カズオ・イシグロ/夜想曲集

自分はテニスをやるわけでも好きなわけでもないのに、深夜のウィンブルドン中継は学生時代から何となく見る習慣になっている。毎年6月の恒例行事みたいなもの。
もう十数年も前だと思う、「あ、また雨なんだ」テレビをつけたらカバーをかけられたセンターコートが映っていた。また試合が中断して雨が止むのを待っているのだ。生中継なので試合再開までひたすら無人のコートが映され、ときどきカメラが切り替わって、雨の中じっと座っている観客や動かないスコアボードが映る。
チャンネルはそのまま、コーヒーか何か飲みながら本を読んでいた。べつに試合が見たいわけじゃない。チャンネルを変える気持ちにもならない。日本にいながらロンドンは今、雨なのだと、リアルタイムで感じられるのが嬉しいのだ。ときどき画面に目をやると、さっきと同じ映像のまま、ほとんど音声もない。そのままテニスを忘れ読書に没頭して数十分も過ぎた頃、テレビから歌声が聞こえてきた。
客席にいたクリフ・リチャードが一人立ち上がってアカペラで歌っていた。観客の手拍子だけで即席のコンサートが始まっていた。誰でも口ずさめる耳なじみの良い万人受けするポップス。エルビスの時代、ビートルズ以前の、イギリスの国民的歌手。ロックの人間からすると嘲笑の対象でしかなかった彼が、テニスを見に来て雨に打たれている客を歌で盛り上げている光景は、とても素敵だった。彼は良い声だったし、もちろん歌が上手かった。途中からは待機していた女子選手たちが彼の後ろに並んで踊りだしたりして(たしかナブラチロワもいたと思う)、沈鬱だった会場がみちがえるほど明るい雰囲気に包まれていったのだった。
あぁ、イギリスだなぁ…とつくづく思ったものだ。こういうことが起こるのだ。もしかしたら二十年とか三十年後にはリアム・ギャラガーがあんなことするのかもしれない、などと愉快な空想をしたことまで覚えている。

時はたって、今年のウィンブルドンには、開閉式の屋根が付けられてしまった。テニス・ファンでもないのに、余計なことを…とは言うまい。どうせ屋根がついたらついたで色々あるのだろうし。何しろあの国は魔法の国でもあるんだから。


英国人作家、カズオ・イシグロの音楽にまつわる短篇集ということで期待していたのだが、こちらの期待と違って英国度も音楽マニア度も低かった。でも、上記のエピソードとはまた別種のマジックがあって、楽しく読めたのだった。



カズオ・イシグロ/夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語(246P)/早川書房・2009年(090712-0714)】

‘NOCTURNES’Five Stories of Music and Nightfall by Kazuo Ishiguro 2009
訳:土屋政雄


内容(「BOOK」データベースより)
書き下ろしの連作五篇を収録。人生の黄昏を、愛の終わりを、若き日の野心を、才能の神秘を、叶えられなかった夢を描く、著者初の短篇集。


          



読んでいるときよりも読み終えて本を閉じてから、ふと思い出して、物語の光景が目に浮かんできたりする、不思議な余韻を与えてくれる五篇。全篇似た雰囲気を醸しながらも、それぞれの最後の場面がくっきりと思い浮かぶ、映像的な作品群だったと思う。

  • 老歌手 … 東欧出身のギタリストの男が、自分の演奏するベネチアのカフェで、母親が大好きだった往年のスター歌手と出会う。その歌手の個人的な依頼で彼の妻のために演奏することになるのだが… クリフ・リチャードよりもっと古くて貫禄のある、スタンダードを歌うシナトラとかビング・クロスビーのようなエンターテイナーがモデルなんだろう。
  • 降っても晴れても … うだつの上がらない語学教師が学生時代からの旧友夫妻の不仲を取り持とうと奮闘する。
  • モールバンヒルズ … シンガーソングライターを目指す青年が姉夫婦のカフェに滞在中に旅行中のスイス人夫婦と知り合う。
  • 夜想曲 … 才能は申し分ないがルックスのせいで仕事がないと思い込んだサックス奏者が意を決してハリウッドのその道の権威のもとで整形手術をする。入院した隣の部屋には、やはり整形手術をしたセレブがいて、騒動というか冒険に巻き込まれる。
  • チェリスト … チェロで身を立てようとする青年が知り合った年上の女性に個人指導を受ける。辛辣だが的確な指摘によって彼の演奏は上達していくが、ある日彼女は自分の正体を明かし、彼から去って行く。


やたらと楽観的な夫と、批判的にならざるをえない妻。愛し合っていながらも反目してしまう夫婦。それぞれのための別離を選ぶ夫婦。あるいは、理想主義的な音楽家と、生活のためには仕事を選ばなくなっていく現実主義の演奏家。野心に燃える若者と夢見る頃を過ぎた者。夢が欲に変わってしまう者。
相反する者たちの好対照が印象的で、ときに現実の風のひんやりとした感触を味わわせられながらも、さて、どちらの選択肢が幸せかと問われれば、どちらとも判断がつきかねる。ちょっとした波風が思わぬ波紋を広げはするけれど、その結末は明らかにされることなく放置されてしまう。たった今まで当事者だったはずなのに取り残された者の目線が読者の目線でもあって、小説は終わっているのに事の顛末が気になってしまう物語たち。


特に印象的だったのは『夜想曲』。売れっ子作家になると、こういう話を書きたくなるものなのかねぇと、アメリカのショービズの裏話的な進行に懐疑的な読み方をしていたら、話は予想外の展開に…。ふだんなら100%無視するハリウッドのゴシップの類なのに、十代からスターと結婚するのを夢に走ってきた中年女の人生を、そういうのもアリかと許せてしまうのだった。(「メグ・ライアンのチェス・セット」には笑った)
最も好き、というか心に残った人物は、最終話のエロイーズ。


思っていたほどには英国調でも音楽通ぶったところもない小説集だったのは、やはり趣味丸出しで書けない大作家の立場のようなものも垣間見えた気がするのは残念。
それでも、大事件などなしに軽妙な会話と音楽を素材にした心理描写で充分な読み応えを与えてくれるのもプロの仕事という気がする。

日の名残り』と『わたしを離さないで』はこの夏の間に読もうと考えている。