葉室麟 / 秋月記

葉室麟 / 秋月記 (287P) / 角川書店 ・2009年(091009-1013)】


内容(「BOOK」データベースより)
筑前の小藩・秋月藩で、専横を極める家老・宮崎織部への不満が高まっていた。間小四郎は、志を同じくする仲間の藩士たちとともに糾弾に立ち上がり、本藩・福岡藩の援助を得てその排除に成功する。藩政の刷新に情熱を傾けようとする小四郎だったが、家老失脚の背後には福岡藩の策謀があった。藩財政は破綻寸前にあり、いつしか仲間との絆も揺らぎ始めて、小四郎はひとり、捨て石となる決意を固めるが―。いま最も注目を集める新鋭が放つ、いぶし銀の傑作。


          


こちらもまた江戸期、九州の小藩を舞台にした一人の藩士の物語。
義憤に駆られて実力行使に出て家老を放逐したものの、実はその家老は先を見据えて憎まれ役を演じていたのだった。その後出世を重ねた小四郎は自ら藩政の実務に携わるようになって、疎まれることにはなっても汚れ役がいなければ藩を守ることができないのを実感する。
河川の氾濫と凶作で財政が逼迫する秋月藩は併合をもくろむ福岡藩に断固とした姿勢を示すことができず、要求を受け入れるしかない。小四郎は孤立し、かつて自分が失脚させた家老と同じ道をたどる…

小藩の話ではあったけれど、国と地方、都市と周縁の郡部の関係や公共事業の見直し、官僚と商人の癒着など現代の政治、社会的問題も連想させる話だった。「織部おろし」の折には団結した仲間たちがそれぞれ役職に就くと体面を気にして以前のような改革の心意気は消失してしまうところなども、現実的な選択に流されがちな現代人の感覚に近い。


藩政の運営に悩む主人公の一生を通じて小藩の苦境が上手く描かれているのだが、一方、剣での対決場面はこれまでに読んだ葉室作品の中でも群を抜いて躍動的だった。ハン・ソロのような役回りの柔術の達人、伏影と呼ばれる忍びのような隠密、男装の女詩人など、登場するのも癖のある人物ばかりで、『七人の侍』っぽいところもあり、時代劇の美味しい要素はみんな入ってます的な流れなのだ。
ただ、すごく現実的な政事(まつりごと)に頭を悩ませる主人公の姿と劇画的な戦闘シーンの飛躍が大きい。 そこだけ読めば文句なく面白いのだが、その対決に至る流れを考えると「斬った斬られた」が安易に過ぎるとも思えた。


だからか、中盤以降、小四郎の心理描写が中途半端で物足りなく感じた。
後に秋月の名物になる葛を最初に作り出した女が病で寝たきりになっても薬代を渡すだけだったり(この葛が羊羹に使われて江戸に献上されるくだりは火坂雅志『羊羹合戦』を思わせた)、妻・もよの死もあっけない書き方。一方で小四郎に密かに想いを寄せていた詩人の娘や大坂の芸妓とのやりとりはたっぷり書かれていて、小説的ではあるけれどバランスを欠いた感が。
小四郎がかつて斬った伏影の仇討ちに応じる場面でも、相手が十七人だというのに死を覚悟した緊迫感は伝わってこない。それまで彼なりに奮闘してきた故郷への奉仕が道半ばで断たれることへの苦渋というようなものが全然ないのはどうしたことか。
だけど、いざ戦いが始まると読者の期待どおりの展開になって、実に楽しく読ませられてしまうのだ。


葉室麟さんを四冊読んできたわけだが、2007年の『銀漢の賦』からここ二年ほどの間にこれらの作品は書かれている。この四本だけではないのだ。小説家の仕事のやり方なんてわからないけど、すごいハイペースで書いているのは確かだろう。
その中でこの『秋月記』には本格時代小説とエンタメ系の間で微妙なブレ幅があったような気がする。本作に関していえば、硬派に徹しても良かったんでは?と思う。
ここでは『銀漢の賦』にあった青春性はなく、若き日のようには同調者を得ることができずに孤独な選択をせざるをえない男の苦い老境がある。冒頭と最後に現れる隠居が本編の主人公だったとはすぐには納得できないほどにその落差は残酷だったが、これはこれで一つの男の生きざまだと十分に納得できるものだった。

いずれの葉室作品も武士の生きざまを描きながら当時の文人たちの姿も書かれていて、時代背景を伝えるとともに物語を引き締める重要な存在として登場している。歴史のみならず、著者の漢詩や和歌への探求心は並々ならぬのが読んでいてわかる。『いのちなりけり』じゃないけど、漢詩や短歌が詠めたらいいな、と思わされた。
史実と架空の匙加減が絶妙で、文壇ではまだ「新鋭」扱いらしいけど、この人はスゴイと思わされる四冊だった。今後も葉室さんの作品を読んでいきたいと思う。