宮下奈都 / よろこびの歌

『書棚と平台』を見てみたくて地元で一番置いていそうな本屋に行った。\2940とちょっと良い値なので見てから買おうと三千円持っていったのだが、やっぱりなかった。
でも、宮下奈都さんと中山可穂さんの新刊をみつけた!
どれどれ、宮下さんの『よろこびの歌』はまた短編集か、と開いてみる。目次に目をやると、おや?…カレーうどん、バームクーヘンにサンダーロード、最後は千年メダル?これって……ハイロウズじゃん!!!

見つけて手に取って、嬉しくなって買う。早く読みたくて車ぶっ飛ばして帰る。『書棚と平台』なんて頭から消えてる。こういう楽しみはアマゾンでは体験できない。


【宮下奈都 / よろこびの歌 (208P) / 実業之日本社・2009年(091102-1104)】


宮下奈都とTHE HIGH-LOWS。水と油に思えるんだが。いったいどんな話なんだろう。
喜びいさんで帰ったものの、いざ読む段になって不安がよぎる。青臭い学園青春ものは苦手だ。しかもこれは女子高生の話みたいだし。それにハイロウズをどう絡めてあるのか、ハイロウズの曲が元ネタの小説とかだったらあまり読みたくない。もしかしたら、がっかりすることになるかもと疑心暗鬼なまま読み始めた。
結果的にはハイロウズを好きな生徒と教師は出てくるが、ハイロウズの楽曲が大々的にフィーチャーされてるわけではなく、特に重要な鍵として扱われているのでもなかった。七つの短篇それぞれにハイロウズの曲タイトルが付けられているだけなのだった。


          


声楽家志望の御木本玲(みきもと・れい)は音大附属高の受験に失敗して私立の普通科高校に進学した。それまで音楽一筋に生きてきた彼女は目標を見失い、心を閉ざしたままぼんやりと高校生活を送っていた。二年の秋の合唱コンクールでクラスの指揮を任されたのだが、結果は散々な出来だった。
この一話め〈よろこびの歌〉がちょっと弱い。それまでまったく自己主張をしなかった彼女が指揮者を引き受けるのは唐突な印象だし、彼女の才能がどれほどのものだったのか、伝わっていないので。
まさか合唱コンクールハイロウズを歌うとか!?とついつい妄想が先走ったりしたが、そんなアホなことがあるわけはなく、妙に普通の展開なので肩すかしを食った気にもなった。
それが、二話め以降、〈よろこびの歌〉でパッとしなかったはずのクラス合唱とその後日譚が五人の同級生たちの目線で語られていき、単色だった物語が微妙な色合いを帯びてくる。
彼女たちはそれぞれに自分が望んでここにいるのではないと思いながら高校での日々を過ごしている。合唱コンクールだって数ある行事の一つで、適当にやり過ごせばいいはずだった。なのに心がざわついて仕方がないのだ。これまで「おとなしい子」でしかなかった御木本玲が初めて自分たちの前に出て指揮棒を振る姿を見ると…
それぞれの視線で合唱に向かう姿と心の変化が描かれていき、七話めで再び御木本玲に収束していくという構成。一話ずつ独立して読むと詰めの甘い箇所や気になる部分があったりする。連作短篇集ではあるけれど、七篇通して一つの物語として読んだ方が全体の輪郭がはっきりとわかる。


考えてみれば同じ高校を受験して同じクラスになるというのは「たまたま」なのだ。そもそも子供は親を選んで生まれてきているわけではないし、学校を出ればどうせ上司を選べない職場で働くことになるのだ。生まれる場所を選べないでスリ師以外の人生が考えられない中村文則『掏摸』に比べると、本当に青臭い高校生たちの話なんだけど、宮下さんは登場人物ひとりひとりの心の奥に沈められたままのものを丁寧にすくい取って「たまたま」で終わらせないように舵を切る。
家庭事情というけれど、どんな家庭にもその家に生まれることの特権がある。振り分けられてたまたま同じ教室にいるだけのクラスにも、そこにしかない特権があるはず、と気づかせてくれる。そのことに気づくのは、たとえば同級生がハイロウズというバンドを好きなのだと知ることであったり、中学時代はすごいピッチャーだったのを聞く、そんな些細なことからなのだ。
そんなちょっとしたきっかけで同級生の顔が違って見える。昨日までの景色が違って見えてくる。新しい自分や彼女を互いに見つけることで、彼女らの頬に少しずつ紅が差してくる。歌声はどんどん豊かになっていく。ゆるやかな、だけど確かな変化を描出してみせるのは、宮下さんの腕の見せどころだ。


周りに同調しないミステリアスな孤高の存在の心を開かせるのは、いつでも邪心のない純粋な者だと決まっている。けなげで一生懸命な原千夏はまさにそういう子で、彼女が玲の頑なな心を熔かしていく。
その彼女がハイロウズ好きだというのが良い。軽音楽部のパンクス気取りやマーシーに憧れるギターキッズではなく、もう少し上手く歌えるようになったら合唱部に入りたいという、うどん屋の娘がハイロウズが大好きだという設定は、まったく正しい。


  ♪音楽室のピアノでブギー、ジェリー・リー・スタイル / 骨身をさらけ出したその後で 散文的に笑う
    心のない優しさは敗北に似てる / 混沌と混乱と狂熱が俺と一緒に行く 〜 ザ・ハイロウズ‘青春’


そうなのだ。これはロックバンドなら何でもいいわけじゃない。ブルーハーツでも違う。ありったけの愛情とリスペクトをこめたハイロウズでなければだめなのだ。
読み終える頃には宮下奈都とTHE HIGH-LOWSの組み合わせがちっとも不自然ではなくなっていた。

千夏がおずおずと、でも明らかに胸を弾ませて紙袋から出して見せた肌色のテキストが、目に焼きついている。それを使って何が行われるのか、ひとりの同級生をあんなふうに夢中にさせるのは何なのか、見てみたい。


千夏チャンはいつかハイロウズのライブに行くことが出来ただろうか。ライブの開始を待ちかねて騒然とした客席に自然発生的に沸き起こる“Go,High-Lows Go!!”を野郎どもと一緒に叫んだだろうか。
もしかしたら、ブルーハーツハイロウズクロマニヨンズまで知っている自分よりも、彼女のほうが一音一音を大切に聴いていたのかもしれない。とぼけた曲調の‘バームクーヘン’がこんなに素敵な歌詞だったとは今まで気づかなかった。
クロマニヨンズがまたツアーに出る。どこかの会場に大人になった千夏チャンも来るだろうか。そして、宮下さんもきっと…?

『よろこびの歌』の感想なのか、ハイロウズについて書いているのかわからなくなってしまった。
最終話〈千年メダル〉のラスト、P201〜P202にかけて出番前の玲の音楽に対する新たな気持ちが書かれている。ここの「歌」を「小説」に、「歌う」を「書く」に変換すると、著者の心情そのものになる。(…というのは深読みしすぎだろうか?)
自分の中でハイロウズの記憶が更新されることはもうないだろうと思っていた。それが思いがけずこんな形で、好きな作家の小説という形で新たな1ページが加わったのが嬉しい。ありがとう宮下さん、HAPPY GO LUCKY!!


写真のCDはバームクーヘン・ツアーのライブ六曲を収録したミニ・アルバム“GO!ハイロウズGO!” 1999年だから、もう十年前になるのか(泣) 疾走する‘モンシロチョウ’〜‘ハスキー’の3分間R&Rメドレーがたまらなくカッコいい!‘ガタガタゴー’の「くたびれたんなら●●●でもやれよ、マッキー!」というマーシーの投げやりヴォーカルの炸裂にもいまだに唖然とさせられる。今なら「のりピー」だけど(笑)