フィリップ・K・ディック / ユービック

【フィリップ・K・ディック / ユービック (324P) / ハヤカワ文庫・1978年(100224-0227)】
UBIK by Philip K. Dick 1969
訳:浅倉久志


・内容紹介
 1992年、予知能力者狩りを行なうべく月に結集したジョー・チップら反予知能力者たちが、予知能力者側のテロにあった瞬間から、時間退行がはじまった。あらゆるものが1940年代へと逆もどりする時間退行。だが、奇妙な現象を矯正する唯一の特効薬があった。それがユービックだ! ディックが描く白昼夢の世界。


          


予知・読心能力者(テレパス)を重用する企業が増えビジネス上の情報戦争が激化している1992年という設定。諜報活動の一環として、不活性者−能力者の存在を感知し、彼らの発する力場を中和する反テレパス能力を持つ者−の需要も増している。
だいたい超能力者は孤独な異端で秘密組織絡みの活動(主に犯罪)に巻き込まれるというのが相場だが、その存在が社会的に認知されていて大々的に企業が利用しているというのが、いかにもアメリカの自由主義経済の未来っぽい。その能力者集団に対抗できる非能力者を集めて派遣する会社や組合までもがあるというのも。その会社が主人公グループ/ランシター合作社で、冒頭はテレパスvs反テレパスのエンタメっぽい展開を予感させるのだが、そうはならない。



月面での極秘プロジェクトの侵害を阻止する依頼を受けて月に向かったランシター合作社の一行は、爆発事件に遭遇してリーダーのランシターを失う。しかし、死んだのはランシターではなく、他のメンバーの方だった…?
現実、時間退行する世界、半生(半死)状態。主人公たちが三つの時間軸のどこに属しているのか最後まで明らかにされず、多くの謎を孕んだまま物語は展開される。
未来世界を描きながら、逆行して1939年に行ってしまう主人公。死亡後すぐに冷凍保存されれば微弱な霊波と交信可能なシステム(それすら商業的に描かれる)。SF的プロットに則りながらも単純なタイムスリップものではなく、二重三重に捻りを加えられた時間線はもつれる一方で、現実はますますあやふやになっていく。



『高い城の男』のような現実社会との接点は小さいけれど、現実と虚構の曖昧な境界は、いかにもディック作品の世界観という気がする。
タバコはひからび、喫茶店で出されるコーヒーミルクは腐っている。目に見えて自動車も冷蔵庫も旧型に変わっていく。そんな退行が進む世界で人間だけが1992年型のままでいられるわけはないので、次々と登場人物たちを見舞う無惨な死は自然な成り行きだと考えるべきなのかもしれない。しかし、むざむざ死を迎えるわけにはいかないのが人間なのであって、最後の一滴までも生命力を振り絞って階段を這い上ろうとする主人公ジョー・チップの姿は(ディック作品には異例な気がしないでもないが)、圧倒的な不条理への断固たる人間的抵抗に見えた。



武器によっても超能力によっても止められない時間退行の悪夢のような現実を、チップは‘ユービック’によって救われたかのように見えた。だが、1992年の現実では……、という現実の虚構化(?)か虚構の現実化(?)か、たどり着いた最後に示される意外な逆転を受け入れるのにはすこし時間がかかった。
現実崩壊というよりも、時間軸のずれた別世界、もう一つの現実世界の存在と考えた方が、自分的にはしっくりくる。
ディックはチベット仏教の死生観に深く魅せられていたようで、この作品にも『高い城の男』にも「チベット 死者の書」に言及するシーンがある。これが書かれた1960年代後半に「脳死」の概念があったかどうかは知らないが、本能的な生への執着の対岸として「半死」状態の緩やかな死のあり方を書いているのも先見性があったのではないかと思う。


蛇足ながら、哲学的思考や時代考証も含めてこれも翻訳者泣かせの原作だったろうと思うが、浅倉久志氏の訳は澱みがなく、特に会話部分の言葉と文字を精選した日本語への変換は、これはキーボードの作業では出来ないものだろうと思う。
翻訳者の職人技を思わされた。あらためて、良訳で読むことができる恩恵に感謝したい。