門井慶喜 / おさがしの本は

【門井慶喜 / おさがしの本は (290P) / 光文社・2009年(091212-1214)】


内容(「BOOK」データベースより)
 簡単には、みつかりません。この迷宮は、深いのです。生まじめでカタブツの図書館員が、お手伝いいたします。ところで。あなたにとって、図書館は必要ですか?


          


これはミステリーではないな。ふつうに図書館の通常業務の話だろ。もっと言えば、本屋でもスーパーでも接客業に「困った客」は付きものだし、実際本の題も著者名もうろ覚えの客に煩わされている店員を本屋ではよく見る。図書館だから特別だなんてことはないし、ましてや「調査相談課」はそれが仕事のはずだ。
だから図書館のレファレンス・カウンターを舞台にするなら、いかに独特の仕事をするかがキモになるはずだが。勿体ぶって謎解き風に仕立ててはあるけど、一言で云えば、かなりこじつけめいた「読み間違い」とか「語呂合わせ」に近い「なぞなぞ」に過ぎない。
そんな意地悪い見方をしながらも、でも、けっこう面白がって読んでしまった。


パスティーシュじゃないけど、柳広司シートン(探偵)動物記』みたいな軽妙なユーモアがある。練りに練った、凝りに凝った本格ミステリを書く人が、全然別人のように自分が楽しんで書いてる感じ。実は出たばかりの門井さんの最新刊『天国までの距離』も面白そうで手に取ったのだが、気楽なのが読みたかったのでこちらを選んだのだった。

 「率爾ながら」隆彦は言い返した。「それが若い頃の読書というものではないでしょうか。大したことのない記憶でも、長い年月のうちに大した記憶になってしまう。針は棒になり、蟻は象になり、たった一度の障子の突き刺しも何十回の連続になる」


ストーリーはともかく興味を引かれたのは、門井氏の文章。これがこの作者の素のもので他の作品でもそうなのか、主人公が図書館員だから意識的にこういう学芸員風な文体にしたのかわからないけれど、日本語をよく研究している感じはする。ミステリー作家としての修練ではなく、文学修行で身についた素養というか。ちょっと他の若手作家とはボキャブラリーが違う気がするのだ。たとえばこんな言い回し― 「蹌踉として」、「たなごころを指す」、「おとがいを解く」etc…
終盤ひょんなことから開高健の名が出てくるのだが彼を称して「具眼の士」とは、なかなかではないか。


それと時節柄タイムリーな気がしたのは、財政難から図書館廃止に動く市政に先月の「事業仕分け」を思い出したからで、本探しの依頼に応える本筋よりも後半の図書館存廃の成り行きが気になった。

今回の仕分け作業により文科省「子どもの読書活動の推進事業」も廃止の決定が下された。ということで初めてこんなサイトをのぞいてみた。
  ・国立国会図書館文科省「子どもの読書応援プロジェクト」等も「事業仕分け」
  ・「子どもの読書応援プロジェクト」の施策・事業シート
(この内容について云々するのは別の話なので止めるが、話題になった事業シートがこうして公開されているのは大きな意義があると思う。ちょっと見ただけでも「啓発教材資料の作成」とか大人の読書量を調査する「(財)出版文化産業振興財団」とか、素人目にも確かに突っこみどころは多い。文化・芸術振興費の大幅カットには批判が続出しているけど、「文化・芸術」名目の便乗商売が横行しているのも事実だろう。それと、来年2010年は「国民読書年」なのだそうだが、そんなの聞いたこともなかった)

で、主人公が図書館存続のために腰を上げるのだが、それほど劇的な展開にもならずに逆に主人公が図書館を去る、あららの結末なのだった。「図書館というあってもなくてもいいような施設にいかに物質的な価値を認めさせるか、大きな壁に挑む」なんて気負っていたはずなのに…。


ボリュームが薄いし企画倒れな感がしなくもないのが残念。まず自らを公務員であるとする主人公に‘図書館愛’もそんなに感じられない。ふつうなら途中でほっぽり出すところだけど、なんか文章の妙と本のうんちく話は無視できなくて最後まで読んでしまった。
図書館員を探偵になぞらえるのなら、もう少し手応えのある博識な相手を登場させないと。本好きが呻るようなマニアック本をめぐる変態読書家対天才図書館員みたいな話だったらもう少し読みごたえもあったのに。(「十ページも通して本を読んだことがなさそうな」女子学生を相手にしてるようじゃ、ね) あ、そうしたら気楽な本ではなくなるか(笑)
門井さんの本業の方の(?)ミステリを読んでみようかなと思っている。まずあっちを読んでからこの本を読むべきだったかも。

でも、この光文社のソフトカバーのシリーズは、なんか良い。