山田詠美/学問

8月17日の中日新聞夕刊に山田詠美さんのインタビュー記事が掲載されていた。近刊『学問』に関する内容だったのだが、二つの点で興味深い話を読めて、俄然読まねば!という気になった。

一つめは、この作品が開高健の「食談は食欲のポルノである」という言葉に触発されて、逆説的にポルノとは対極の言葉から欲望を描こうとしたものだということ。
二つめは、少女時代に転校を繰り返していた彼女が磐田(静岡県)に住んでいた時期があり「一番思い出深い」と語っていること。お隣じゃん!知らなかった!急に親近感が湧いてページを開くと、‥‥山田詠美遠州弁で書いてるじゃないか!


山田詠美/ 学問 (292P)/新潮社・2009年(090821-0824)】


内容(「BOOK」データベースより)
東京から引っ越してきた仁美、リーダー格で人気者の心太、食いしん坊な無量、眠るのが生き甲斐の千穂。4人は、友情とも恋愛ともつかない、特別な絆で結ばれていた。一歩一歩、大人の世界に近づいていく彼らの毎日を彩る、生と性の輝き。そしてやがて訪れる、それぞれの人生の終り。高度成長期の海辺の街を舞台に、4人が過ごしたかけがえのない時間を、この上なく官能的な言葉で紡ぎ出す、渾身の傑作長篇。

        
        


前にも書いたと思うけど、体質的に少年少女物の小説が嫌いなのであまり気が乗らない。そうでなくても思春期の性の芽生えなんて小説で読みたいテーマじゃないし… たとえ山田詠美作品であっても。いや、山田詠美だから読めたのか。もし他の作家がこんな話を書いても100%無視だから。というかこの人以外に誰が書くかと思えば、やはりこれは山田詠美的な作品なのだろう。
かすかな感覚の揺らぎをなまめかしい文章にしてしまうのはいつものとおり。ただ今作は、子供が主人公なためか、ノスタルジアが邪魔をするのか、濃密さは今一歩の印象。著者と年齢的にも近い主人公像だった『無銭優雅』が饒舌気ままなのろけ口調で、しかし気が利いたアフォリズム満載だったのとは180度違って、記憶を掘り起こしながら懐かしい子供時代を大事に慈しむように書いた慎重さが目立つ。


彼女にはこれまでにも思春期の多情多感を描いた作品はあるけれど、本作は少々毛色が違っていて、高度成長期の地方都市で成長していくごく普通の子供たち四人組の物語。転校してきた少女・仁美の身体の発達と精神の発達のズレを暖かく見守りながら丁寧に書いていく。
男なら下ネタの笑い話で済んでしまう話なのでどうにも他人事にしか思えない部分もあるのだけれど、それでも自分なりの流儀で身体と気持ちのシンクロに向かう仁美の一生懸命さには打たれる。学校で習うでもない、誰かに相談して解決できるわけでもない。誰もが密やかな閉じた世界でセオリーもマニュアルもないのに自然にそうなっていくようになっているのは、これもまた人間の動物的本能の一つなのだと思わずにいられない。そこには好奇心と想像力と探究心、それに努力も必要で、さながら学問であるかのようだ。愛も性欲もわからないまま準備を始めてしまう自分の身体にきちんと向き合おうとする主人公のいじらしい態度に、子供には子供の性の世界があるのかもしれないとも思わされた。
氾濫する性情報や大人の歪んだ視線に惑わされることなく、自分の欲望の正体を自分の感性を集中させることのみで理解しようとする仁美に『無銭優雅』にあったこんな一節を思い出した ― 学校から遠く離れてしまった者は、自らの手で開校しなくては、そこに入れない ―

奴隷にしては、学ぶ楽しみが多すぎる。あれこれと思いを巡らせ、ついに彼女は的確な言葉を見出して、思わず、そうだ!とひとりごちたのでした。奴隷なんかじゃない。私は、愛弟子になったのだ。


やはりこの作品は都会の現代っ子では書かれなかった作品なのだろう。
舞台は静岡県の架空の都市ということだが、遠州地方の街であることが読んでいるとわかる。源氏パイうなぎパイも出てくる。子供たちの遠州弁の会話は自分にも懐かしかったけれど、こんな言い方するかなぁ?というとこもけっこうあったけど(笑)
執筆にあたって詠美さんが静岡の田舎で過ごした子供の頃をあれこれ思い出そうとしている姿を想像すると、なんだか微笑ましい…


です・ます調の語り形式の文体は、子供時代を下品な苦笑でごまかしがちな大人目線に流れないで引き締めているし、読む側にも自然と丁寧な読書態度をうながす。
だけど、著者の少女期の原風景とこの作品の主題との距離感の遠さ、ミスマッチ感は最後までぬぐいきれなかった。『無銭優雅』のように湧き出る言葉を文章化するのと違って記憶との照合作業をしながら書くのは山田詠美のスタイルではないのかもしれない、とも思った。書こうとするところはすごくよくわかるんだけど、郷愁と子供の自我の確立とが頭の中ですんなりフィットしなかったのは、自分の頭が固いせいなのかもしれない。
露骨な描写こそがリアルでクールなのだと(初期の山田詠美もそうだったかもしれない)即物的になる一方の社会で、大人の後学から青春を通俗な定義に安易に当てはめようとはせず、未熟を稚拙だと即断することもなく、性衝動を猥談に貶めない毅然さで微熱の息の熱さを思わせる血の通った表現に向かう。なんだか著者の成長ぶり(なんて言い方は失礼かもしれないが)が頼もしく思えてくる。
しかし、まだまだ山田詠美はこんなもんじゃないら?と思ったのが正直な感想。


男の側から言えば、男だって涙ぐましい努力をする。思い出しても別人のように滑稽な自分の姿しか浮かんでこないけど。ちなみに自分はサンドイッチ買いとかしたことはない。正々堂々と週刊プレイボーイを買っていた。けして秋吉久美子夏木マリのグラビアが見たかったわけではなく、開高健の連載「風に訊け」が読みたくて買っていたのだから。(結局男はこういうふうにしか思い出せないのだから、やっぱり山田詠美という人はスゴイ!)