ジャック・ロンドン / 火を熾す

柴田元幸翻訳叢書 ジャック・ロンドン / 火を熾す (245P) / スイッチ・パブリッシング ・2008年(091124-1128】


・内容紹介
 「ジャック・ロンドンは小説の面白さの原点だ」柴田元幸
Coyote誌上で連載中の「柴田元幸翻訳叢書」 その単行本化第一弾はジャック・ロンドン。『白い牙』『野生の呼び声』の著者として名高いロンドンは、短篇小説の名手でもある。極寒の荒野での人と狼のサバイバル「生への執着」、マウイに伝わる民話をモチーフにした「水の子」、訳し下ろし「世界が若かったとき」など、小説の面白さが存分に味わえる珠玉の9篇を収録。


          


ユーコン川分水嶺エスキモー犬、エゾマツの林。ゴールドラッシュ期のカナダ〜アラスカを舞台としたジャック・ロンドンおなじみの世界が広がる冒頭の‘火を熾す’。「巨大な冷凍庫」と呼ばれる極寒の大地を採鉱地めざして一人さまよう男がじわじわとパニックに陥っていく心理を淡々と描写するだけなのに目が離せない。零下五十度の世界にいる男の「こいつは確かに寒いな」というつぶやきが何度か出てくるのだが、そのトーンが次第に変わって余裕を失っていくさまがつぶさに描かれる。始めの実況中継を見ているような錯覚から、男の身に起こっていることがひどく生々しく自分にも起こっているかの実感に襲われる。その感覚で身体は妙に熱っぽかった。だが一気に読み終えたとき、急に肌寒さに身震いしたのは、その夜が特別冷えこんでいたせいではない。


徹底的なリアリズムで雪原に倒れて生死の淵を漂う同傾向の作品が他に二本あって、そちらはオオカミ絡みでもある。最後に収められた‘生への執着’もやはり飢えと寒さとの闘いに疲れ果てた男の物語ではあるのだが、自ら群れを去ったと思しきはぐれオオカミの方により強く感情移入をして読んだ。ジャック・ロンドンは「弱きオオカミ」までも描いていたのだった!

彼は見た、きらっと光る灰色の群れを、ぎらつく目を、だらんと垂れた舌、涎に濡れた歯を。そして彼は見た、容赦なき輪がじわじわ閉じていき、ついには踏みにじまれた雪のなかの暗い一点と化すのを。


それから、ボクシング小説の二篇も忘れられない。資金難で武装蜂起できないインディオ系メキシカンの革命組織に現れた得体の知れぬ少年の正体は…。前半と後半とで別々の作品のような‘メキシコ人’はボクシングを通じて土地を奪われた貧しい農民の怒りと白人への激しい憎悪が伝わってくる。義憤に駆られてリングに上った少年は約束どおりのファイトマネーを手に入れられたか。想像すると暗澹たる気持ちになる。
一方、‘一枚のステーキ’は老獪なボクサーが主人公の、だけどそのまま若者と大人の世代間の闘争にもなぞらえることができる作品。後半はひたすら試合場面なのだが、ジャーナリスティックな精緻な攻防描写で臨場感はF.X.トゥール『テン・カウント』(ミリオンダラー・ベイビー)みたいだ。もちろんロンドンの方が何十年も早いのだが。

時おりフェイントをかけ、パンチの重みを受けると首を横に振り、鈍そうに動くだけで、決して跳んだりはねたり、少しでも力を無駄遣いするようなことはしなかった。まずはサンデルに若さのあぶくを吐き出させて、それからじっくり、長年の経験を活かして反撃にかかるのだ。


意外にも透明人間や野獣化する男を主人公にしたSF/幻想的な異色作品も二本収められていて、二百以上の短篇を書いたとされるジャック・ロンドンの知らなかった側面を見ることも出来た。と同時に、十九世紀末から二十世紀初頭の英米文学の潮流の一端も垣間見ることもできた。ジャック・ロンドンでさえウェルズの模倣をしたくなったらしいのが可笑しい。ちょっとオー・ヘンリーっぽい趣が感じられる作品もある。
しかし、やはりなんといってもシンプルなドキュメンタリータッチの作品にロンドンの魅力はあることを再確認。劇的な展開やどんでん返しなどなくても読ませてしまうのが作家の力量だとしたら、まさにお手本というべき作品集だった。
自身の波乱に満ちた経験から得た深い人間洞察の賜物。自身も所属する白人社会を外側から見つめるアウトサイダーの視線。残酷な現実を前に力尽きる姿に同情的だったりロマンを匂わせたりは絶対にしない。だが、必ず最後まで冷徹に見届けることで、そうすることでしか表現できない歪みのない真実に近づける。作家の仕事というのはこういうものだろうとも思わされる。


※話はそれるけど、最近「使い捨てライターを子供が誤使用して火事が多発、経済産業省が安全基準を作成し規制する方針」というニュースを聞いた。今の子供たちは生活の中で火を扱うことがないのだろうし、怖さも知らないのだろう。とすると、これは親の問題であり教育の問題でもあり、文化の問題なのだとも思う。
これでまたぞろ「○○対策委員会」とか天下りの検査機関とかがつくられて、自分らの生活スタイルの軟弱・脆弱化を何ら省みることなく政策の一つとして解決した気になる。水・火・空気に無意識な社会のこういう流れこそ、「無駄」を生んでいるように思う。
マッチ一本の貴重さを自分も忘れつつあるのを、百年前のジャック・ロンドンは思い出させてくれる。