ミーシャ・アスター / 第三帝国のオーケストラ

二、三年前のベルリンフィル創立125周年記念映画『ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて 』は県内での上映がなく見られなかった。たしか名古屋での上映では『ベルリン・フィル第三帝国』が併映だったと思うが、個人的にはそのドキュメンタリーの方が興味深かった。


なので昨年末、この本が出るとすぐに買ったのだが、。年が明けて読み始めたら、10ページも読まないうちに眠くなる。寒い日が続いて炬燵から動けないとか、翻訳があんまり…とか言い訳になるけど、なかなかページが進まなくて日数がかかってしまった。


【ミーシャ・アスター / 第三帝国のオーケストラ―ベルリン・フィルナチスの影(445P) /早川書房・2009年(100106-100115】
DAS REICHSORCHESTER by Misha Aster 2007
訳:松永美穂/佐藤英


・内容紹介
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が世界でもっとも有名なオーケストラの一つであることに疑問はない。だが、ヒトラーがドイツ首相となった1933年、このオーケストラは経営的に厳しい状況に追い込まれていた。そのとき、指揮者フルトヴェングラーが援助を求めたのは、宣伝大臣ゲッベルスだった。こうしてベルリン・フィルは「帝国オーケストラ」としてナチス・ドイツプロパガンダの道具になっていく。ナチ党への協力と対立、ユダヤ人団員問題、「帝国オーケストラ」としての演奏旅行。そして、音楽の理想と戦争の影の葛藤のなかでむかえたドイツ敗戦…。フルトヴェングラーカラヤンの時代が過ぎ去ったいま、さまざまな原資料からナチス時代のベルリン・フィルを再現した傑作ノンフィクション。


            


眠くなったのは、個人個人の音楽家の葛藤やオーケストラの魅力にはほとんど言及せず、ベルリンフィル(以下、BPO)を政治的組織としてナチスとの連関でのみ捉えた書き方にもあったかと思う。独裁体制下のオーケストラという社会的組織がテーマではあるけれど、音楽文化の本というよりは歴史書という印象が強い。
今気づいたのだが、せっかくだからフルトヴェングラーベルリンフィルの名演を聴きながら読もうという気に一度もならなかった。

財政難から存続の危機に瀕していた民間の(有限会社)一オーケストラだったBPOは、「帝国のオーケストラ」としてナチスの庇護の下で様々な特権に浴しながら大戦中も活動を続け、終戦後今に至るまで世界有数のオケとして音楽界に君臨している。
1933年のヒトラー首相就任から45年の敗戦までの十二年間のナチ政権下での活動とその時々の内部事情を膨大な一時資料から追い、いかに宣伝省とゲッペルスがこの高機能なオーケストラを利用しようとしたか、一方芸術団体であるBPOフルトヴェングラーは本当にナチの先鋒としての演奏をしていたのかを探っていく。



といっても、クラシック初心者ながら自分はフルトヴェングラーにだけは異様に詳しく、これまでにも彼の関連書籍は何冊か読んでいるので、「ヒンデミット事件」や1942年の「ヒトラー生誕記念演奏会」、フルヴェン-ゲッペルスvsカラヤン-ゲーリングの争い、非ナチ化裁判の経過と復帰など、知っていることも多かったのだけれど。
フルトヴェングラーは特別に反ユダヤ的な人物でもなければナチに盲従したのでもなかった。音楽家として才能があれば(自分の演奏に必要であれば、無神経にも)ユダヤ人でも招聘しようとしたし、彼の得意とするベートーヴェンブラームスワーグナー等のレパートリーはナチスの求める音楽に一致していただけでもあった。宣伝省大臣であり「プロパガンダの天才」と言われたゲッペルスも彼の芸術と楽壇への影響力には一目置いていて、BPOへの要求を譲歩することもしばしばだったようだ。


          


フルトヴェングラーゲッペルスとの個人的な親交もあって持論を通し、ときに政権に逆らうことができたのに対し、BPOという組織は時局がら当然一般社会と同じ問題に直面しなければならなかった―ユダヤ人、半ユダヤ人(家族にユダヤ人がいる)団員の処遇、ナチ党員のマネージャーとメンバーの影響力の増大、ナチ党の公式行事での演奏の強制など。
それでも彼らはおおむね恵まれた環境だった。男たちはこぞって悪化する一方の戦線に投入され、他のオーケストラが解散に追い込まれる中でもBPO団員だけは兵役免除され、いよいよソ連赤軍がベルリンに接近すると彼らの多くは楽器とともにいち早く疎開して生き残ったのだった。

それにしても、この十二年間のオーケストラの演奏活動は凄まじいものがある。いや、生命力のたくましさと言うべきか。ただでさえ多い定例の演奏会に加えて、政府命令による公式行事(パリ万博やベルリン五輪、毎年のナチ党大会など)への派遣と演奏旅行、労働者や傷兵への慰問演奏など、休む間もなくリハーサルとコンサートが続けられた。いかにナチスドイツのプロパガンダとしての役割を担っていたとはいえ、戦時下でも国外への演奏旅行を毎年続け(「落下傘部隊の先陣」と揶揄され、レジスタンスに演奏を妨害されることもあったという)、連合軍の空襲でホールが消失しても演奏会は欠かさず、ベルリン陥落のほんの二週間前まで演奏会を行っていたというのだから。(逆に見れば、それだけ聴衆がいたということでもある!)
そんな生命の危険に関わるプレッシャーに晒されながら演奏するのだから、団員はタフでなければ務まるまい。BPOのあの質実剛健、ゲルマン魂全開なサウンドは、こんな歴史もあって鍛え上げられてきたのかもしれない。
当然ながら当時のメンバー全員がナチ党員だったのならばBPO終戦とともに解散していたはずで、彼らが第一に演奏家であり続けたことによって、今でもBPOは世界規模の活動を続けるドイツ一級のオーケストラとして存在しているのだ。宣伝省直属の組織でありながら団員に入党を強制しなかったことは、結果的にBPOナチスと共倒れするのを防いだ。このことは皮肉にもゲッペルス自身も予見しなかった彼の文化的な最大の功績と言えるかもしれない。


          
          〔1942年、ハーケンクロイツの下でのフルトヴェングラーBPO


巨匠フルトヴェングラーの存在とナチス時代のその特異な歴史もあって「帝国オーケストラ」研究・関連書は多いが、もう一つの名門、ウィーンフィルについての本は意外に少ない。オーストリア併合後、この壮麗優美な音色を誇る楽団も時代の波に翻弄されたはずなのだが。
昨年読んだ菊池成孔東京大学アルバート・アイラー』には、真珠湾攻撃によって開戦したアメリカ国内では国威発揚ベニー・グッドマンらのスウィング・ミュージックがガンガン流されていたと書いてあったが、あらためて、文化の違いを感じさせられる(日本は、軍艦マーチとか?←日本のこと知らない…)。

ゲッペルスの日記や書簡、ナチ党幹部の証言、BPOの役員会議事録やメモ他、膨大な資料をもとに全体主義体制下の政治と文化・芸術をあぶり出した本だった。
著者は執筆時まだ三十代後半の若いジャーナリスト。1989年のベルリンの壁崩壊時にもまだ子供だったはずで、全編に祖国の戦争への感傷を微塵も感じさせない、ひたすらドライな文章で(悪く言えば、他人事のように)書き通しているのもうなずけるのだが、戦争を知らない世代の若者が六十年以上も前の戦中のことに情熱を傾けてこんな本にまとめる、ヨーロッパの文化事情の成熟を思わされた。
また、ベルリンフィルの現在の常任指揮者サイモン・ラトルがフランス人であることにも、歴史を乗り越えて今なお進化するベルリン、のみならずヨーロッパ芸術の広さ深さを重ねて思わずにいられない。