スージー・ロトロ / グリニッチビレッジの青春

【スージー・ロトロ / グリニッチビレッジの青春 (433P) / 河出書房新社・2010年(100315-0319)】
FREEWHEELIN' TIME:A Memoir of Greenwich Village in the Sixties by Suze Rotoro 2008


          


スーズ・ロトロ。ボブ・ディランの「元カノ」。ただし、50年前の…。
ニューヨークの雪道を歩く若いカップルの写真が魅力的なアルバム“フリー・ホイーリンTHE FREEWHEELIN' BOB DYLAN”のジャケット。肩を寄せ合いディランの腕につかまって写っている女性が彼女だ。
本書ではこのジャケット写真の撮影にも触れていて、今では考えられないことだが、彼女はこの写真でこれまでに一円も出演料を受け取っていないし、請求したこともないのだそうだ。始めはディラン一人で写す予定だったのが、いつのまにかスーズも一緒にということになって彼女も参加、知らないうちにそれが使われていた。
‘風に吹かれて’で始まる“FREEWHEELIN'”は新しい時代の幕開けを告げる作品として世界中で大ヒットとなった。それまでの‘つくりもの’のレコードジャケットデザインとは全然違う、この自然な雰囲気のスナップ写真は60年代の新しい若者像の象徴でもあった。当時スーズは若干18歳。またたく間に彼女は世界で最も有名な一般人になってしまった。



その写真が60年代を象徴する一つのアイコンとして、半世紀後の日本でチョコの包装紙になっていたりするのだから恐ろしい(笑)
何かといえば肖像権、著作権、個人情報が絡んでその利権そのものがビジネスに組み込まれて‘モンスター’をも生んでしまう現代のシステムからは信じがたいほど、プライバシーは緩やかでマーケティングが確立されていない当時は朴訥とした時代だった。成功の階段を上り始めても、二人はダウンタウンの安アパートで普通に気ままに生活していた。
60年代初めの数年間をボブ・ディランとともに過ごしたスーズ・ロトロは、フォーク界のプリンスから一躍ポップヒーローへと変貌して徐々に遠い存在になっていく恋人を見つめながら、急激な変化の中でスターの取り巻きの一人として埋没していくのを拒んだ。
昨年読んだ太宰治をめぐる女性たちの苦悩と重なる部分も多いのだけど、スーズ・ロトロという人は若いながらも自立心旺盛な男女同権意識の高い人だったようだ。

わたしは自分が生きることに興味があり、そのための模索をしているのだった。だれだれの女としか見られないのは、いやだった。ボブ・ディランのギターの弦の一本になどなりたくなかった。


本書はショービズ界の暴露本でもポップスターのスキャンダル本でもない。カズオ・イシグロ『夜想曲集』に出てきたような、有名人の愛人として生きることに人生を懸けるハリウッドのブロンド女の話とはまったく対照的だ。
ティーンエイジャーだった頃の女の子らしい苦しい恋心も綴られてはいるけれど(そして彼女は妊娠と中絶まで経験するのだけど)、彼女が精神の均衡を失うことがなかったのは、イタリア系移民であり社会主義者だった両親の影響が大きかったからだろう。アメリカ社会の中のマイノリティの自覚が、図らずも自身にも押し寄せた音楽ビジネスの商業化と肥大化の波に自然と警戒感を抱かせたのだった。
詳細な資料や正確な現代史書に頼らず、記憶の中に残る感触を大事に書き残しておこうとするかのような筆致から50〜60年代初めのNYダウンタウンのフォークシーンの空気がヴィヴィッドに伝わってくる好著である。(同じ頃のハーレムのジャズシーンを描いた作品には村上春樹訳の『ビル・クロウ/さよならバードランド』があるが、こちらも好著)
数多いディラノロジストによるディラン本は読み物としてはまったく楽しくないものが多い。この本はカリスマではない、等身大のディランをスケッチしてみせた唯一の本かもしれない。


          


翻訳はディラン作品のライナーノートや訳詞でも昔からおなじみの菅野ヘッケル氏。
やはり菅野氏訳の【ボブ・ディラン自伝 BOB DYLAN CHRONICLES Vol.1 / ソフトバンクパブリッシング・2005年】にディランはスーズと出会ったときのことをこんなふうに書いている。

最初に会ったときから、わたしはスージーから目が離せなくなった。わたしがそれまでに会ったなかで最高にセクシーな女性だった。白い肌と黄金色の髪をした、まじりっけなしのイタリア系だ。突然、まわりの空気が熱くなり、バナナの葉でいっぱいになった気がした。スージーと話を始めると、頭がぐるぐる回りだした。いままではヒュッと音を立てて耳をかすめるだけだったキューピッドの矢が心臓に命中し、その重みがわたしに自分を失わせた。

「バナナの葉でいっぱいになった」って……(笑)
ウディ・ガスリーに憧れたフォーク一直線の青年ディランにランボーの詩やブレヒトの現代劇、絵画等アートの世界を教えたのはスーズだった。あの偉大なる偏屈者にこんなふうに書かせるのだから、たいしたものではないか。
その男を数日前に自分はこの目で見たのだった!

マッカーシズムベトナムケネディ暗殺、公民権運動。幼いながらも彼女は時代の潮流を敏感に感知していた。そして恋人・ディランは時代の最先鋭として躍り出ていく。彼女は傷つき迷いながらもディランの元を離れて自己を確立していく。
62年10月のキューバ危機で世界が終わると思ったディランは「放射能に苦しまずに即死したい」とスーズに宛てて手紙を書いた。63年11月、テレビの生中継中に起こったケネディ暗殺犯オズワルドが撃たれる場面を二人がアパートで一緒に見ていたくだりも印象的だった。


※フィリップ・K・ディック『高い城の男』に書かれていた「易経」と「チベット死者の書」が本書にも出てきて驚いた。60年代アメリカのサイケデリック・シーンではポピュラーなものだったのだろうか?