T.E.カーハート / パリ左岸のピアノ工房

『六本指のゴルトベルク』を数章読んでから、この本を読む、という一週間だった。おかげですっかりピアノ通!?

昨日(11/19)の夜、まったく偶然なのだが地元で「プレイエル・ピアノと弦楽による十九世紀の響き」と題されたレクチャーコンサートが開かれた。仕事で行けなかったのだが、今日の朝刊の地元版に写真入りの記事が出ていた。1830年代にショパンが愛用したのと同じ赤茶色のグランド・ピアノが写っていて、軽くて柔らかい音色でショパンの名曲が演奏されたとのこと。まさにこの本にぴったりなコンサートでプレイエルの解説もあったようなので、行けなくて残念!


【T.E.カーハート / パリ左岸のピアノ工房 (318P) / 新潮クレスト・ブックス・2001年(091116-1120)】
The Piano Shop on the Left Bank by T.E.Carhart 2000
訳:村松


・内容紹介
 セーヌ川の左岸にあるひっそりとした裏通りに、そのピアノ工房はある。本書は、パリに住み着いたアメリカ人の著者がこの店の扉をノックし、ピアノという楽器の深遠な世界に入り込んでいくさまをつぶさに描いている。ショパンの好んだプレイエルや豪華なスタインウェイなど、古今東西の名器がこの工房に集まり、再生されていく。ピアノをまるで生き物のように扱う職人との交流を軸に、ピアノの魅力をあますところなく描いている。
愛情溢れるパリの職人に導かれ音楽の歓びを取り戻した著者が贈る、切なくも心温まる傑作ノンフィクション。


          


一応ノンフィクションと謳われているし、なんとなく堅物のピアノ職人の話なのかと思って読み始めたのだが、全然違った。
パリに移住したアメリカ人の著者が、表向きはピアノの修理・部品販売ということになっている店の扉を開けるところから始まり、念願のピアノを購入してレッスンも受け始める。同時にその店の奥にある工房に出入りするようになり、店主リュックとの交流を通じてピアノの歴史と世界にのめり込んでいく様子が小説風に記述されていて24の各章がそれぞれ深い余韻を残す読み物になっていた。

まず、ただピアノを買いたいだけの著者が、パリ流というか素直じゃないというか、商売なのに客に不親切なフランス人気質というか、よそ者にはわからないパリ独特の不文律に戸惑うところが率直に書かれていて、これは文化の話でもあるのだなと予感させられる。
やっと店の奥に招き入れられて徐々に店主と親しくなるにつれ、当初希望していたアップライトではなく構想外だった大型のピアノに心が傾いていく様子がこまやかに描かれる。さんざん迷った末にいよいよ購入を決めるまで、「一生物」を買うときの不安な心理状態がとてもよくわかって、著者の部屋にそのピアノが運び込まれるまで途中で読むのを止めることができなかった。ピアノを運ぶ職人芸(?)には著者ともども驚かされて、無事にピアノが設置されると、こちらまで嬉しくなったのだった。



リュックのアトリエ(工房)の常連になった著者は、そこで数々の古いピアノが修理・再生、あるいは廃棄処分される過程を目の当たりにしながら、ピアノという楽器への造詣を深めていく。
ピアノは楽器ではあるが、家具でもあり現金化できる財産でもある。ひとたび家の居間に据えつけられると、その家族の行く末を見守る祭壇にもなる。
豪華な装飾付きのスタインウェイベーゼンドルファーのコンサート・グランドからメーカーも生産国も不明な無名のピアノまで、そのアトリエに流れ着いては出て行くピアノを見つめながら、著者は一台一台のピアノにヨーロッパの歴史を重ねて思いをはせないではいられない。
二度の世界大戦の戦火をくぐり抜けたピアノたち。持ち主が死んでしまったピアノ。焼け跡に残されたピアノ。ピアノを手放して逃げなければならなかった家族。あるいは家財と共に海を渡ったピアノもあることだろう。ヨーロッパの人々と同じように、ピアノも国境を越え人から人へと渡され過酷な運命を生き延びてきたのだ。

ピアノを手放したいという老婦人の話が悲しい。それは古い「おそらく五十年以上の間、1ミリも動かされていない」エラールで外観は年代のわりにはきれいだった。だがリュックが内部を確かめてみると、虫とネズミにボロボロに食い荒らされていて、持ち上げようとすればその場で崩れ落ちそうな代物なのだった。



著者が買ったのは1930年代のウィーン製のシュティングルだった。コンディションは上々で二十年のブランクを埋めるべくピアノに向かうのだが、演奏上の問題はないが一点だけ中古ゆえの欠陥があった。それをリュックに頼って質問責めにするのだが、このフランス人は忠告を付けて自分でやれと言う。この顛末も面白かった。
鍵を押すと音楽に翻訳してくれる複雑なメカニズムにも難解にならずに触れられている。
現代のピアノは八十八鍵だが、弦は二百本以上も張られている。低音の鍵には太い弦が一本だが、高音側は一鍵に三本の弦が張られていて、もちろん一弦ずつ調律する。ピアノの場合はメーカー、ことによるとモデル別に弦の太さや張力が違うので、ギター弦のような統一規格がなく互換性もないとのこと。
ハンマー、調律ピン、サウンドボード、アクション、金属フレーム。象牙の鍵盤。ケースの材質。無数のヴァリエーションがあって、また調律・整音によって音質も大きく変わる。
設置したらその環境(温度や湿度)になじんでそのピアノ本来の音色が出るまでは、しばらくは何度も調律する必要があるとリュックは言う。ピアノというのはつくづく生き物のようでもあると思わせられる。
ハープシコードから発展するのに音楽家の助言、要望は大きな要因になったが、中でも聴力を失いつつあったベートーヴェンは力いっぱい鍵を叩いて板の振動で音を聴きとっていたからよくピアノを壊した。晩年の彼が愛用したのはドイツ製でもフランス製でもなく、頑丈なケースで包まれたイギリス製のピアノだったそうだ(英国好きとしてはここは無性に嬉しかった!)



少年時代に受けたレッスンが嫌いでピアノから遠ざかっていた著者は二十年のブランクを越えて再びピアノを弾き始め、かつてないほどにピアノに熱中している。指は昔の方が速く動いたかもしれない。だけど今ピアノに向かい鍵盤に集中している時間の濃密さは、少年時代よりはるかに深く音楽理解に結びついているはずだ。
ピアノを所有すること、ピアノを弾くという選択がどれだけ人生にアクセントをつけるか、羨ましく思いながら読み終えた。
『六本指のゴルトベルク』では他人事としてピアニストのことを読んだのだけれど、この本ではレコードを聴いたり他人の演奏を聴くのではなく、自分の指で音符を音に変え音楽にする喜びをまざまざと教えられた気がする。
大袈裟な比喩がいかにもアメリカ的でピアノをめぐる物語とはミスマッチだったりするが(例えば「リストの演奏会のあとには壊れたピアノが散乱し、失神した婦人たちがごろごろ横たわっていた」なんて件り)、逆に文化的背景の違いがこのアトリエに素敵な、いかにもフランス的な物語を生み出したわけだ。
室内楽を聴いているとすぐ眠くなってしまう自分にはクラシックといえばドイツ・オーストリアという先入観が強くて、フランス音楽はピンとこない。だけどピアノに関してはドビュッシーラヴェル、サティを生みショパン、リストもパリで活躍したのだった。プレイエル、エラールという名ブランドと数々の名ピアニストも輩出しているこの国はピアノ王国なのだとあらためて認識。

著者のピアノは1930年代の製造だが、使われている木は十八世紀に植えられたものだという。良質な木材を得るために長い年月をかけて伐採と植林を繰り返し、切り出して数十年かけて乾燥させてから、加工される。音が悪いわけがないではないか。ピアノという木工製品を芸術品に昇華させてきた長年の人間の企みと叡智にも敬意を表したくなる一冊。良かった!