S・ケリー / ロストブックス

ここから「本の本」を読む。ここ一ヶ月くらいの間に買って未読のものが何冊かあるのだ。
桜庭一樹さんの『少年になって本を買うのだ』と「書店はタイムマシーン』も面白そうだけど、後者が文庫待ち。どうせなら二冊まとめて読みたい。


【スチュアート・ケリー / ロストブックス 未刊の世界文学案内 (288P) / 晶文社 ・2009年(091018-1022)】
THE BOOK OF LOST BOOKS by Stuart Kelly 2005
訳:金原瑞人・野沢佳織・築地誠子


内容紹介(晶文社ワンダーランドより)
 世界的文豪といえど、出版されるはずで日の目を見なかった「失われた本」をもっている。名だたる文豪たちの伝記的側面を追いながら、知られざる本・企画を紹介していく。世界文学の総合案内書であるとともに、雑学的面白さを兼ねそなえた一冊。登場する作家は、ホメロス、ダンテ、セルバンテスシェイクスピアゲーテバイロンディケンズメルヴィルドストエフスキーカフカヘミングウェイ…他多数。


          


古典的名作を残した文豪たちの陽の目を見なかった幻の作品を探る、文字通り「失われた本の本」。原稿消失、著者の死などで未完のまま途切れてしまったもの、あるいは書くといって結局書かれなかった作品など未刊の経緯に光を当てて25人の著名作家の素顔に追った本でもある。


実は半分ぐらいしか読んでいない。
ホメロスから年代順に二十世紀の作家まで並べてあるのだが、ちょっと幅が広すぎて。紀元前、ギリシャ・ローマ時代の詩人(叙事詩)なんて、その存在そのものが神話的なのだし、口承文学だったりしない?その未発表作といわれても…
それから中世の『神曲』のダンテ、『カンタベリー物語』のチョーサー、シェイクスピアと続くのだが、古典とはいえあまりに古く、現代のいわゆる「作家」像とはかけ離れた時代の話にこちらの想像力が(世界史の学力も)ついていけず、前半はあまり興味を惹かれなかった。
数々の名戯曲の一部は別人の作だという説が未だに根強いシェイクスピアについても、専門の研究が続けられているのだからここで俎上に乗せなくても、と思ってしまった。『カラマーゾフの兄弟』に続篇があったとするドストエフスキーも然り。
自分が興味を持って読めたのは、より馴染みのある十九世紀のゲーテ以降の作家たちだった。


真っ先に目を通したのは、もちろん「アルチュール・ランボー」の章。山田正紀イリュミナシオン』に出てきた『夜警』に該当する未発表詩について何か書いてあるかも、とちょっとわくわくしながら読んだのだけれど、たいしたことは書いてなかった。まぁないだろうとは思っていたけど。
考えてみればランボーだって死後百年以上、これまで多くの専門書が出ている。だから、ここで「ちょっとお名前拝借」みたいな取り上げ方をされていても何ということもない。
ここに書いてあるようなことより(たとえフィクションでも)山田正紀さんの方がランボー像に熱く迫っていたと思える。なにしろ人類の未来がその詩に賭かっているのだとして400頁の小説を書いてしまうのだから(笑)
本当に全てを知りたいと思うほどにその作家に興味があるのならば、専門書も含めて自力で可能な範囲で探してみたっていいのだ。肝心なのは、想像力を刺激するかどうか。アプローチの方法はまったく違えど、『イリュミナシオン』の方が『ロストブックス』のランボーより、はるかにランボオ・ミステリをかき立てる熱をはらんでいる。


面白かったのは『白ナイル』のリチャード・バートンヘミングウェイの章。
ナイル川の源流を辿った英国の探検家であり名著述家、サー・リチャード・バートンはヨーロッパ人として初めてイスラムを巡礼しエチオピアに入るなど、数々の歴史的探検をした。『アラビアンナイト』を英語完訳したのも彼である。その冒険的人生を送った彼の死後、膨大な遺稿があるはずだったが、彼は妻への遺言で、全てを焼却するよう指示していたのだった。(ジョン・ダニング『失われし書庫』はそんなバートンの幻の本をめぐるミステリー)

ヘミングウェイは作家デビュー前の若かりし頃、大量の原稿を収めたスーツケースごと盗難にあった。書いていた全てを失い、一から書き直さねばならなくなった。もしかすると我々が今あのヘミングウェイを読めるのも初期作品を失くしたあの事件があったためかもしれない。


あとがきで金原瑞人氏が明かしたところによれば、原書は七十九人の作家を取り上げた大著であるらしい。それを絞り込んでYA向けの編集がなされて日本版の『ロストブックス』として刊行にこぎつけたのだという。

本書は文学評論でも研究書でもないので、著者のいかにも英国的人なゴシップ風主観がけっこう目立つ。取り上げられた作家はもちろん全員故人であって、いまさら何を言っても問題ない気安さがちょっと気になるところでもある。
どの章も作家の小評伝風にまとめられているので、手っ取り早くその作家を知ることもできるし、ちょっと変わった名作案内として読むことも可能だろう。そのつもりで気楽に読めば、自分ももっと楽しめたかもしれない。

考えてみれば有名・無名を問わず、どの作家にも未発表作はあるのだ。世に出ている作品は出されるべくして出たと考えるなら、発表に至らなかった書き物を探ることはプライバシーに踏み込むことにもなるし、純粋な読書の愉しみとはちょっと違う。著者の死後、未発表作品が競って出版されるのも、多くは出版側の都合であって必ずしも著者の意に即したものばかりではないというのも、この本からうかがえる。
たとえばどこかに捨てられていたスーツケースからどうしようもなく下手くそな小説が見つかったとしても、それがヘミングウェイヘミングウェイたらしめる作品かどうかが問題なのであって、そうでなかったのなら、ただ墓をあばく行為でしかない。
その作家像は出版された物を通して成り立っているのだから、まずは残された作品をしっかり読め!ということなのだろう。