田中千恵/ウィ・ラ・モラ オオカミ犬ウルフィーとの旅路


【田中千恵/ウィ・ラ・モラ オオカミ犬ウルフィーとの旅路(258P)/偕成社・2009年(090608-0613)】



大学で探検部に所属しカナダ北極圏での生活経験もある著者は、2004年の二十代最後の夏をカナダ西岸のレインフォレスト(温帯雨林)で過ごそうと、バックパック一つで単身旅に出る。フローレス島で世話になった先住民の女性が心配して一頭の子犬をお供に添えてくれた。「カナダの森で出会ったオオカミ犬。美しい、小さな森の命に、私は完全に恋に落ちてしまった―」 ウルフィーとの旅が始まった。



         



最近のエコの連呼にはうんざりさせられる。
地球温暖化や環境問題の気運の高まりに、国の政策として出てくるのが家電の「エコ・ポイント制度」とか大排気量の無用にデカい車でも「エコ・カー減税」とか(失笑) まるでエコのたたき売りだ。
こんなエコ・キャンペーンの中では、自然の大切さや命の尊さでさえも手垢にまみれた消費対象になっていく気がする。ホッキョクグマの生息地が減っていることを紹介した番組の後で、バラエティ番組を見て馬鹿笑いするというのが普通のこととして定着していやしないか?受け身のエコ感覚は、もはや食傷気味で、もしかしたら鈍感になる一方にさえ思える。
もう少し自覚的にスイッチを変えるべきじゃないかと、この頃思う。

彼らの部族を含む沿岸部の先住民にとって、オオカミはスピリチュアルで特別な存在なのだという。彼らがクリエイターと呼ぶ創造主の、メッセンジャーの役割をしているのがオオカミなのだ。


そんな世間の流れとは遠い、まさに文字通りの極北にあるのが、この本。著者が出会う先住民たちの暮らしぶりと現代人の生活のギャップを指摘していけば、いくらでも環境問題の方向で書けると思うのだが、エコのエの字も出てこない。
カナダ西岸のバンクーバー島をはじめ点在する小さな島々を旅しながら、先住民の人々との触れあいによって目ざめていく著者の感覚。旅が進むにつれ強まっていく、自分は導かれてここにいるのだという実感。
超自然のスピリチュアルな世界を丁寧に伝え書いて、著者自らが裸の一個の人間という動物であることを飾らず等身大に描いた文章が清々しく、心震わせられた。



二月にNHK-BSで放映された秀逸なドキュメンタリー『人間と友だちになりたかったシャチ』ルナのことが第二章で書かれていて驚いた(迫力のある写真も載っている)。日本人でルナを見た人がいたなんて!まさに彼女が乗ったフェリーに寄り添うようにルナが現れ、TVに映されたのと同じように、目の前で宙を舞い、逆さ泳ぎをしては甘えて見せ、乗客の目を楽しませたのだという。
番組を見ていたとき、野生動物に関わるべきでない、人間に危害を及ぼすかもしれないという水産庁だか環境省の役人の現実的な言葉と、部族のリーダーの生まれ変わりとして敬い迎えようとするアボリジニの態度の間で、自分にはどうするべきか判断がつかなかった。
しかし、著者はルナの美しさに魅了され、人間とシャチとの精神的なつながりを瞬時に感じ取っていたのだった。

オオカミも熊も鮭の一部しか食べない。残りの部分は森の小動物、鳥たち、昆虫たちが食べ、微生物が分解し、鮭は森の養分となって還っていく。豊かな森が川を育んでまた鮭を呼び、また海をも豊かに保つ。
罠にかかって死んだ熊を、先住民は解体して森のあちこちに撒いてくる。著者も切断された熊の頭を両手で抱えて森の奧へと歩く。そうした自然の生命の循環の中に、人間もシャチも同じように存在するはずと書いていて感動的だ。

 ワグリシャの先住民の人々の間に伝わる、世界創造時の神話にこんな一節がある。
 かつて、大地にはオオカミが、海にはシャチが、それぞれの領域を司るハンターとしての役割を担っていた。オオカミの父と人間の母の間に、何人かの子どもたちが生まれ、ひとりの子だけがオオカミとして残った。そのオオカミは人間を守る存在となり、時には師となり、食べ物を供給して人間を育ててくれた。


都会型の暮らしをしていると、無意識のうちに消去法と否定的な判断が癖になってしまう。
『遠くの声に耳を澄ませて』と併読したからかもしれないが、すべてが必然であるという肯定的な考え方に打たれた。
なぜ旅をしているのか、自分は何処に向かっているのか。旅の目的を自問しては確かな答を探して揺れるのは『遠くの声に〜』の登場人物たちと似ていた。
そんな彼女の連れ添いが、犬にしては自由、オオカミにしては気高さに欠けたところのある、愛すべきウルフィー。彼はやはり彼女のもとへ遣わされた使者だったのかもしれない。子犬だったウルフィーの成長につれ、著者も殻を一枚ずつ脱ぎ捨てていくかのよう。始めは自分がウルフィーを保護している気だった著者が、実はウルフィーに守られ導かれていたのだと気づくところも良かった!

数ヶ月の旅を記録したこの本には、先住民との暖かい交流がメインに書かれていて、旅のつらさや嫌な思いは一切記されていない。ただただ自分の魂のありかを素直に見つめた透徹した文章が綴られている。こういうのを「クール」というんじゃないだろうか。この個人的なクールさこそが、(断じて間抜けな政策制度なんかじゃなく)唯一温暖化に有効な人間的態度なのだとすら思えた。もちろんこの本にそんな政治的なメッセージは一言も語られていないけれども。
本の紙質も良い。装丁も良い。活字やブック・デザインも良い。この本全部が森の恵みなのだ。著者がカナダの森で授かったものが表紙カバーからずっと文面に流れている。
こんな素敵な本にめぐり会えた幸運に感謝したい。ありがとう!!



一つだけ… オオカミ犬は遠吠えをしないのだろうか?そのうち来るだろう、来るはずだと秘かに期待していたのだが、結局それはなかった。まぁシンリンオオカミたちの遠吠えにウルフィーが応えたりしたら『神なるオオカミ』みたいになっちゃうからな… これで良かったのだ。
オオカミ、鯨、ハクトウワシ、熊にシャチ、とくれば、あの世界だ。なんだか導かれているようだ。『復讐の誓い』もう買ってあるのだけれど、そろそろ読むか。読んでもここには書かないけど。そんな畏れ多いこと出来っこない。