ロバート・A・ハインライン/ 夏への扉[新訳版]

短かったこの夏、書店に行くたびに目にしていたこの本。たしか高校生の頃に読んだような、読まなかったような… 当時の表紙は扉を覗き込んでいる猫の後ろ姿がもっと大きく描かれたイラストだったよな。読んだのに内容をよく覚えていないということは、さして面白くなかったのだと思っていたのだけど…


ロバート・A・ハインライン/ 夏への扉[新訳版] (346P)/早川書房・2009年(090905-0908)】
THE DOOR INTO SUMMER by Robert.A.Heinlein 1957
訳:小尾芙佐


内容(「BOOK」データベースより)
ぼくが飼っている猫のピートは、冬になるときまって夏への扉を探しはじめる。家にたくさんあるドアのどれかが夏に通じていると信じているのだ。そしてこのぼくもまた、ピートと同じように“夏への扉”を探していた―『アルジャーノンに花束を』の小尾芙佐による新しい翻訳で贈る、永遠の青春小説。


        


正直者の発明家・技術者が友人と婚約者に欺かれて自分の会社を乗っ取られる。傷ついた彼は低体温法睡眠によって三十年後の2000年の世界に目覚めるのだが、自分の記憶と現実が食い違っていることに気づき、真相を探り始めた。そして、再び三十年前に戻ることを決意する…


まだ若かった頃には、宇宙船も異星人も出てこないし、派手なアクションもスリルもないこの作品が野暮ったい地味な小説に映ったのかもしれない。主人公が発明開発を手がける人間の代行機械、お掃除ロボットとか製図ロボットとかも、アナクロな印象がぬぐえない。
書かれたのは五十年代、核戦争らしいことがほのめかされる「六週間戦争」後の1970年の設定から2000年へと主人公は行き来するのだが、時間移動のギャップはそれほど大きくなく、衣服や紙幣の変化に触れられる程度で斬新で刺激的な未来とは程遠い。すでに小説の時代設定を越して新世紀を九年も生きてきた身からすると、三十年の時の経過は前後で比べればそれなりに大きな変化もあるけれど、けして劇的に変わったのではなくて段階的に現在も変化し続けてきているというのが実感だ。
新訳を機に今回あらためて読んで引き込まれてしまったのは、だからSF的設定による奇抜さなどではないだ。


長期間低体温を保った冬眠状態から未来に目覚める「コールド・スリープ」も「タイム・トラベル」も時間移動のツールとしてはポピュラーだ。
だが、この小説でのそれらは三十年の時間を往来するための、あくまでも手段にすぎない。何世紀もの時空を超えるなどといった壮大な話にも、歴史に手を加えてしまうタブーにも発展しない。ただ、一人の男が一生の時間内で失われたプライドを取り戻そうとするだけの話なのだ。
なぜ彼は1970年から三十年を眠って過ごそうとしたのか、なぜまた2000年から元の時代に戻ろうとするのか。そこにこそこの主人公の発明家としての吟辞がうかがえるのだ。
時間旅行の大掛かりな仕掛けで辿り着いた先で、個人的な身の廻りの工作に終始する。自分をおとしめた悪党を憎んではいても、彼はけして復讐に走らない。どこまでも分相応な、ただし発明家としてのプライドだけには徹底したこだわりを見せて、ただただ自己のアイデンティティを守って未来に待っているはずの幸福のために彼は奔走するのだ。


会社を失うことになる夜に彼の車が消えていたことが後の伏線になっていることや、過去に〈レナード・ヴィンセント〉なる男がタイムマシンに乗って戻ってこない挿話が暗示することなどが、何気ない展開が実は緻密に構築されたものであることに気づかされて、特に後半、随所でニヤリとさせられる。
つじつま合わせや強引な偶然は小説をしらけさせるものなのに、本作では主人公が事あるごとに都合よく良心的な人々に出会うのも、そう導かれているのだろうと納得してしまえる。
二度めに2000年を迎えた彼は、ちゃっかりリッキーちゃんと結ばれてしまう。最後にそこに行くのかよ!?とさすがに悪乗りしすぎじゃないかと思えたのだが、それまでも許せてしまうのは、この男の必死さ前向きさが周囲には傍迷惑なだけなオレ流なのではなく、傷みを知った者の寛容を含んでいるからだろう。読者は等身大の現代人の姿を彼に重ねてみることができるし、そうすることが愉快で痛快でもあるのだ。
タイム・パラドクスで派生した世界ではそうなっていないと誰が言える?ピート(超甘えんぼ猫)とも再会できたんだし、いいじゃないか、といつのまにか読んでいるこちら側に主人公のオプティミズムが伝染っているのだった。


H.G.ウエルズは『タイムマシン』の最後にこう書いている。「文明の発展は愚かさの増大を意味し、やがては反動的に人類を衰退に導くだろう」と。十九世紀末にしてすでに英国人作家が抱いていたこの苦い文明批評に対して、本作では未来は希望に満ちた輝かしい夏として語られる(もっとも、ウエルズが描いたのは数万年後の、あらゆる問題が解決されたが故に退化しつつある人類だったが)。
この作品は「タイムマシンの正しい使い方」を指南してもいるのかもしれない。科学技術の進歩と人間の知恵の使い方を誤りさえしなければ、人類の未来は明るいはずなのだと、この作品が書かれた実際の時代背景を考えると逆説的に訴えているかのようにも読める。

こんなに懐の深い作品だったとは… 夏らしい光景なんてちっとも出てこないのに、読後は爽快感さえあった。読んで良かった!
もう一回、昔読んだ本は全部読み直すべきかもしれないな。