなか開かないとか、ハンマーでぶっ叩いて支柱を伸ばすとか…。シャトル内部もステーション内も人員の活動スペースはそうとうに狭くて、至る所にケーブルが這い回っていて手足を伸ばせる場所なんてほとんどなく、快適とはほど遠い環境だということも意外だった。

結局、「実用的な」ロシアとの共同作業であったことが、彼らの帰還に光明を見いだすことになる。

 バウアーソックスは語らなかったが、これまでのステーションでの生活で三人の男たちがおのずと学んだことがある。それは、宇宙には人の感情を増幅する何らかの力が存在するということだ。よい感情も悪い感情も等しく増幅される。自分の内面を見つめる時間がたっぷりあるからか、窓の前に来るたびに胸がふさがるような思いがするからか、とてつもない孤独のせいか、理由はよくわからなかった。とにかく、涙が止まるまでにずいぶん時間がかかったのには驚いた。


九十分で地球を一周してしまう(一日に十六回も日の出と日没があり、当然、曜日感覚は狂う)、季節も天気もない軌道上での生活(決められたメニューの食事はまずく、水も自由に使えない)というのは、肉体的にタフなだけでは耐えられない。地球上でのとは別種のストレスがあり、過去にも精神に異常をきたした事例があるという。順応できるか、平静を保てるかどうか、精神のタフさ、というか柔軟さが必要になってくる。
三人のクルーは孤独ではありながらも、一方で自由を感じ、宇宙での生活がもっと延びても良いとさえ思うようになっていく。後半のこの微妙な心境の変化を追った章が、個人的には本書のクライマックスだったと感じている。


いつ地球に戻れるのかわからない閉塞感の中で、三人のうちで一番若く経験の少ないドン・ペティットが壊れてしまったNASA支給品の時計を修理する場面が効いている。

ペティットは、修理した腕時計には一つのメッセージがこめられていると考えた。ずっと地上に伝えたいと思っていたメッセージ、管制室で懸念や不安ばかりをいいたて、ミッションよりもコントロール(管理統制)に重きをおく技術陣に伝えたかったメッセージだ。国際宇宙ステーションで生活する男女搭乗員は観光客でもなければ、船体を安定させる底荷でもない、とペティットは自分なりの穏やかな方法で地上に伝えた。ステーションの搭乗員は整備士であり、魔術師であり、発明家であり、それを証明する機会が必要だった。

自力では帰れない。迎えも来ない。NASAの連絡を待つしかない。そんなときに時計が壊れるという不吉な予兆を、ペティット無重力空間で(極小のパーツも工具も浮かんでしまう!)分解、修理してみせることで払拭する。それは、時計を絶対に止めはしないという彼自身の意志表明であったのと同時に、人類の未来への希望をつなぐ行為でもあったはずだ。
滞在は予定を大幅にオーバーして六ヶ月を過ぎた。


壮大な宇宙と密室劇の対比が鮮やか。米ロの政治的な思惑やNASAの官僚的な姿勢もほどほどに絡めて、科学的見解に走りすぎない客観的な視線が最後まで保たれていて良かった。NASA発表の資料だけに依っていたら、こういう読み物にはならなかったはずだ。
大気圏突入の場面は迫真の描写で、ノンフィクションでありながら極上のエンターテイメント性も具えているのは、やはりアメリカ的だったとは思う。

若田さんの帰還は6月中旬とのこと。無事に帰還するのが当たり前のことではないのが、よくわかった。興味を持って見守ることになりそうだ。