サガン -悲しみよこんにちは-

サガンといえば、新潮文庫。青春時代の夏休み、書店でヘミングウェイの青い背表紙とサガンのピンクの前に立ち止まる時間は他のコーナーより断然長かったように思う。
高校時代、図書室の「世界文学全集」のサガン集に彼女のモノクロのポートレート写真があった。もちろん丁寧に切り取って持ち帰り、部屋の壁にピンで留めた。


再び静岡シネギャラリー。忘れかけていたサガンの映画を観に行った。


サガン -悲しみよこんにちは-】
SAGAN/2008年/フランス
オフィシャル・サイト→ http://www.sagan-movie.com/


     


1954年のデビュー作で一躍時代の寵児となったフランソワーズ・サガン。18歳で巨大な富と名声を手に入れてしまった彼女の人生はどんなものだったか。
デビューから2004年に69歳で亡くなるまで五十年。『悲しみよこんにちは』の鮮烈なセシル像がサガンという世間の錯覚を払拭しようとした五十年。二度の結婚、離婚と出産を経験しながら、ついに彼女は自立することができず、酒と麻薬に溺れて行く。

あまり期待していなかったのだが、サガンの人生の表面を一通りなぞる年表的な意味では最後まで中だるみもなく見られた。ただし、かなりの駆け足だ。
予備知識のない人にはサガンと生涯連れ立った数人の親友をはじめ交友関係が最後まで分からないままだったのではないかと思う。結婚と離婚もコマ送りのような扱いで「え、もう別れたの?」という展開の早さ。二度目の離婚後に息子を手放してしまう件りや、その後晩年まで続く幾人かの女性関係(バイ・セクシュアルだったらしい)も、そもそも彼女らがどういう人物なのかほとんど説明がないので、見る人によっては内容がつかめないのでは?と心配になるほど。
当然、なぜ彼女が彼ら彼女らを愛し、愛から醒め、孤独だと感じ、酒とドラッグから離れられなくなっていくのかが理解できない。もう少しエピソードを絞って時代背景も含めた状況説明がなされないと、「サガン」ではなくただの放蕩女の話と受け取られてしまいそう。


自分の娘がある日突然「悲しみとアンニュイ」についての本を出すなどと言い出したら、サガンの父親でなくとも面喰らうだろう。
はにかみ屋の彼女はうつむいて髪を触る癖があった。執筆はお気に入りの青いペンでノートに書いてタイプライターで原稿にしていた。後年は秘書に口述筆記させることもあった。煙草はKOOL。豹柄のコートがお気に入りだった…etc ありし日のサガンの姿を、18歳から69歳までを一人で演じたシルヴィ・テステューの熱演によってかいま見ることはできるのだが…。


で、これに先立って目を通しておいたのが、この本。


【マリー=ドミニク・ルリエーヴル/サガン 疾走する生(381P)/阪急コミュニケーションズ・2009年(090813-0815)】
訳:永田千奈


内容(「BOOK」データベースより)
18歳での鮮烈な文壇デビューと世界的な名声。自動車事故。2度の結婚と離婚。ギャンブルへの熱中。薬物依存。経済的困窮。そして文学への愛。世界を騒がせ続けた女性作家の真実。


       


こちらはサガンに憧れて物書きになった人らしく(初めての印税でサガンを真似てアストン・マーチンを買うつもりだったが、実際は自転車を買い換えただけだった、という)、多数の関係者への取材を重ねて構成された評伝。「これはサガンの世界を旅した私の旅行記である」というだけあって力作であるとは思うのだけれど、著者の思い入れが強すぎるのかサガン像にブレがあって一貫していない。

たとえば、「サガン」という筆名の由来を追った部分では「早くクレワーズという姓を捨てたかった」フランソワーズは家庭から浮いた存在だったと書きながら、家庭環境を書いた章では彼女は兄姉に比べて甘やかされて育った少女で独立願望があったわけでもなく両親との不和もなかったと書く。
あるいは有名な若き日のスピード狂ぶりを「自我を忘れたがっていた」と分析するのだが、では何故無我を求めていたのかまでは追究しない。彼女の運転に関して集めた証言も「二度と乗りたくない」というものも「運転は上手かった」というものもあって、結局著者の推測が記されている、という具合。


50年代の‘サガン現象’を知っていればいるほど、意図していなくとも、ゴシップ記事的な解釈を免れないものなのかもしれない。映画の中にもあったように「作品を読むのではなくサガンに興味がある」ほとんどの人々の目線を著者は見抜いていながら、自身もそこから完全に抜け出せてはいないのだ。
むしろ大上段に構えずに、始めの自転車を買い換えた話のような等身大のサガン体験をもとにまとめた方が、これほど散漫にならずにサガン像に近づけたのではないかと思う。
映画もこの本も最大の欠陥は『悲しみよこんにちは』の成功から始めていて、どうして17歳の少女が空想だけであの作品を生み出せたのかという点を置き去りにしたままだということだ。


そもそも、評伝や映画に作家像を求めることはないのだ。ひたすらその人の作品をじっくり読めば良いのだ。
高校時代に一枚の切り抜き写真から広がったインスピレーションは(思春期的妄想も大きかったが)今日見て読んだ物の比ではなかったと思う。情報の少なかった時代は、けして不自由でも不幸でもなかった。


自分にとって、サガンといえば「超スピード」。社会人になってから読んだ彼女の作品の中にあった単語だ。スポーツカーで走ることの官能を書いた文が気に入って、当時付けていた日記に書き留めたものだ。
この本に書いてあるような、ただ闇雲にアクセルを踏んで早く走らせるだけのスピードの快楽についての文章ではなかった。疾走する鋼鉄の塊の中に自分がいる、その徹底的な孤独に自己が覚醒して文明機械をコントロールする愉悦、その「超スピード」の感覚が好きなのだと書いてあったように思う。それはそのまま、ドイツやイタリアの高級車とは違う、小排気量でも小気味良いハンドリングのフランス車を駆るドライビングの特長を書いてあるようでもあった。
18歳で思いがけない成功をつかんだサガンが、たった一つ、ただ一人になって自分自身に向き合える場所はスポーツカーのシートだったのかと思わせる、素敵な文章だった。
あれほど繰り返し読んでほとんど暗唱までできたのに、思い出せない。どの本に書かれていたのかも思い出すことができず、映画のあとで書店に寄ったのだが、あのピンクの背表紙は『悲しみよこんにちは』と『ブラームスはお好き?』の二点しかなかった。



※フローランス・マルローというサガンの学友であり永年の親友がこの評伝の執筆に協力している。彼女はアンドレ・マルローの娘なのだそうだ。
アンドレ・マルローは多分、寺山修司の本によく引用されていて名前を覚えたのだと思う(「英雄がいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」というのもマルローで『ポケットに名言を』にあったと思う。物置の段ボールの中にあるのですぐ確認できない)。
なんだかサガンの人物像がいま一つ曖昧なこの本で、短い紹介なのだが、むしろ彼女フローランス・マルローの人生の方が戦中〜戦後のフランス史を象徴する側面があって興味深かった。彼女はユダヤ人であり、ビシー政権下でレジスタンスも経験しているのだ。

それにしても、サガンが輝いた時代にはサルトルカミュも、ボーヴォワールも健在だったのだから驚く。