佐藤亜紀/激しく、速やかな死

佐藤亜紀/激しく、速やかな死(199P)/文藝春秋・2009年(090716-0719)】


内容(「BOOK」データベースより)
危険を孕まぬ人生は、生きるに値しない。サド侯爵、タレイランメッテルニヒ夫人、ボードレールetc.―歴史の波涛に消えた思考の煌きを華麗な筆で描き出した傑作短編集。


          


1998年以降に文芸誌に発表された短篇五作と二篇の書き下ろしが収められた作品集。
『バルタザールの遍歴』が1991年だったのだから、佐藤さんのキャリアももう二十年近いのには驚く。最近になって彼女の作品を読むようになった者からすると、つくづく、早くから自己のスタイルを確立していた稀有な作家なのだと思わざるをえない。『ミノタウロス』から遡って読んだとしても、若さとか熟成とかの他の作家が見せる変容ぶりは一切感じさせないだろう。デビュー時の作品も新作も並べて違和感なく読める作家など、まずいない。(佐藤哲也氏もそういう作家といえるかもしれない)


それだけ自分に課す完成度の水準が高いということだろう。佐藤さんの頭の中には、自分の書く小説をヨーロッパの名画に近づけるとでもいう意識があるのだろうか。そこにある基準は、賞を取るとか売れるとかいうシステムの中で書くしかない他の日本人作家とは、はなから違うものなのだ。


だから、佐藤亜紀の本を読むときには、自分のモードも変えなければいけない。それが分かっていたから、今回は本書を開くのが楽しみだった。
ドイツ・オーストリアではなく、18〜19世紀のフランス、アメリカへと舞台は飛ぶ。時代背景の説明はないので西洋史に暗い自分には、さて、これはいつのどんな状況の話なのかを頭の片隅で考えながら文字を追っていくことになるのはいつものこと。
意外に愉快に読めてしまった『弁明』が冒頭に置かれたのは幸いだった。このサドの色事師的イメージ、好きだ!(『何たる馬鹿馬鹿しさだ。一発抜かずにはいられないほどだ』… )

以後は文豪の翻訳物を読んでいるような気分にさせてくれる‘佐藤亜紀節’というか、華麗な(少しお下劣なところがあるのはフランスが舞台だから?)超人的文体は健在で、細かい情景はわからなくても、その文章を熟読すれば良かった。


ただ、ともに書き下ろしの『激しく、速やかな死』と十数ページの掌篇『漂着物』の二篇は、これまでの佐藤作品とは違う匂いがあると思う。頽廃の結末としての死ではない、死期を覚悟した者たちの痛みが濃密に描かれている。
特に本書の最後に配された『漂着物』の堕ちた娼婦と白鳥の対比による詩的イメージは強烈で、荒れたモノクロの残像がいつまでも残った。と同時に、歴史の流れの中で死にいくもの、消えいくものへの視線を彼女の作品に見出せたことが、妙に嬉しかった。

学者や研究者によってではなく、一人の作家が歴史と芸術の一断面を追体験したかのように描き出す。それは持続的なもの凄いエネルギーを費やして果たされる空想だ。そしてそれを名文で読ませてくれるのが佐藤亜紀さんだ。