ヘルタ・ミュラー / 狙われたキツネ

ルーマニアといえば体操のコマネチの名前がすぐに浮かぶが、他にはというとドラキュラと「チャウシェスク」ぐらいしか出てこない。
東欧のこの国に関しては、個人的にはやはりサッカーを通じて知ることが多い。有名チームはステアウア・ブカレスト。選手では何と言っても「大統領に!」とまで云われた10番ゲオルグ・ハジがいる。
民主化後の90年代、ハジの時代に躍進した黄色いユニフォーム、「東欧のラテン」も近年は停滞気味のようで欧州予選を突破できないでいる。
今回の南アフリカW杯予選も敗退。現在の絶対的エース、アドリアン・ムトゥフィオレンティナ)はイブラヒモビッチスウェーデン)、アルシャビン(ロシア)、ロシツキーチェコ)らとともに本大会で見られないのが残念な選手である。

あ、今回はサッカーの話じゃなかった。つい脱線してしまう(苦笑) 


【ヘルタ・ミュラー / 狙われたキツネ 新装版(370P) /三修社・2009年(100124-100129)】
訳:山本 浩司


・内容紹介
 チャウシェスク独裁政権下のルーマニアを舞台に家宅侵入、尾行、盗聴。つきまとう秘密警察の影に怯える日々。そうしたなかで、ひとりの女が愛にすべてを賭ける。しかしそれは、親友との友情を引き裂くものだった… 2009年度ノーベル文学賞受賞! 祖国を追われた女性作家ヘルタ・ミュラーが描く独裁政権下のルーマニアを舞台に繰り広げられるあまりに切ない物語。


          



ベルリンの壁崩壊と連鎖的なソビエト・東欧の民主化からもう二十年も経つ。当時青春まっ盛りの自分も連日ニュースを見ていたし、大統領がヘリコプターで逃亡した後、処刑された映像もうっすらと記憶に残っている。
しかし、ときどき娯楽番組にチャンネルを変えながら享楽的なCMにはさまれたニュースを見て、なぜチャウシェスクは裁かれなければならないのか、ルーマニア人がなぜそれを望んだのかなんて本気で考えたことはなかった。
コマネチやナブラチロワがいつのまにかアメリカ人になっていたことを知っていても、西ドイツのサッカーは強くて東ドイツは弱いのを知っていても、それは「自由がないから」だと一言の説明で済むと思っていた。



本書は内容紹介にあるような「あまりに切ない物語」では、ちっともない。そんな西側の娯楽目線はいい加減に捨てて読まなければならない。
映画の書き割りのような、ひたすらリアリズムに徹した断片的な生活描写が続いて、読んでいて楽しくない(ノーベル文学賞ってこんなにつまらないのかと、ちらりと思ってしまうほど)。暗く、声を潜めたルーマニアの市井の人々の暮らしは、そのように書かれるしかなかったのだろうか。
淡々と職場と労働者向け団地の住人の様子が連ねられ、何十年も変わり映えしない日々の連続が暗示される。少し前のページでは陽気な冗談を喋っていた床屋やブリキ職人がある日突然首を吊っても、自殺のわけも周りの人々の悲しみも、一切語られない。



主人公は小学校教員のアディーナという女性。彼女と、金網工場で働く親友クララの日常を軸に、ドラマ性は薄いままにチャウシェスク政権崩壊の1989年のルーマニアの断片が記述されている。
著者は、彼女ら若い女性の仕草も、川辺で釣りをしている年寄りたちの様子も諜報員らしき男の動きも、まったく同じ調子で書く。人物だけではなく、ポプラ並木の影も工場に積み上げられた金網の束も、人も景色もすべて静物であるかのような温度のない散文を羅列して、季節感すら薄い日常を記していく。
これを「抑圧」だとか「虐げられた人々」という言葉に置き換えるのは、1989年当時のワイドショー的報道と同じだ。ここに示されているのは、いかに我々の目に異様に映ろうとも、当事者にとっては普通の感覚だったのである。
自室に誰かが侵入して、お気に入りのキツネの敷物が毎日一本ずつ、肢(足)が切り刻まれていく。便器に自分のものではないタバコの吸い殻が浮かんでいる。秘密警察が自分をマークしているらしいと分かっても、アディーナは取り乱すことなく、ふだんどおりの生活を続けるのだ。



じわじわと緊迫感は高まっていくが、おそろしいのは自分が当局に監視されているのを知りながら、住居を変えようとも仕事を変えようとも、どこかに逃げようとも、考えることすらしないのである。そうなってしまったら首を吊るか、国境のドナウ川を泳いで渡ろうとして結局は撃たれるしか道はないと自身も十分に知っている。国全体が牢獄のようなものだと誰もが思いこまされているのだった。
監視や密告が生活のあらゆる場所にはびこっているのが当たり前の社会。秘密警察の男でさえ、職務に忠実というよりは、ただそれが仕事なのだといわんばかりの気まぐれでアディーナの部屋に入ったり、ときどき女にちょっかいを出して遊ぶ。
ルーマニアでは二十年前まではこれが普通のことだったということなのだが、少し目線を離して見ると、国際社会もこれを長い間放置していたわけだ。東西の壁がいかに分厚く、他国への、その国の住人たちへの関心を遮断していたのか、恥ずかしながら今さらに気づかされた。「世界は一つ」「WE ARE THE WORLD」なんて掛け声が、いかに西側商業主義の子供向けのスローガンだったか思い知らされる。

チャウシェスク追放の直前、ルーマニアデンマークを破って90年イタリアW杯出場を決めた夜のことも少し書かれている。勝利の興奮の中、老人が「ルーマニア人よ、永遠の眠りから目覚めよ」という当時禁止されていた歌を歌い出す。しかし、歌は群衆に広がることはなく、老人は犬を連れた警察隊に囲まれて連行されてしまう。この歌が現在のルーマニア国歌とのことだ。