C.ローゼン / ピアノ・ノート

【チャールズ・ローゼン / ピアノ・ノート (241P) / みすず書房・2009年(091122-1201)】
PIANO NOTES by Charles Rosen 2002
訳:朝倉和子


・内容紹介
 世界的なコンサート・ピアニストであり西洋音楽史と文学に詳しい理論家が、80歳を目前にしてその経験と知恵を結集した、味わい深く痛快なエッセイ。ここにはピアノ演奏の苦しみと歓びが、演奏家、定年でピアノを始めた人、CDでもっぱら聴く人、みんなのために書かれている。「もし、ピアノの栄光と衰退のすべてを語る本を一冊だけ本棚に入れたいなら、これがその一冊だ」(ニューヨークの書評紙)


          


たまたま職場で目にした朝日新聞奥泉光氏の書評が出ていて「ピアノを弾かない人でも楽しく読める」(←うろ覚え)みたいなことが書いてあって、それならばと勢いで買ったんだけど、やっぱり中身を確かめないで買うと(アマゾンで購入)失敗する。というか奥泉氏とはレベルが違うだろ。
始めの数章は音楽史と理論、演奏技術についての専門的学問的な考察がメインで、ピアノ弾かない&対位法とか和声進行とか平均律とかの用語わからん人間にはハードルが高い。ご丁寧にも楽譜まで載せて解説されているのだが、とても従いていけない…
何度もギブしかかったが、それでも今年買った本の中で二番めに高い本(\3,360。シリーズ物や上下巻などを除いて)なので、というわけでもないが、粘った。難しいところは流し読み。たいがい読んでいるうちに眠ってしまったのだけど。

美しい音質を生む真の原動力は演奏者のミュージシャンシップと知性である。ピアノを教えるとき強調すべきはこの点であって、いい響きを得るための純粋に機械的・技術的メソッドがあるという思い違いではない。


それでも四章以降は音楽学校とコンクール、レコーディングやコンサートに関する、聴くの専門の自分にも興味の持てる内容だったので、なんとか読むことができた。有名ピアニストの逸話の数々は青柳いづみこさんのピアノ本と重なる部分も多くて、ひそかに期待していた部分でもあったのだが。

世の中には二種類のピアニストがいる。とてつもない演奏をするかと思えば、まったく別人のようにぼろぼろのひどい演奏もするピアニストと、いつでも破綻のない、まとまった演奏をするピアニスト。ホロヴィッツ、ルーヴィンシュタイン、ゼルキンらは前者だった。コンクールでの入賞を目指すピアノ指導はどうしても画一的でレパートリーの狭い音楽家をつくり出す。ピアニストは断固として自分が好きな音楽を、それも独自の解釈を加えうる音楽を選んで演奏すべきだと著者は説く。
楽譜どおりに弾くだけならば単なる指の運動にすぎない。誰が弾いても同じはずだ。では、その運動を音楽たらしめる要因は何か。これこそがピアノという楽器の最大の謎であり魅力なのだろう。
自らが教育的立場にもありながら、教則本や定説に縛られないで音楽の本質を追究すれば良いのだとする著者の筆致は明確で含蓄に富む。手の大きさ、指の長さの違いなどの身体性や演奏に大きく影響する椅子の話題(グレン・グールドの椅子!)からレコーディング時の修正作業にまで話は及ぶのだが、結局はピアノの魅力について語っているのであって、しかし第一線で活躍してきたプロ演奏家の言葉だけに説得力がある。言葉を越えた芸術たりうる音楽を言葉で表現しようとするのは演奏者以外にはできない。音楽的に詳しいことはわからないにしても、これはその好例であるのはわかる。文章も書ける演奏家が書いた、というのではなく、まぎれもなくピアニストが自身を見つめて書いたものなのだ。

 反復をくりかえすと、もうひとつ奇妙な問題が起きる。アクションの状態が悪いと、そっと弾いた音が跳ねかえってもう一度鳴ってしまうのだ。グレン・グールドはこの効果が好きだが、わたしにはなにか邪道のように思える。


二、三日前の地元紙にピアノの減産について書かれた記事が出ていた。ヤマハ河合楽器の二大ピアノメーカーを抱える静岡県が国内のシェアほぼ100%を占めているのは変わらないが、国内販売はじり貧で、輸出も大幅減で工場の生産調整が続いているとのこと。
DTMも含めた代替楽器の普及もあって歴史的にも一定の役割を果たし終えたかに見えるピアノ。あらゆる物が小型化され携帯される(音楽でさえも)現代の聴き手の生活環境の変化にも触れながら、著者はピアニストの人材難やレコード会社の方針転換によるピアノ音楽の衰退傾向を認めながらも、しかしそれほどこの楽器の将来を危惧してはいない。魅力的な演奏をするピアニストが現れれば、それを聴きたいという人は必ずいるはずだと書いている。
音楽書でありながら、二十世紀の「演奏家の時代」の名残をとどめた、ちょっと古典的ノンフィクションの趣もある。青柳いづみこをもっと専門的にピアノを学ぶ人と経験者向けに書かれた感じで、図書室よりは音楽準備室に楽譜と一緒に並べて置いてありそうな本なのだった。