青柳いづみこ / 六本指のゴルトベルク

青柳いづみこ / 六本指のゴルトベルク (257P) / 岩波書店・2009年(091114-1118)】


・内容(「BOOK」データベースより)
 『羊たちの沈黙』のレクター博士には指が六本あった!そんなエピソードにプロのピアニストは立ち上まる。音楽にこだわると、誰もが知っている小説に新しい世界が拡がってくる。クラシックは苦手、という読者も、小説の中で紹介されている音楽を聴きたくなってくる。音楽と文学をむすぶ絶好の読書案内。『図書』好評連載の単行本化。


          


音楽を扱った映画や小説をピアニストである著者が同業者目線で解説する面白エッセー三十篇。ピアノと演奏者、音楽教育事情に関するトリビアも満載で楽しく読めた。
クラシックの演奏家がまともな人種じゃないのがよくわかるのだが、なるほど変人でなければやってられないのも納得させられた(笑)

だいたい、彼らは演奏技術以前に、まず楽譜を丸暗記しなければならないのだ。大作曲家の書いた作品を完璧におぼえて聴衆の前で暗譜で演奏するだなんて、考えてみればそれだけでももの凄いことだ。失敗すればクラシック界では一大事件になってしまう。ポップ歌手が途中で歌詞を忘れたとか間違えたという次元ではない。演奏家人生もそこで終止符が打たれてしまうだろう。
当然ながら譜面どおりに演奏し弾ききることは前提であって、そのうえで独自の解釈による美しい演奏を披露しなければならない。それを生業とする音楽家の「完璧病」に焦点を当てた文章が多い。(「完璧な演奏」の「完璧」をめぐっての考察も語られている)
超絶技巧で世界中の演奏家たちの頂点に立つ人々というのは、そのテクニックはもちろんだが、人前で平然とそれをやってのける精神構造の面でも稀少な特別な人種なのだとも思えてくる。
こういうド素人目線と一流音楽家の間に立って「現実よりも音楽の方が正しい」彼らの世界を著者はわかりやすく橋渡しをしてくれる。

 ここで私は、ふたたび『レクイエム』のジェーンの言葉を思い出すのである。もう少しおだやかな音楽を聴きなさい、と彼女は忠告したのだった。ベートーヴェンの音楽は「暴力を内に秘めた人の激しい感情を呼びさましがちなものです」。


ミケランジェリは鍵盤のキーの深さをミクロ単位で測った。あるピアニストは楽器へのこだわりから演奏先に二台のピアノを持ち込む。精神を病んだエレーヌ・グレモーの話はショッキングだが、一方で彼女はそれも芸術家には欠かせない資質の一つなのだと語っている。キーシンがマザコンらしいというのは言われてみれば、なんとなくわかるような気もする。
これらの興味深い話が「ピアニスト・青柳いづみこ」が業界裏話を暴露するみたいなノリで書いてあるのだったら、これほど面白く読めただろうか?
こんなふうに書くと失礼になるかもしれないが、フィクション(小説の一場面)を触媒にして著者の知見が語られることで、リアリティはいっそう増して読者の音楽への想像をかき立てるのではないか。著者の側からしても、ライバルたちや大先生のことを直接書くよりもインスパイアされた物語を間にワンクッション入れることでより書きやすくなったのではないだろうか。
なにより元ネタにしているのが有名な評伝や音楽評論ではなく、現代小説、それもミステリーが多いのが良い。音楽ネタを仕入れるために本を探してきたという態度では全然なく、膨大な読書量の中から音楽ものだけをピックアップしてきたのが読んでいてもわかる。本業は音楽家だけれど本も好き、その後者が前面に出て軽妙な文章で音楽の魅力と魔力を伝えてくれる。

 かつては『ゴルトベルク変奏曲』の錯綜したテキストを見事に弾きこなした指が思うように動かなくなったとき、ピアノを不完全にしか弾けないという事実が短絡的に死とむすびついてしまうような思考回路、百でなければゼロに等しいというメンタリティも、ピアニストをめざして純粋培養されてきた身にはいたいほどわかる。


予想どおり、〈4.数字マニア〉では中山可穂『ケッヘル』が、〈20.カストラート事情〉では皆川博子『死の泉』が紹介されていた。
知りたいと思っても案外見聞きすることのない「クラシックとジャズ・ピアニストの違い」にも触れている。同じ楽器を使っているのに演奏スタイルがまったく違うのが不思議なのだが、調律そのものが違うらしい。何でもバリバリ弾けてしまいそうなあのアルゲリッチでさえ、インプロヴィゼーション(即興)で弾くことはできないのだそうだ。
ビル・エバンス・トリオをモチーフにしたらしいクリスチャン・ガイイ『ある夜、クラブで』はぜひ読みたい!奥泉光『鳥類学者のファンタジア』も面白そうだ。
フランス革命の当日に三人の芸術家が何をしていたのかを検証した小説、ギィ・スカルペッタ『サド・ゴヤモーツァルト』にも惹かれたが、これは佐藤亜紀さんも読んだのだろうなと推測。

で、ふと思ったのだが、この本で紹介されている、プロの演奏家も舌を巻く音楽小説を書く作家というのも凄いものではないか。もちろんミュージシャンや関係者への綿密な取材をもとに書いているのだとしても、音を活字にして読者に音楽が聞こえるような文章にしてしまうのだから。
楽家の世界に肉迫し(たとえ想像上でも)演奏者の心理を疑似体験するのであろう作家という人種もまたたいしたものだとあらためて思った。そういえば小説家にも変人が多いと聞くが、それもやはり芸術のため?(せいぜい締め切りとかスランプとかその程度でステージに出る前の演奏家ほどのプレッシャーではないと思うのだが…笑)