中村文則 / 掏摸[スリ]

今年三冊目の中村文則さん。出たばっか、というか、発売日(10/14)よりかなり早く店頭に並んで‥はいなかった、一冊だけ置いてあったのを買い占めてきた(笑)


中村文則 / 掏摸[スリ] (175P) / 河出書房新社 ・2009年(091017-1019)】


内容紹介
東京を仕事場にする天才スリ師。ある日、彼は「最悪」の男と再会する。男の名は木崎。かつて一度だけ、仕事をともにした闇社会に生きる男。「これから三つの仕事をこなせ。失敗すれば、お前が死ぬ。逃げれば、あの子供が死ぬ……」
運命とはなにか。他人の人生を支配するとはどういうことなのか。そして、社会から外れた人々の想い、その切なる祈りとは−。芥川賞作家がジャンルの壁を越えて描き切った、著者最高傑作にして称賛の声続出の話題作!


          


今回の主人公はスリ師。グループで仕事をする方がより安全で確実なのだが、彼は一人で仕事をしている。その腕を見込んだ犯罪組織が彼を利用しようとする。


スリ師である以上、彼は目がいい。財布を抜くテクニック以前に、獲物を物色する観察眼が的確でなければならない。周囲に違和感なく同調する外見と自然な立ち居振舞いができなければならない。
終演後のクラシック・コンサート会場は彼好みの場所だ。必ず現金を持った裕福な人たちがいる。彼らは生演奏を聴いた直後の高揚感に浮き足立って無防備だ。


そんな仕事柄というべきか、彼には見えてしまうものがある。
スーパーで母親に食材の万引きを強要されている少年も彼の目に留まった。生まれてくる場所によって人生は規定されてしまう、とその少年を見ていて彼は思う。彼の略歴は何も語られないのだが、自らの意思でなく犯罪に手を染めている子供への視線に、彼もまたそう生きるしかなかった人生を歩んでいることがありありと伝わってくる。
『何もかも憂鬱な夜に』でもそうだったが、中村氏の視点はひたすら個人的行為へと向けられていて、現代社会の矛盾や欺瞞へとは広がらない。犯罪者は社会の弱者でもあり冷酷な社会の被害者でもあるという立場を安易にとらない。スリの一瞬をマジック風に書かないで、震える指先を職業的な冷徹さで書いてみせる。

最近まったく読んでいない伊坂幸太郎の作品に出てくるニヒルな泥棒を思い出した。狙いをつけた人物の生活パターンを完全に把握して空き巣に入り、絶対に二十万以上は盗らずに書き置きまで残してくる。たしか黒沢という男だ。この小説の若くしてスリだけに特化した主人公と比べると、その黒沢がキザでいやらしい偽悪者に思えてくる。中村文則を読むと伊坂幸太郎は読めなくなる。


指を暖めておくために、主人公は缶コーヒーをよく買う。煙草の本数も多い。服装には気をつかっているが、紳士服売り場のマネキンを真似ているだけだ。彼の生活について書かれているのはこれだけだ。部屋には調理器具も食器もない。盗みで生きているということにではなく、これだけ娯楽に満ちた享楽的な現代に生きていながら、彼はいつでも周りの人物の懐具合と自分の指の調子を気にしてばかりで、その寒々しさに鳥肌が立つ。
金持ちへの反感とか社会への反逆とか疎外感といった意識は欠片も感じさせない。その空虚は荒れることすらないのだ。
財布を抜く瞬間に指先に伝わる他人の体温に覚えるささやかな興奮しか彼の心を暖めるものは無い。そして、おそらくこの先ずっとそれは変わらないだろうことも想像に難くない。


他者とのつながりがない。社会との接点は誰かのポケットに指を滑らせる一瞬にしかない。空き巣や強盗でなくスリを選んだのは、人混みにまぎれながら人と交わる場所が欲しかったのではないか?いつか失敗して手首をつかまれ、群集の中で「スリだ!」と叫ばれるその瞬間を、実は密かに心待ちにしているのではないか?
こんな男に希望の一条の光は差すことはあるのだろうか。
彼の人生にはぬくもりが欠落しているのだと思われたが、幼い子供が盗みを見つかりそうなのを目の当たりにして、その子供を放っておけないのだった。


そんな彼に仕事を強要する闇組織の男の、長広舌の運命論は眉唾物だった。自分の犯罪行為をピカレスク気取りで喋るあたりは伊坂の黒沢みたいだ。したり顔の雄弁な犯罪哲学なんてビジネス本のベストセラーとさしたる違いはない。
ポケットに手を入れると、見覚えのない財布が出てくる。盗った記憶すらない他人の財布だ。ほとんど夢遊病者のように街をさまよい歩いては無意識にスリをしている男には、犯罪者でありながら社会の必要悪として機能しているという自惚れなどない。
最近の小説の登場人物はどいつもこいつも自意識過剰でお喋りなやつばかりだ。悪党のくせに存在を正当化しようとするし、予防線としての犯罪論を自ら話したがる。この主人公はまったく逆だ。もともと他の選択肢などないままスリだけに生きてきたのだ。皮肉だけど何の痕跡も残すべきでないスリ師としては、ほぼ完璧な人生だったはず。
それでも最後にビルの隙間の暗がりにうずくまって「このままで終わりたくない」と彼に思わせたのは何だったのだろう。


『何もかも憂鬱な夜に』を読んだあと、何かのインタビュー記事で著者は作家になる前は少年院の教官になるべく勉強をしていたということを知った。
生まれる場所が人生を規定するのなら、作家として生まれた場所が作品を規定するのだろう。ただ格差社会だというだけでは絶対に解読不明な現代人の闇は一つずつ丹念に光を当ててみるしかない。この作品からは、そんな覚悟すら感じ取れる。踏みはずしもしない、近道も選ばない、中村文則さんの作家としての姿勢がよく伝わってくる作品だった。