レイ・ブラッドベリ/ たんぽぽのお酒

晶文社の本を買うのは十数年ぶりか。ビリー・ホリデイ『奇妙な果実』、『ジャック・ロンドン自伝』、『ジャニス/ブルースに死す』、ウディ・ガスリー『ギターをとって弦をはれ』、それにレニー・ブルース『奴らをしゃべり倒せ!』…それからサローヤンの『人間喜劇』と『わが名はアラム』も忘れられない! ずっと書棚の同じ場所に並べて置いてあるオオカミ族のバイブルたち。
だから同社のこの本のことは昔から知っていた。なのに、なぜかこれまで読まずにいた。ブラッドベリならまず他に読まなくてはならない本がたくさんあったし。

ハインライン夏への扉』を読んでいるときから、次はこれだと決めていた。SFの巨匠二人が奇しくも同じ1957年に「夏」をテーマにした青春作品を書いていたのは偶然だろうか。
ベージュの同じ表紙でタイトルだけ違っていた〈文学のおくりもの〉シリーズも、いつしか新しい装丁で〈ベスト版〉と冠して再刊されていたらしい。


レイ・ブラッドベリ/ たんぽぽのお酒[ベスト版] (398P)/晶文社・1997年(090910-0913)】
DANDELION WINE by Ray Bradbury 1957
訳:北川克彦


内容(「BOOK」データベースより)
輝く夏の陽ざしのなか、12歳の少年ダグラスはそよ風にのって走る。その多感な心にきざまれる数々の不思議な事件と黄金の夢…。夏のはじめに仕込んだタンポポのお酒一壜一壜にこめられた、少年の愛と孤独と夢と成長の物語。「イメージの魔術師」ブラッドベリがおくる少年ファンタジーの永遠の名作。


        


早くも秋めいた今月初め、何気なく新聞を見ていたらある全面広告が目に留まった。『直線勝負』。運動会シーズンを前にした子供用運動靴の広告だった。〈「直線勝負」でライバルをひきはなせ!足が速い子はクラスの人気者!運動会のヒーローになろう!〉と文字が踊っている。持久走モデルも新登場だそうだ。そういえば、近所の小学生は「俊足」というのを履いていたな。いや違った、『瞬足』だった。
だけど、みんながこれを履いてたら…なんて考えるのは大人の野暮か。これを欲しがる今の子供は、でも敗れて現実を知っていくのか。

自分が小学生の頃には、まだアディダスやプーマのスニーカーをはいて登校するなんて一般的ではなかった。ヒモ靴をはくようになったのすら高学年になってからだったと思う。それまでは甲のゴムに名前が書かれた白靴を破れるまではいて、買い換えるのは学校のそばの文房具屋さんだった。
色もデザインも多彩な靴があることを知って、自分に似合いそうな靴を見つけると、それはきっと魔法の靴だと思えたものだ。人気者になりたいとも一等賞を取りたいとも思わなかったけど、そこで自分にはかれるのを待っている靴は、今自分がはいているのより絶対軽くて、どこまでも走れて高く跳ぶことができるのだと信じて疑わなかった。

そんな運動靴への憧れは、それから三十年後の今の子供たちの現実的な靴事情よりも、半世紀以上も前のこのアメリカの少年、『たんぽぽのお酒』の主人公・ダグラス君の気持ちに近かったと思えるのが、なんとも不思議だ。


夏の始めにショーウインドに新しいテニス靴を見つけると、ダグラスはそれが欲しくてたまらなくなる。どうしても必要なのだと思えて仕方がなくなる。彼にとって学校用の革靴を脱いで新しい運動靴をはくことは、たくさんある夏の儀式の中の重要な一つなのだ。
彼はお小遣いをかき集めて靴屋に行き、足りない分は夏休みの間、配達の仕事を手伝うと申し出る。もちろんその靴でならいくらでも走れるし、あっという間にどこにでも届けてみせると力説する。店の主人はその日の配達分を彼に命じて、それが終わったら君はクビだと優しく告げて、その靴を渡す。
家と地域のごく狭い世界で暮らしている子供が世界の広さと時間の長さを知り、自分もその一部なのだと気づき始める夏。永遠だと思っていたものがそうではなく、失われていくものを見送りながら人は生きていくことに気づく多感な夏が始まる。
1928年、イリノイ州の小さな町グリーンタウン。ダグラス・スポールディング12歳の夏のエピソードが重ねられていく。

 夏を手に持って、夏をグラスに注ぐ―もちろんそれは小さなグラスで、子供たちはほんのちょっぴりからだのほてるやつを一口すするだけでいい。グラスを唇にもっていき、それを傾けて夏を飲みほして、血管の中の季節を変えるのだ。


ある高さまで成長するとそれ以上は伸びない手間いらずの新種の芝を勝手に植えられて怒るおじいさんが良い。
南北戦争の生き証人であり物知りなフリーリー老大佐が良い。彼を人間タイムマシンとして愛し、彼の家に押しかけては昔の話をせがむ町の子供たちも良い。
95歳の老女が死の間際の短い時間を同時代に生きられなかった青年と育む儚い友情が良い。
ゲームコーナーで大事に扱われずに傷んだアンティークなタロット占い人形を救おうとするダグラスが良い。彼より賢そうな弟トムが、兄に一目置いているのも良い。
医者も家族もなすすべがない原因不明の高熱に苦しんでいたダグラスを見舞う屑屋のジョウナスさんが良い。
全部が小さな町で起こる小さな出来事ばかりなのに、「イメージの魔術師」ブラッドベリ散文詩を連ねたような文章は、特におじいさんやおばあさんの口から魔法を吐かせる。彼らの言葉の説得力こそが魔法なのだと教えてくれる。そして、魔法を魔法だと気づかず過ごせる幸せに心が温まる。

「これを飲んでいるときには、このことを思い出しなさい―それをびんに詰めたのは友だちだということ。S.J.ジョウナスびん詰め会社、イリノイ州グリーン・タウン、1928年8月。この年の仕込みは優秀なのさ、坊や…この年のは特別にいいんだよ」


身の廻りで起きることがほとんど世界の一大事のようであった少年時代。今ほど娯楽はなかったはずなのに、退屈な時間なんて全然なかった。もしかしたら、成長するにつれ自分が身につけてきたのは余計なものばかりなのかもしれないと振り返ってみて寂しくもあった。
大人が大人らしい威厳を保ち、子供は子供らしく溌剌として未知の世界に果敢に飛び込んでいく。子供は子供の感受性で自然に学んでいくはずなのだ。それが今はどうだ、とつい言いたくなるけれど、この本で存分に郷愁を味わう今、自分は大人の側に立っているのだから、まずは「お前はどうだ?」と問わなければなるまい。

 ………………

オレがどうかって?オレは相変わらずオオカミ族だよ。そううそぶくしかないではないか。
遅ればせながらこの本が自分の晶文社のラインアップに新しく加わる一冊になって嬉しい。ハインライン夏への扉』も一緒に並べておいて、必ず来年の夏にまた読もう!