中山可穂 / 悲歌 エレジー

ここに書こうとして今更ながらに気づいたのだが、一緒に買った二冊は『よろこびの歌』と『悲歌』。宮下奈都と中山可穂。作風も文体も180度違うお二人なのだが、タイトルもまさに正反対!
中山可穂ファンの男性読者というのはどれくらいいるのだろうか?美人店員さんのレジカウンターに置くとき、なぜかとっさに『悲歌』を下にしてしまった。こういう楽しみはアマゾンでは味わえない。


中山可穂 / 悲歌 エレジー (246P) / 角川書店・2009年(091105-1107)】


          


・内容紹介
 骨に染みいり血が滲む、絶壁のような険しい孤独。追い詰められた魂。私は愛してはいけない人を愛してしまったのか―。能楽のストーリーにインスパイアされた物語3篇をつむぐ傑作恋愛小説集!

(いずれも「野性時代」に発表された〈隅田川〉〈定家〉の短篇二本と中篇〈蝉丸〉を収めた作品集)


首ねっこをぎゅっと掴まれて強引に引きずり込まれるような出だし。〈隅田川〉はのっけから中山可穂ワールド全開でかましてくれる。濃密とか激情とかを一気に超えていきなりの過剰な暴走感に眩暈がする。釘付けにされて喜んでいる自分がいる。

瞳のなかにたまった涙をガソリンにして、ふたりは青く強い炎を燃やしていたのである。見た瞬間にこちらの目をも焼き焦がしそうな、それは烈しく揺るぎのない炎でありながら、しんとした静けさに満ちていた。

発射された弾丸、暴力的な純愛、輝くけものは帰るべき森を持たず、人間の都会を駆け抜けて隅田川に飛び込んでしまった… 前半はこの鮮烈なイメージで「勝負あり!」という感じだった。
それが女性同士で身投げして死んでしまった女の子の父親だと自称する「ばらの騎士」へと焦点が移る後半、冒頭のエネルギーは拡散されて、代わって伝奇的な展開を見せる。


不可解な死を遂げた作家の評伝を書くために、その作家が死んだマンションを訪れたライターが意外な真実にたどり着く〈定家〉は落ち着いて読ませる好篇。ホラーサスペンス風の展開を予感させつつ、後半の現実的な密室劇とそこで明かされる二組の愛の深さに息を呑む。
死んでしまった愛人の魂が降らせるしめやかな雨、墓石に絡みつく赤く色づいた蔦蔓のイメージも鮮烈だった。「永久初版作家」(!)と呼ばれたマニアックな作家の遺作をめぐる憶測と真実もサイドストーリーとして興味深く読めた。

もう二度と離すまいとするかのように、こうして蔦蔓となって墓に絡みついている。その姿はまるで色白の女性の裸体に抱きつく男の血管のようだった。

この二作品は現世で結ばれないならあの世で添おうと生き急いだ者たちの破滅的な愛を、それを見つめていた残された者が悲しみとともに描くという共通の骨格を持つ。隅田川の濁流に押し流されてくる大量の薔薇と、夏なのにそこだけ毒々しく紅葉している蔦の赤味が象徴的な残像を残す。
うん、これはいいぞと次の作品にも期待を持ったのだが…


で〈蝉丸〉なのだが、。これは最近書かれたものなのだろうか?だいぶ前に書かれてお蔵入りかボツだったものを引っぱり出してきたのかと疑う。(初出は今年の「野性時代」八月号で、九月号に〈定家〉が掲載されている)
『ケッヘル』でも触れられていたカストラートとかアンコールワットの壁画などを絡めた中山さんらしい世界観はうかがえるのだけど、主人公の三十男が最初から最後まで「何だこいつ?」と思うような珍奇さで×。少女に「初恋の方はどう?」と訊いたり「恋愛を知らないでラブソングが歌えるのか」みたいな、近頃のマンガでもめったに聞けないような迷セリフを吐いて、同姓として受けつけられなかった。婚約者でなくとも叫びたくなる「ふざけないでよ!」 
ストーリー自体は悪くないし、せっかく蝉丸、逆髪という魅力的なキャラクターを創っておきながら、この気持ち悪い男のせいで全部台無し。これってどういうこと?ただ男を書くのが下手というだけじゃないような気がする。


そういえば『ケッヘル』でも、ものすごくロマンチックな情愛を下世話な現実が干渉していて邪魔だった。モーツァルティアンと芸術家の物語としてまとめてくれればもっと純度の高い作品になっていたと思うのに、ケッヘル番号殺人事件みたいな謎解きが絡んで冗長になると途端に集中力が切れてしまうかのような整合感の欠如が気になった。〈蝉丸〉だって姉弟の物語だけで十分小説として展開できたはずだ。
一つの作品の中に、ぎりぎり魂を削る深い情愛と見慣れたチープな現実が同居する、そんな振り幅の大きさが中山可穂らしさになってしまってほしくない。
好きでもない作家のまあまあの小説を読むぐらいなら彼女の駄作を読む方がマシ、と思っているところが自分にはあって、一行必殺の「あぁ中山可穂だ」と感じさせてくれるフレーズが味わえればそれでいいとさえ思っている。
でも、成分100%中山可穂の作品が読みたい。短くてもいいから。殺人事件とかなくていいから。登場人物ぎりぎり絞り込んで、出てくるの二人きりでいいから。