門井慶喜 / 天才までの距離

【門井慶喜 / 天才までの距離 (283P) / 文藝春秋・2009年(091224-1226)】


・内容紹介
 近代日本美術の父・岡倉天心の直筆画が発見された!?「筆を持たない芸術家」と呼ばれた天心の実作はきわめてまれだが、神永はズバリ、破格の値をつけた。果たして本当に天心の作なのか。


          


門井さんの最新刊にして天才美術コンサルタント神永のシリーズ第二弾。前作同様美術品の鑑定をめぐる五本の短篇が収められている。
東京の大学から実家のある京都の美大に転勤した佐々木が自立というか「神永立ち(断ち)」を志して前作よりはちょっと逞しくなった彼が一人で難題に当たっていいところまで行くのだけど、最後はやはり神永の天才に助けられる。
舞台を関西に移したことで扱われるのは日本の古美術になっている。


今作の五篇は岡倉天心絡みの二本と、「親愛なるマリーへ」と内部に記述があるフランス製アンティーク時計の由来を探って最後にびっくりな名前に行き着く〈マリーさんの時計〉、登場人物中最も強烈な個性の持ち主の美大生イヴォンヌ(※あだ名)が主役を食う〈どちらが属国〉、そしてついつい岩波文庫の表紙をじっくり見てしまう〈文庫本今昔〉。
いずれも核となる美術品の鑑定は美術史の蘊蓄満載で意表をつく展開になる。特に岩波文庫の表紙デザイン(あの葡萄唐草模様、吉祥文と呼ぶのだそうだ)と平安時代の製紙技術(何かと対立関係にあった紫式部清少納言が当時の紙質はそろって褒めそやしていた)に関する記述は興味深く読んだ。


そんな話だけで十分面白いだけに、各話導入部の骨董品所有者の個人事情が逆に煩わしい。〈文庫本今昔〉の親子関係の不仲とか、関西人と東京人の違いを反映させようとする〈マリーさんの時計〉中年男女のすれ違いとか。ストーリー的には肉付け部分の余分が余計というか。
もちろん神永の鑑定と交錯させて古美術鑑定を血の通ったものに仕立てようとする目論みはわかるのだけど、ちょっと不自然だったりこじつけっぽく感じてしまう。
これは著者の優しさの表れでサービス精神旺盛か過剰のようにも感じられて読んでいてちっとも不快ではないのだけど、メインストーリーとサブストーリーが並列なので、主題が削がれてしまってもったいない。メインディッシュに集中できないまま一話読み終えて「あれ、何の話だったっけ」と思うこともあった。


前作から続いて登場する、典型的な(変わり者の)芸大生・イヴォンヌは存在感を増している。まだ二作なので不可欠なんて自分が断じることはできないけど、この三大宗教コーディネートやら真っ赤な東京タワー・ヘアでアート至上主義をふりかざす小娘は主人公が薄味なシリーズ中貴重だと思う。
芸術、学術的話題に彼女がユーモラスな笑いの要素を加える。それに今回は人情話までも追加してしまって焦点を外してしまったと思わざるをえない。そもそも主人公の二人は美術関係者なのだから、本来の仕事を元ネタにした話を展開すれば良いのではないか。鑑定の現場とバーでお洒落に飲む以外にそれぞれのふだんの仕事ぶりはまったく描かれておらず、これではいつまでたっても主人公はただ頭が良い人以上の存在にはなりえない。佐々木はイタリア・ルネッサンスの専攻という設定なのに今作ではほとんど日本の書画がテーマだったのも苦しい(レンブラントの名こそ出てくるとはいえ)。
著者自ら相当高いハードル設定をしてしまって息切れ感もあるのだが、このシリーズ、書き続けてほしい。