フィリップ・プティ / マン・オン・ワイヤー


八月は何かテーマを決めて読書をしようと考えていた。夏休みといえば、読書感想文。小・中学生時代の読書感想文は苦痛でしかなかったのに(『クワガタクワジ物語』は二年連続で提出、『オジロワシを追って』も小6・中1で書いた)、今では進んで読んで書こうというのだからおかしなものだ。ま、大人は宿題ないしね。

考えていたのは…
・古典新訳文庫で大作に挑戦(罪と罰カラマーゾフアンナ・カレーニナetc)
カズオ・イシグロまとめ読み
H.G.ウェルズ&J.ベルヌ集中読書
・ハック・フィンとトム・ソーヤー再読で少年の夏を取り戻す〜BGMはマーシーの“夏のぬけがら”で♪

特にウェルズ、ベルヌは同時代でタイムマシン、透明人間、宇宙戦争地底旅行海底二万海里八十日間世界一周十五少年漂流記等々、古典的名作が目白押しで、どれも映画や子供向けの本で見て知ってるけど原作をまともに読んだことはなく、しかもどれがどちらの作品かごっちゃになっていて、いつか機会をつくって集中的に読んでみたいと思っていたのだ。


だけど書店に行くと、他の本も目に入る。おぉ、こんなのがあるんだ…と手に取った瞬間、これ買わなきゃと思った。読み物としてどうなのか分からないけれど、今買わないと今後もう買えないかもしれない、という本がある。これはまさにそういう本。
どうせ『獣の奏者』が間に入るんだし、下手にテーマなんか決めちゃうと挫折する危険もあるし。罪と罰なんか手を出したら一ヶ月かかったということも考えられなくもない。ということでこれまでどおり、行き当たりばったりの一貫性のない読書を続けていこう!と妙な納得をしてこの本を買ってきたのだった。



フィリップ・プティ / マン・オン・ワイヤー(318P) / 白揚社・2009年(090804-0809 】


"TO REACH THE CLOUDS" by Philippe Petit 2002
訳:畔柳和代



・内容
 「1974年のある朝、一人の若者がニューヨークに贈り物をした。それは、驚くほどの不滅の美だった」(ポール・オースター
若者が夢見たのは、雲の上の世界、ワールド・トレード・センターでの人生を賭けた綱渡りだった。世界中をあっと言わせた〈史上もっとも美しい犯罪〉の真実。本年度アカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー作品賞受賞作の原作。


前から観たかった映画がやっと静岡のシネギャラリー(単館系映画館)にやって来た。
本当は今日、映画を観に行って一緒に感想をまとめるつもりだったんだけど、台風の影響で映画は明日に延期。一足先に原作を読み終えたので、こちらをまず。
これがとても良かったのだ!

          
          


9.11によって今はなきNYのツイン・タワー間の「空を歩いた男」、地上400mでの綱渡りで「雲をくすぐったフランス人」の物語であり犯罪芸術ドキュメント。1974年8月の決行までの詳細が明かされる。
18才の冬、歯医者で診察を待つパリの若者がたまたま手にした新聞に、ニューヨークで工事が始まった途方もなく高いビルの完成予想図が載っていた。ワールド・トレード・センターWTC)の名前がインプットされ、青年はあるひらめきに憑かれてその記事を破って持ち帰り、ファイルした。それから「突撃」までに6年以上が準備に費やされた。


綱渡りをするのだから、当然渡るべき綱が張ってなければならない。だが、どうやって? サーカスや大道芸の綱渡りではないから支柱を立てて、その間に綱を張っておくというわけにはいかない。地上400mの南棟と北棟の屋上の数十mをつなぐ綱を張る。もちろん無許可でゲリラ的にやる。そもそもWTCに無関係の人間が勝手に出入りできるのか? 警備員に見つかってIDを見せろと言われた彼はしらばっくれてこう答えるしかなかった『なんのアイデアもないのに来てしまったんです』
綱渡りを実行するためには、まずWTCの110階を昇って屋上にたどり着かねばならない。60m以上の頑丈な鋼の綱を運び上げねばならないし、固定用の機具や設営器材で1トン近くにもなる荷物をどうやって人目につけずに持ち込むのか?
それに、風や乱気流の影響だってある。高層ビルに付き物の強いビル風だってある。それから高層ビル上層部の揺れも考慮しなくてはならない。綱がたわんだり揺れて、落下しない保証は何一つない。
計画段階で次々と解決しなければならない難題が持ち上がってくる。それらをあの手この手でクリアしていく(これが涙ぐましくも滑稽で可笑しい)。刑務所暮らしを覚悟させたわずか数名の協力者(共犯者)との諍いも絶えない。

指を黒インクに転がされ、逮捕書類に押し当てられながら、これは間違いだと確信している。綱渡り師を逮捕したら、足の指紋を採るべきだ!


いよいよ決行前日の夜、屋上に忍び込もうすると、建設作業員たちがパーティを開いて騒いでいるのだった。天の啓示に導かれていざ神聖な舞台に踏み出そうというのに、あまりに日常的で猥雑な光景が立ちふさがっているのを目にした悲嘆落胆、焦燥…(すごくよくわかる!) 設営は全然予定通りには進まずじきに夜明けがやってきて、エレベータが動き出す。器材の確認も出来ず自分でも成功の可能性など信じられないまま、ほとんど見切り発車の状態で綱渡りを始めるしかない状況で、さらに追い打ちをかけるようにフィリップの舞台衣装、お気に入りの黒のタートルネックが見つからないのだった!
だけどもう時間はない。誰かが昇ってくれば全てが水の泡なのだ。夜通し作業をし続けて肉体的にも精神的にも疲労困憊なまま、彼は竿を持ち上げ、左足を綱に乗せた。


1974年8月のある朝突然、マンハッタンの摩天楼に男が現れた。そろりそろりと宙空を破る男がいる。
地上から見上げれば、かろうじて人だとわかるぐらいに小さな黒い点に見える。雲が低かったり霧がかかっていたら「WTCの間を綱渡りしたんだ」と言っても「ほう、そうかい」としか言われなかっただろう、と彼は言う。どうせ地上からははっきり見えないのだから補助具を付けてやればいいという忠告にも彼は耳を貸さなかった。
それまでのドタバタから一転、この綱渡りの本番は、空中遊歩者のみが目にし感じた光景が詩的に記述されていて、準備段階のあまりに人間臭い苦闘の連続が嘘のように静かで美しい。
綱の上で寝そべっていると、彼の上空を白い海鳥が旋回していた。自分の領域に侵入してきた奇妙な人間を興味深げに見ながら優雅に舞う鳥が、彼の最も近い目撃者だ。彼は仲間の鳥に向かって手を差しのべて語りかける。

 僕の声は聞こえる?僕がハミングしているかすかなメロディに耳を傾けているの?
 ほかの鳥の心を読むことはできる?読めるならば、僕の恐ろしい秘密は知っているのか?僕は鳥に変装しているものの、飛べないってことを。


綱が張ってありさえすれば、フィリップ・プティにとって地上10mも400mも同じことなのだ。どこにどんな仕掛けを造るかに彼の想像力は注入され、実現のためなら不法侵入や変装や偽装でも偽造でも何でもやる。
何十回もWTCに潜り込んで、これだけのエネルギーを注いで、遂に成し遂げたパフォーマンス。なぜ、こんなことを? 誰しもが彼に訊ねるその答えは…『私はオレンジが3個あればジャグリングする。タワーが2本あれば綱渡りする』

実際にはこの本はWTC消失後の2002年に書かれたのだった。首謀者・フィリップは五十代になっていた。過去の回想ではなく、あくまで進行形のスタイルで書かれているから純粋なドキュメンタリーとは呼ぶべきではないかもしれない。四半世紀を超えて伝説が伝説にふさわしい言葉でスリリングに美しく更新された。金儲けのためでもなく名声のためでもなく、ただ無謀なだけでもない。冒険心でも勇気でも、恐怖の克服でもない。人間にはこういうユニークな才能があることを教えてくれるのだが(そしてそれがフランス人だということにも納得)、もし彼が達成時25才の時点でこれを書いていたなら、これほど深淵な虚空を描いたものにはならなかったのではないだろうか?

この本は、個人的に本年度ベストの一冊! 『地獄番鬼蜘蛛日誌』や『遠くの声に耳を澄ませて』より良いということではなく、何というか、本とか映画とかのジャンルを超えて残る物なのだ。そう、この行為がただの綱渡りなのではなく詩人の空中散歩であったように。彼は芸人というよりは、吟遊詩人の系譜に属する人なのだ。

想像力を刺激されたし、映像がなくても充分楽しんでしまった!もう映画見なくてもいいかも、とも思わせられた。でも観に行くけどね!