梨木香歩/沼地のある森を抜けて

糠床から幽霊のように人が現れる話だと聞いて敬遠していたのだが、『遠くの声に耳を澄ませて』の例の[土鍋で飯を炊く女]が糠床も大事に持っていたので、読んでみる気になった。(←どんな理由だよ!?)


梨木香歩/沼地のある森を抜けて(406P)/新潮社・2005年(090629-0705)】


内容(「BOOK」データベースより)
始まりは「ぬかどこ」だった。先祖伝来のぬか床が、呻くのだ。変容し、増殖する命の連鎖。連綿と息づく想い。呪縛を解いて生き抜く力を探る書下ろし長篇。


       


化学メーカーの研究職の主人公・久美が背負いこんでしまった家宝の糠床。捨てるに捨てられず毎日手をかけるうちに壺の中にいつしか卵が現れ、とうとう人が出てくる。糠床に翻弄される生活が始まり、その由来を探るうちに彼女の家系の特殊さが判ってくる。

発端は和風ホラーっぽい奇天烈な着想だし、パートナーの酵母研究者・風野さんの個性も強くて、一歩間違えばB級作品になりそうなのに、生命の誕生という壮大なテーマを端正な一人称で書いて、非現実的な設定も読んでいて不可解でなくなってくるのが不思議。ありえないと思わせられた久美と風野さんの結びつきに菌の生殖と進化が美しく重なる着地が見事に決まって、(これはもしかしてウルトラCの離れ技!?かと)読み終えて思わず拍手したくなったのだった。

ふと上に目を遣ると、木々の枝の重なりから、まるで秘密の信号を送ろうとするように、何億年も前の星の光が瞬く。体と意識はその一体感に陶然としているのに、どこか一点、私の中に取り込まれていた何かが硬くその「孤」を譲らない。宇宙の全てを相手にしてなぜ、その一部と成り切ってしまえないのだろう。執拗につきまとう、この寂しさは何なのだろう。


このラストに辿り着くまでに、いろいろと現実的な紆余曲折があって、物語の展開は全く読めない。糠床から発生した生命体は前半でいなくなり、後半は叔母や祖母の日記をもとに家系を辿る物語にもなっていく。久美と同じように厄介なお荷物として抱え込みながら、子育てをしつつ何代かに渡って糠床の世話も欠かすことなく続けてきた女たち。特殊な家庭事情ではあるけれど、それでもきっとどの家族にもあるはずの代々受け継がれてきたものに自分が当事者として関わっていくことの意味。理系男女の微生物談義のまにまに久美の家族の壮絶な命のリレーを垣間見せられた。

泣いていたのではない。涙は出なかった。ただ、何ともいえない家庭というものへの懐かしさ。ぬか床という奇妙で決定的な病巣のようなものを抱えながらも、家庭という器はこのように、何とか機能していくのだ。まるで大きなウロの出来た木が、かろうじて水を吸い上げ細々と若葉を芽吹かせてゆくように。


… というのは読後に思ったことで。ここのところ仕事が忙しくてあまり集中して読めなかったせいもあるけど、読んでいる際中は、そんな深い話だと考えもせず、それぞれのエピソードを楽しんで読んでいただけだった。
特に終盤、「島」に渡って森に入ってからラストまでは、梅雨どきの静かな夜に読むのにピッタリだった。

最後、沼に満潮で海水が流入する幻想的な場面、「フリオ」と「光彦」、「カッサンドラ」(『愛がないから、漬け物だってうまくいかないんだよ』笑)も再登場するのかと思ったけど、現れなかったのは残念。まぁ雰囲気こわれちゃうよな。風野のアパートの「優佳」さんも良いキャラだった。あと、島から帰った久美と風野がどうなったのか、知りたいよね?
もっとも、それを足していたら500Pオーバーになってしまうだろうけど。


今日は七夕なのだった。帰宅前に夕飯を買いに寄ったスーパーに客が書いた短冊を結んだ竹が飾られていた。「○○○になりたいです」と書く子供。「〜でありますように」と書く大人。「ケーキやさんになれますように」と書かれた短冊を見て、友人の子供の話を思い出した。
二、三年前に幼稚園の七夕会用にその子が書いた願いごとは…「☆おにぎり屋さんになりたいです☆」 うん、毎日おにぎり食べれたらいいよね! 父親(友人)はサッカーをやらせると言っていたんだが。でも、それでいいんだ。子供にはかなわない。