山本一力/ 早刷り岩次郎

山本一力/ 早刷り岩次郎 (412P)/朝日新聞出版・2008年(090924-0929)】


アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んだあとで『早刷り岩次郎』って… 今月はSF月間になりかかってたのに、このでたらめな読書傾向。わかってるよ、精神分裂気味なのは。小川一水『星の邦、風の渚【レーズスフェント興亡記】』も読み続けてるけど、なかなか進まないんだよ(長い、でも面白い!)。

そもそも今年始めにこれを買いに行った先で、同じ「や」行に山本兼一利休にたずねよ』を見つけて、それが素晴らしかったもんで以後スルーになっていたのだった。
特に好きな作家でもないし文庫待ちリストだったのだが、古本屋で見つけて即買いしてきた。


朝日新聞出版の商品紹介より〉
商売敵の悪辣な嫌がらせ、貨幣改鋳をたくらむ公儀の暗躍……独創的な瓦版づくりを目指す硬骨漢・釜田屋岩次郎が知恵と度胸で立ち向かう、痛快長編時代小説!
深川で版木彫りと摺りを請け負う釜田屋岩次郎は、速報を重視した従来とは全く異なる瓦版「早刷り」を目指していた。一方、それを快く思わない本所の瓦版屋・初田屋昌平は妨害を始める……。江戸の心意気を存分に描く痛快長編時代小説。(週刊朝日に連載された時代小説)


        


ある程度は予測していたけど、『アンドロイドは〜』のような作品を読んだあとでこんな時代ものを読み始めると、まずカタカナがない、またふだん馴染みのない言葉が出てきて(たとえば普請、札差、代貸など)頭がすんなり江戸人情モードに切り替わらない(苦笑) おまけに文章も「〜である」「〜だった」の素っ気ない紋切り調が続く。いかにも週刊誌連載用という構成もあって読みやすいんだけどリズムが出なかった。


江戸時代、安政の大地震1855年)後の深川で、それまでの読売とはまったく違う瓦版を発行しようと男が思いつくところから物語が始まる。地元の最新ニュースを載せた瓦版を毎日二千部発行する。そのためには耳鼻達と呼ばれる記者とライター、彫り・刷り職人、売り屋をまとめた組織をつくらねばならない。広目という今で言う広告を取るための営業も必要だ。
従来の瓦版がどういうものであったかを、商売敵で腹黒い初田屋を登場させて、彼が作ろうとする早刷りがいかに革新的かを伝える。
創刊前の号外から万事順調に事は運び、評判を集めていた早刷りは無事創刊にこぎつけ、江戸の町に浸透していく。


主人公は起業者・釜田岩次郎ではあるけれど、実は彼自身の登場場面はそれほど多くない。彼のもとに集まった職人や釜田屋に関わる人々、震災にめげず復興に向かう深川の町人たちの姿を通して彼の信念がわかるように書かれているのだ。
後半はむしろ引き立て役の初田屋の方にページが割かれていて、けちな小悪党であるにもかかわらず、なんでも達観していて非の打ち所がない大旦那の岩次郎より、こちらの方が人となりはわかりやすい。


取材・記事執筆、編集、印刷(彫り・刷り)、売りと新聞の初期形態がここに書かれているが、材料の手配と仕入れ、製品の配送、広告・告知の重要性から日頃のつきあいを商売に活かす人間関係にまで目配りされていて、印刷・出版業のみならず起業の理想型のようにも読めた。

隣近所か仕事場での身近な会話しか話題がなかった時代に印刷物が出回って世情を知り話題を共有する新しさ。今まで眠っていた「知りたい」「読みたい」(文字をおぼえたい、言葉を学びたい)という気持ちが一気に目覚めていくことの喜び。こういう新鮮な感動にもはや現代人は浴することはできない。
新聞は当たり前にあって、報道メディアは既得権益に浸かった一大権力になり下がっていまやインターネットにとって変わられようとしている…という話はいいだろう。
今ほど世の中が複雑でバラバラではなかった時代の時代劇によくある勧善懲悪を下敷きにした話といってしまえばそれまでだが、フィクションではあっても理想に燃え、自分の信念に自信を持って開拓者たらんとする人物の姿を読むのは気持ちの良いものだ。