コニー・ウィリス / 犬は勘定に入れません

【コニー・ウィリス / 犬は勘定に入れません−あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎−(上463P、下493P) / ハヤカワ文庫・2009年(100306-0312)】
To Say Nothing of the Dog by Connie Willis 1998
訳:大森望


・内容紹介
 オックスフォード大学史学部は時間降下によって第二次大戦で焼失したコヴェントリー大聖堂復元計画に協力している。学院生のネッドは、大聖堂にあったはずの“主教の鳥株”を探せと責任者レイディ・シュラプネルに命じられていた。だが、21世紀と20世紀の往復を繰り返したために疲労困憊、過労で倒れてしまう。
指導教官ダンワージーは彼を静養させるために、シュラプネルの影響の及ばないのどかな19世紀ヴィクトリア朝へと派遣する。だが、時間旅行ぼけでぼんやりしていたネッドは、自分に時空連続体の存亡を賭けた任務があるとは夢にも思っていなかった… SFとミステリを絶妙に融合させたヒューゴー賞ローカス賞受賞のユーモア小説。


          


過去に渡航した2057年のオックスフォードの学生が、自分の行動が原因で歴史に齟齬をきたしたかもしれないと不安になって、何とか元通りに修整しようと奔走するタイムトラベルもの。
ネットを開閉することで過去と現在を往き来するこの方法は時間や移動先にずれが生じることがある。歴史上の分岐点には行けない、同じ時間には戻れない、過去の物を持ち帰ることは出来ない等の制約もあるのだが、それに従っていたら歴史が変わってしまうという事態が連続して起こる。
設定は時間旅行ものなのだけど、主人公が直面するのは彼のせいで出会うべき人々が出会わず、婚約すべきでない人物同士が婚約してしまうという人間関係の行き違いであって、その「ずれ」が行く行くは数十年後のヒトラーのロンドン空襲《バトル・オブ・ブリテン》に関わるというのが壮大なんだか大袈裟なんだか(笑)。
案の定、自然な成り行きに戻そうとネッドが必死になればなるほど、事態は悪い方へ悪い方へと転がっていくのはコメディの王道で期待通りに面白かった。



一応は服装や風俗なんかのレクチャーを受けてから派遣されるとはいえ、二十一世紀の人間が単身ヴィクトリア朝の英国に投げ出されればカルチャーギャップに悩むはずだし、時代人からは異星人の如くに見られて当然と思うのだが、その辺はそれほどシビアではなく、ネッドはすんなり降下先にとけ込んでテムズ河畔のミアリング邸で暮らし始める。
その家族とともにコヴェントリーに行って大聖堂の「鳥株」を確認すること、その一家のじゃじゃ馬娘・トシーの結婚相手「ミスターC」が誰なのか突き止めることが航時家としてのネッドに課せられた使命だったのだが… 
その二点をめぐってはミステリとして展開されるのだけど、深刻さはなく、むしろ膨らむ一方の話にどう片を付けるのか、そっちの心配もしつつ読んだのだが、なかなか見事な着地点があって安心して読み終えることができた。



ヴィクトリア朝生活様式と十九世紀英文学のうんちくを語りたいがために、著者はわざわざ厄介事へと主人公を導いているようなふしもある。
ネッドがテムズ河を旅する相棒として出会う青年はかなり強引にテニスンシェークスピアを引用しまくるし、同僚の1930年代を航時する女性・ヴァリティはアガサ・クリスティの新刊を愛読する本格ミステリ狂。ネッドとヴァリティはホームズとワトソン。もちろんミアリング邸には執事がいてジーヴスになぞらえられたりもする(この可哀想な執事が良かった!)。
これらの引用とオマージュは十九世紀っぽさの誇大な演出でもあるわけだけれど、これを著者は嬉々として、しかも長々と書いていて、これがなければ半分ぐらいの長さで終わっていたんじゃないかとも思えるのだが(笑)

 僕らはそうした優秀な探偵チームの足元にも及ばなかった。僕らは事件を解決しなかった。僕らがいたにもかかわらず、事件がひとりでに解決したのだ。というか、もっとひどい。僕らが邪魔ばっかりするので、歴史の流れが自己修復に取りかかる前に、それを妨害しないよう、現場から追い出されてしまった。世界はこうして終わる。破滅の響きとともにではなく、駆け落ちで。


そもそも、ネッドは過去の一時点に突然立たされたわけで、何が自然の(彼の存在が影響していない)成り行きなのかも分かっていないわけだ。それは読者も同じであって、ただ主人公の目線で見ることしか出来ない。自分が関わったせいで本来の歴史の流れを乱してしまったのではないかとネッドが思い込めば「なんて大変なことを!」とつい思わされてしまって、実はネッドは何も関わっていないし影響もないなどとは考えつかない。
歴史のグランドデザインという大きなテーマを、一つの恋愛と教会の装飾品の行方を通して描く。
頻繁に用いられているのが「歴史の自己修復作用」という言葉で、この小説らしいもっともらしく都合の良い非SF的用語のように思えなくもないけど、だけど、こういうことは実際に起こってきたんじゃないかという気もしてくるから不思議だ。
歴史の分岐点でのほんの些細な出来事が世界を大きく変えててきた事実。ナポレオンの悪筆、ヒトラーの伝達ミス… 「‥たら」「‥れば」の話をしだせばきりがないけれど、何か見えない力が世界を動かしてきた−だいたいにおいては良い方向へ−。だから一個のちっぽけな人間が長大な歴史の中で果たす役割なんて限られている…とは決して思わせないのが、SFともミステリとも言い切れないこの作品の推進力だった。