伊藤計劃 / 虐殺器官



伊藤計劃 / 虐殺器官 (414P) / ハヤカワ文庫・20010年(100409-0412)】


・内容紹介
 9.11を経て、“テロとの戦い”は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。
 米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう……彼の目的とはいったいなにか? 大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは? ゼロ年代最高のフィクション、ついに文庫化! ※解説は大森望氏。




          



昨年三月、34歳の若さで亡くなった伊藤計劃さんの第一長篇。2007年ベストSFに輝き『SFが読みたい!2010年版』においても‘ゼロ年代ベストSF[国内篇]1位’に選出されている。

はじめに個人的な評価を書いてしまえば、これはベストの作品ではない。
小説家としてはまだ未熟で稚拙な部分が多く目についた。一人称で語られる主人公はいかにも当事国外の作家が書いた劇画的なアメリカ人という感じ。映像的だが体温や息遣いは伝わってこないので、主人公が独白しているとおり、言葉が表層を上滑りしている感じはぬぐえない。
主人公は感覚をマスキングして(「痛み」を認識はするが「痛さ」は体感しない)作戦行動に臨むのだが、ここに書かれている文章も認識止まりで実感に乏しい。「痛み」は書いているけれど、「痛さ」は書けていないのだ。乏しいなりに迫ろうとするところに作家の矜持は表れると思うのだが、自ら遮断したのか放棄したのか、停止地点から進めないのが寂しく、痛々しくさえある(著者の執筆時の状況を鑑みれば、なおさら…)。
隠喩イメージの乏しさも気になったところで、おそらく60年代以前生まれの作家なら「不条理」といって即座にカフカを引用したり「管理社会」といってはオーウェルを持ち出したりはしまい。 



主人公は母親を安楽死させたことに罪の意識を感じつつも軍の特殊部隊員として職業的な殺人に従事していることを悩みはする。自分の意志なのか職業意識なのか悩みはすれど、絶対的に他者への配慮は欠けている。たとえ仕事だとしても、自分の行為が個人的な虐殺行為だという客観が欠けている。著者が意図的にそういう人物として描いたのかどうかはわからないが、観念的な思考をするくせに結局はひどく自己中心的でしかない。
ジャンルを設定するなら近未来の軍事SFサスペンスものということになるが、魅力的な(小説的にかなり都合良く創作されているのだが)ハイテク装備や科学デバイスの数々に比して、人物像はひどくアナクロだ。



ただ、小説作法の未熟さを露呈しつつも、二次元の仮想現実をもとにここまで近未来を書けてしまうというのは驚きでもあって、その点ではたしかにSF的だったとは思う。

先進国ではテロ防止のためID認証により個人の行動を管理している。テロによる生命の危険と引き換えに人々は自由の制限を受け入れている。主人公の米情報軍特殊部隊は後進国で内戦と民族虐殺を誘引している人物を追っている。
これらが9.11後の世界にリンクさせた本作品の設定ではあるけれど、貧しいイスラム教徒が、自由を奪われた者がテロに走るというのはブッシュのアメリカがまき散らした先入観に毒されているのであって、SFはそんな現実や常識を凌駕するジャンルであってほしいと思う。
もちろん著者は真剣に未来社会を案じ想像したのだと思うが、現代人はそんな生真面目さはとうに失っていて身勝手に利己的になっていくばかりだ。個人ID制が導入されれば必ず偽造や不正IDが生み出される。それこそが現実なのであって、この作品はアメリカ的な未来図をもとに書いてしまった分、逆にリアリティを欠いたのではないか? 



救いは「言葉」と「思考」への深い考察があること。映画やゲームからインスパイアされた感覚的情景に、なんとか自らの言葉を当て嵌めて追いつこうとする著者の格闘ぶりが表れている。実体験のない想像上の空気を、書きつけることによる追体験によって血肉化して再生産するかのような筆致には、瑞々しい迫力がともなっていた。豊饒から最良の一行を選び出す余裕はなく、絞り出した文章の窮屈さは否めないけども、言葉で、文字で書き切ろうとする強い信念は一貫していて最後まで途切れないのだった。
できるものなら、これを健康な肉体でやってみてほしかった。新鮮な目で今の世界を見つめながら書いてほしかった。作家としてどんな成長をし、ここに示された言葉へのこだわりが昇華するのか見せてもらいたかった。
二作目の『ハーモニー』をすぐ読もうという気持ちにはならなかった。だけど、忘れずに読みたいと思っている。