田中栞 / 古本屋の女房

これは夏にブックオフでたまたま手に取って買ってあった本。そのうち読もうと思っていたら九月に『書肆ユリイカの本』が出て、同じ著者だったのに気づいた。


【田中 栞 / 古本屋の女房 (222P) / 平凡社・2004年(091026-1028)】


内容(「BOOK」データベースより)
 憧れの古本屋さんと結婚。子連れで古本セドリ旅行の日々、売上げ不振のゴタゴタから離婚を考える…。女房が初めて綴った痛快エッセイ。


          


自称「パラノイア的古本フェチ」である著者は書誌学関係書の出版社に就職後も休日は古本屋めぐりを欠かさなかった。ある日、地元横浜で小さな古本屋を見つけて店に入ると見覚えのある顔が。学生時代にアルバイトをしていた書店にいた田中さんが独立して、その古本屋〈黄麦堂〉を開店していたのだった。著者は古本屋の女房になった。
他書店の本を自分の店用に買うことを「セドリ(=背取り)」というのだが、もともと古本買いが趣味だった彼女は〈黄麦堂〉の仕入れ担当にもなったのだった。
子供が生まれると子連れでセドリ行脚をするようになるのだが、この様子が凄まじい。狭い店内に雑然と積み上げられた本の山。小さい子供が喜ぶ場所であろうはずがない。自分も子供を気にしていては本を選ぶのに集中できない。しかし著者の場合、子供がいるから行かないとか買うのを減らすという選択肢は端からないのだった。子供がぐずろうが何だろうが時間がある限り一軒でも多く店を回ろうとする。買い込んだ本はコインロッカーに放り入れて店から店へとハシゴして百冊以上を買って帰る。子供を連れて重い戦利品を運ぶ姿に自虐と偏執を見るのだが、本人はいたってあっけらかんとしているのである。


そんなに買い込んだところで実際に店頭でそんなに売れるものだろうか?と心配になる。〈黄麦堂〉は専門店ではないので全部が全部高価な古書なのではなく、あくまで店置きのためのコミックや文庫もかなり買っているようではあるけれど、それにしてもすごい買い方なのだ。雑誌から専門書まで何でも買う。ボーイズ・ラブ小説も買う。平成十二年に子連れで神戸・大阪の古本めぐりをしたときには五日間で五十五軒を回り二百六十冊の本を買っている。
〈黄麦堂〉が引っ越して新店舗を構えたとき、自動ドアにしようと見積りを取ったら百万円オーバーだったので断念したとある。『書肆ユリイカの本』では百万円以上のユリイカ本を数冊買ったことが書かれていたけど…。あ、本にならいくら出してもいいのか(笑)


男性店主による古本屋さんの本は数あるけれど、この本の面白さは女性による古本業界の実態が読めるところ、、、なのではない。
こんなことは一行も書かれていないが、古本を漁るときの著者の目と頭の回転ぶりは同業者のそれとは違うのではないか。むろん女性ならでは、というのとも。タイトルを追いながら高速スキャンして次々とインプットしつつ脳内の巨大な書庫への記憶と抽出を繰り返す。手に取るまでもなく、その本がいつの、どの出版社の、相場価格がいくらぐらいのものかが瞬時にわかって、次の本に視線が移動したときには〈黄麦堂〉か〈自分用〉かの分類もされている。
古本屋としての鑑識眼だけでなく、編集・校正経験や造本・印刷に関わる豊富な本の知識と、古本屋めぐりで鍛えられた彼女独自の眼識が、このとき強く働いているのではないか。


二人の子供はすっかりブックオフでくつろぐのが好きになってしまい絵日記には各地のブックオフの絵ばかりが描かれているというような、笑っていいものか迷うような親バカ話も満載の古本に関する面白エッセイなのだが、『書肆ユリイカの本』を読んだあとでは、むしろ著者の古本屋さん以外の素顔が気になるのだった。
読んでいると東京製本倶楽部、蔵書票愛好家、句読点研究会(これは校正者の集まりだろう)、書皮友好協会(書店カバー蒐集の愛好会)などなど怪しげな単語がちょこちょこ出てくる。
特に面白かったのは蔵書印の話。篆刻教室に通い始めた著者は「古書三昧」「古本屋冥利」「二束三文」「適材適書」「一書懸命」「四面書架」なんて文言をひたすら彫っていたのだそうだ(笑… この中のどれかをブログタイトルに使えばいいのにと思った) こんなユニークな面は『書肆ユリイカの本』では微塵も感じさせない。

本書の発行は2004年11月。五年前なのだが、この本にはまだユリイカの「ユ」の字も出てこない。(いや一冊だけ、古書価三千円の格安本を見つけた短い記述はあった)
書肆ユリイカに直接つながるところはないのだが(季刊「銀花」を集めているという一行はあった)、この人が五年後に『書肆ユリイカの本』を造るという気配は、確かにうっすらとある。
二章「古本屋めぐりは子連れで」の記録魔ぶりも、そういえば『書肆ユリイカの本』四章に似ている。それから多分、データリスト魔でもあることもうかがわれて、それも後のユリイカ誌研究に現れる著者の特質に思える。

出版のいきさつのみならず、その本がどこで売られてどんなルートで自分のもとにやって来たのか、そんな一冊の本の流亡にまで興味がありそうな田中栞さん。また何か本か古書に関する凄い本を書いてくれそうな人である。