アラン・ベネット/やんごとなき読者

【アラン・ベネット/やんごとなき読者(169P)/白水社・2009年(090812-0813】
THE UNCOMMON READER by Alan Bennett 2007
訳:市川恵理


内容(「BOOK」データベースより)
英国女王エリザベス二世、読書にハマる。おかげで公務はうわの空、側近たちは大あわて。「本は想像力の起爆装置です」イギリスで30万部のベストセラー小説。

          
          


面白くて読みやすくて(薄いし)ほぼ一日で読了。
80歳間近のエリザベス女王が読書の楽しさに目覚めて新しい自分を発見していくというお話で、まず、こういう設定で王室が小説に書かれ読まれるかの国の、良く言えば自由、悪く言えば下世話な開き具合が可笑しい。とにかく権威を自分と同じ目線にまで引きずり降ろして面白がって語るのは、ゴシップ誌もそれなりの存在理由を認められているかの国のスタンダードな態度。


たまたま本を借りた移動図書館に始まって、女王が本に夢中になっていく過程で気づいていく読書の意義や効能に、同じ本好きとして、うんうん、そうなんだよ、とうなづく部分も多い。途中、読書家として成長していく彼女の姿を見守っている気分にもなってきて、ふと女王と自分とを重ねあわせて読んでいたりもした。
女王が書き込みをしながら熱心に本を読んでいる姿を想像してつい笑ってしまいそうになるのだが、すぐに寂しさも覚える。人生の黄昏に、まだまだ自分の知らない世界がたくさんあると思い、あるいは残された時間を有意義にしようと本にすがるというのは、きっと国王も我々も同じことなのだ。



で、すらすらと読み終えてしまったのだが……… 面白かったけれど、本当に手放しで良かったかと自問すると、胸にひっかかるものがある。

エリザベス女王は本を読まない」本当にそうか? それは物語の前提として問わないにしても、女王は公務をこなすだけの飾りにすぎず、自分の声で喋っていないというのも設定だろうか? 公務に退屈していて周りに理解者は少なく、どの公式パーティでも気まずい沈黙の元だというのは、いかにもインテリが描きそうなフィクションの国王像ではないか(悪意はないのだとしても)。 生ける歴史であり世界各地を旅した見聞は、はたして読書体験に劣るものなのか? 本を読んでこなかった人生は貧しいものと決めつけられるか?

多分、この著者が気楽に書いた以上に女王陛下は日常公務をきちんとこなしているし、国民と触れ合う機会を貴重な時間だと考えているはずだ。臣民との対話がおざなりの質問とお決まりの返答ばかりでずっと繰り返されてきたのだったら、在位50年を越えて今なお敬愛される存在であり続けていることをどう説明する?
この作品の楽しさは、女王が我々と同じように一つの趣味に熱中するところにある。そこに大衆の目線で共感するのは自然な感情だとは思うけれど、だからといって彼女のこれまでの人生を否定的に描くのはフェアではない。


英国民でもないのに、こんなことを書くのもどうかしてるが(笑) だけど、この作品は設定の奇抜さに頼って真実の女王像への想像力を欠いていると思うのだ。著者はこれを陛下に捧げることができるか? 読書の楽しみに目覚めた女王がこの本を手にしたとき、彼女自身が楽しく読んでくれるだろうか?
優れて英国的な風刺や皮肉はまず対象への深い洞察から生まれるものだ。この作品は女王への最低限の敬意を感じさせはするものの、敬愛と尊敬は感じられない。だから自分には真に英国的な小説として愛することができない。
秘書や侍従の描き方があまりに古典的(アンデルセンの絵みたいなステロタイプだ)だったり、人物像を単純化してしまうのは著者が戯曲・脚本家だからだろうか。
英文学のうんちくをチラ見させてくれもするし、読書小説としてだけ読むなら文句なく「面白い!」で済むんだけど。

読んでるときは面白かったんだけど、ひねくれすぎかな…? おおむね評判が良いみたいなので、ちょっと英国風に辛辣に書いてみた(笑)