寮美千子/夢見る水の王国(上)(下)

「英国伝統ミステリのコクとユーモアがたっぷり!」という帯の文句に惹かれて、ある新刊本を読んでいたのだが、どうも面白くない。雷雨で停電して外部と連絡がとれない、外にも出られないということから密室殺人の状況になるのだが、死体が見つかったというのに発見者たちがやけにのんびりしていて苛々してくる。設定の不自然さに『アイスクリン強し』みたいなハズレ感を覚え始め、あげくに小ネタに絶滅したニホンオオカミの話まで持ち出されたところでいたたまれなくなった。
あっちにしとけば良かった… その本をほっぽり投げて車をぶっ飛ばし、23時までやっている書店の閉店間際に駆け込んで買ってきたのがこの本。


寮美千子/夢見る水の王国(上・430P)(下・430P)/角川書店・2009年(090727-0731)】


内容(「BOOK」データベースより)
少女マミコは、渚に漂着した木馬と壊れた角を見つける。気がつくと彼女は、時の止まった海岸にいた。マミコの真っ黒な影が立ち上がって分身となり、悪魔の子マコを名乗る。角を抱き「世界の果てに名前と角を捨てに行く」と言い、水平線の彼方へかき消えてしまうマコ。だが、角をとられた木馬が、白毛の馬となって現れる。少女と白馬は、マコを追って時の止まった海へと駈けだして―。美しく幻想的な世界を旅する二人の少女。泉鏡花文学賞作家が描く、壮大なファンタジーの幕開け。


      


この物語は旅する少女に関わる人々の性善説に支えられて成立している。つつましい暮らしをしながら、莫大な懸賞がかけられた「魔の童子」だと知っても少女を売り渡しはしない人々。フィクションにありがちな密告や裏切りが、この作品にはない。人間不信の闇をサバイブするのが現代的で冒険的なのだと思わせるチープなエンタメ要素に寄りかからなかったのが、ファンタジーの純度を高めているのだと思う。
月や夢の描写ばかりが詩的で美しいのではない。雲母を掘る老鉱夫、砂漠の舟人の少年は自分が掟を破ったために世界は滅びるのではないかと不安になる。酒場の女主人・極楽鳥は金貨の誘惑に心を乱されても少女をかくまう。かつて月光だけでも夜が充分に明るかった時代、人々は正直に生きることが当たり前だった。欲に目をくらますことなく身の丈にあった仕事を精一杯やって生きていく。そんな姿が懐かしく感じられ、人のあるべき姿だと信じられるのは、彼らの生きた時代が自分の記憶のどこかに眠っているからだろうか。

 すぐれた芸術家というのは、きっと、途方もない時だけができること、つまり、夢をより美しく気高いものに変えるということを、たった独りで、その人が生きているわずかな時間のなかで、成し遂げてしまう人のことなのだ。


ミコとマコに分離してしまった魂。一方は優しくお人好しで、もう一方は意地悪で乱暴なところもある。身勝手な母親への子供ながらの(決して口に出せない)反発を「悪魔の子」でもあり「真実の子」でもあるマコが表しているのが徐々にわかってくると、相棒である片目の黒豹・ヌバタマに寄り添って地下の迷宮をさまよう彼女に肩入れしたくなっていった。
ミコに先立って「世界の果て」へ旅立った彼女にはストリート・チルドレンのような粗暴なたくましさもあるのだが、それは孤独の裏返しだった。孤独を断ち切るために自分の名前を捨ててしまおうとするマコと、記憶や夢を大切にしたいと願うミコ。二人が対立するのではなく、相手に攻撃的になるのでもなく、裏表として互いに疾走する構図が鮮やかだった。


後半はやや息切れ感を感じた。自身を透明にしてしまう飛び道具にミコが頼ってしまい、それまでマコと対象だったはずなのに盗みを働いてしまうくだりなんかは軽率に感じた。宿屋の主人が彼女を捕らえようと翻意する部分も。ヌバタマに対してヨミ(夢読み)の存在も薄くなっていく。
並行して語られていて何らかの決着がつくものと思っていた老鉱夫と月の神殿の大長老の関係も、二人の少女の話にもう少しダブらせて欲しかった。
特に老鉱夫は作中の重要なキーでもあり魅力的な存在で、世界をより美しく更新するために雲母を掘り続けるこの男の話だけで(あるいは「月の象嵌が施された煙草入れ」だけでも)珠玉の一篇になるかと思えただけに残念。(彼が自分の仕事を語った上巻の‘夢の鉱床’は最も美しくこの作品の世界観を表している。)

 ほんとうはきっと、すべてがはじめてなのだ。時も季節も、巡っているわけではない。誰も、同じ場所に戻ることなどできない。
 生まれたばかりの赤ん坊にとっても、百歳の老人にとっても、世界はいつも、いまはじめて出会う世界。いつだって新しい世界なのに、人はいつのまにか、それを忘れてしまう。


とはいえ、壮大な物語ではあるけど、無数のお伽話と少女の夢、月をモチーフにした小物の数々のイメージが重なって想像力をかき立てられていく、そんな作品だった。
誰かを想いながら生きていくこと。近くにいなくても自分の中に彼らは生きていて、また彼らの中に自分も存在しているのだと信じること。「世界の果てはどこ?」と少女に尋ねられた市井の人々が答えた「世界の果ては、世界の中心」という言葉は、あながち的外れでもないのではないかと読み終えて思わされたのだった。
どんな境遇であっても世界の一部であり、また、すべてが自分の中に失われずにあるのだという肯定は、ミコとマコを月の神殿に渡さなかった人々の存在を自分のあるべき姿と信じることができる人間の中に、きっと確かにあるはずだ。
自分の中にもまだ知らないでいるアナザー・ストーリーがあるかもしれない、もう一つの世界を生きているのかもしれない、とふと考えて、さっさと寝てしまって月明かりの下で夢を見ようとも思うのだが、もう無いんだろうな…(泣) ぎゅうぎゅうに絞っても一滴も零れないほど涸れつくしてるのはわかりきってるけど、そんなハートを一時的にでも潤してくれるのがファンタジーの効能!


もう8月。もうすぐ『獣の奏者』の続篇が出る!!