松本侑子 / 恋の蛍

太宰治が表紙・巻頭の『一個人』最新号は特集〈2009年度版 最も面白い本大賞〉ということで、カタログのつもりで買った。
例によって挙げられている数百冊の中で、読んだor読みたい本はわずかに数冊。‘カリスマ書店員’とか笑わせる。太宰で釣っておきながら、この力作『恋の蛍』には一言も触れていないのだった。(ちなみに『ダ・ヴィンチ』最新号も〈Book of Books 2009〉と題した今年のランキング発表だが似たり寄ったり)

ランク付けするつもりなんてないけど、これは今年読んだ中でベストの一冊。


松本侑子 / 恋の蛍 山崎富栄と太宰治 (363P) / 光文社・2009年(091203-1207)】


・内容紹介
 昭和23年、太宰と入水した山崎富栄の知られざる生涯。幸福な少女期、戦争の悲劇、太宰との恋、情死の謎とスキャンダルを徹底した取材から描く「愛」の評伝小説。


          


思春期に太宰治を初めて知ったとき、「情死」という言葉の意味が判らず、ひどく怖い死に方をした作家というイメージを持った憶えがある。「入水」を「じゅすい」と読むのもこの事件で覚えたのだと思うが、今でも恐ろしく感じる言葉だ。一人で死ぬのではなく家族でもない人と「心中」するということに、十代前半ではどうにも想像が及ばなかった。その頃からずっと自分も太宰治は「酒場女」と一緒に死んだと思っていた。
だが、そうではないらしいということが、この本の表紙の写真を一目見てわかった。初めて見る太宰治の心中の相方。それは、島田に結った日本髪が美しい、細面が凛々しく涼しげな目の、知的な女性だった。
戦後の高度成長期を迎えると日本髪は忘れられていき、この美しい和装の写真も芸者か玄人筋の女と決めつけられる要因の一つになったようだ。太宰治と情死した山崎富栄の短い人生は、社会の変化と価値観の変動に翻弄され続けた生涯でもあった。



目隠しをしたり、片手だけで髪結いの練習をする。たとえ失明したり腕を失ったとしても、美容師はきちんとした仕事ができなければならない。お客様を上品に仕立てて満足していただくためにはまず美容師自身が知性と教養を身につけていなければならない。日本初の着付美容専門学校の創始者である父に大事に、しかし厳しく育てられた一人の女性を描きながら、浮かび上げってくるのは昭和初期〜戦後の激動期の日本女性の姿である。
和裁洋裁や理容技術を学びたい、スカートやワンピースを自分で縫いたいと集う若い女性たちの姿が生き生きと描かれている。卒業した彼女たちは職業婦人として全国に散らばって活躍した。しかし軍国主義の拡大と国家総動員法の導入によって「贅沢は敵」の風潮は強まり、洋装は非国民とされパーマネントも禁止されてしまう。この戦争で銃後を守りながら夫と死別した女性は数十万人に及んだという。
山崎富栄もまた、結婚わずか二週間後に出張先のフィリピンで応召した夫を亡くしていた。十二単の着付けもこなす高い美容技術を持ち、フランス語を学び(小林秀雄の妹に学んだとのこと)映画撮影所でのメイクも担当していた彼女はハイカラな人だった。
だが、夫を戦場に駆り立てられて自活を余儀なくされ自立していく女性に、戦後の男社会(そして男性優位な文壇も)は決して暖かくはなかった。



「評伝小説」と銘打たれていて、フィクションとノンフィクションの境界が曖昧な部分が少々気になるし、美容に懸けたはずの半生を太宰に出会うとあっさり投げ出してしまうくだりもやや書き込みが薄い気がする。だが、これは今年太宰の生誕100年だからというのではなく、戦争と復興の記憶は風化するばかりで、破滅的な生活がさして珍しいものでもなくなった道徳観念の薄まる一方の今、誰かがきちんと書いておかなければならなかった本だという気もする。
天才流行作家との死ではなく、妻子ある男と未亡人である自分が一緒に死ぬことの反社会性に富栄は苦しんだのだった。不倫を犯すことの重さに耐えた彼女の至極まっとうな苦悩を、欺し欺されの末にどちらかが死ぬような事件に慣れきった現代の我々に本当に理解できると思えないのがもどかしい。
作家の死ぬ理由と自分が死ぬ理由が正確に一致しているわけではないのを、彼女は充分にわかっていた。それでもなお、太宰と死んで添うことを願う女の心情を情感に流されずに(この男に対して感情的にならぬよう抑制もしながら)、だが優しく見守るような筆致で書いてあって、特に入水前日に部屋を片づけ二人で遺書を書く寒々しさは胸に迫るものがあった。

 「オスとメスが恋をしてるんだよ。鳴く蝉より、鳴かぬ蛍が身を焦がし、といってね」
 富栄は今、自分の燃えるような恋心も、この体からぬけだして、ぼうと光りながら夜を飛んでいるのだと思う。ほのかな光の軌跡は、さながら闇に恋の和歌をつづっていくように見えた。


案外、作家や芸術家の評伝というのは、後になればなるほど正確で詳細にはなっても、その時代性から離れたものになってしまうものが多い。本作は戦争未亡人となる富栄の視点に立って太宰の生きた時世をしっかり伝えてくれる点で、太宰の評伝として読むこともできる。
(太宰個人の生涯だけに焦点を絞れば、二度の空襲を経験しているとはいえ、その作品からも一億総動員であったはずの国家の非常事態はあまり感じられない。同年生まれの大岡昇平のフィリピンでの凄惨で苛酷な戦場体験に比せば、なんと安穏な生活を送っていたのだろうと思わざるをえない)

天才作家の死が伝説化され名声が高まる一方、山崎家は世間の好奇の目と批判にさらされた。誤解から殺人犯呼ばわりまでされたという。娘を守れなかった悔恨に打ちひしがれ弱っていく父親の姿が痛ましいのだが、富栄を貶めて書いた一部の作家・評論家とジャーナリズムに対して著者は柔らかい反証を示していて救われる。

そもそも自分は太宰治のひたすら「私」の小説が好きではない。若い頃に読んだ作品もろくに憶えていない。なので、この本にこれほど引き込まれるとは思ってもいなかった。正直に書けば、もっとスキャンダラスなものかとも思っていたのだ。だけど、そんな浅薄なものではなかった。
肺を病み血を吐くまでに弱った身体で『斜陽』『人間失格』の執筆に向かう晩年の太宰に寄り添った山崎富栄。彼女の尽力なくしてはこの二作は陽の目を見なかったかもしれない。
山崎富栄の側に立って書こうとするのは、実は、現実的な勇気と相当な覚悟が必要だったろうと想像する。太宰治という巨人にまつわる定説を検証し、死後六十年の間に定着したタブーと虚像を探ることは、墓を掘り返すような困難だったろうとも思う。それでも絶対に書き上げて世に出すという著者の強い信念と責任感は静かに全篇に漲って、文学評論家や太宰研究者では書けなかった本になっている。もっと言えば、これは男では絶対にできない。読み終えた今、良い仕事に触れた清々しさも強く残っている。