テッド・チャン / あなたの人生の物語

このGW中に二冊読むつもりだったのに、これにつまずいてしまった… あちこちで高評価を目にしていたし(「ゼロ年代ベストSF」1位)、自分的には『くらやみの速さはどれくらい?』や『航路』のような物語性を期待して読み始めたのだが、違った。数学・物理系の話題が多く出てくるので苦手意識も先走る。「フェルマーの原理」(変分原理)とか、???
読んだタイミングも悪かったのかも。サッカー観戦に熱を上げている合い間に読む本じゃなかった(反省)。



【テッド・チャン / あなたの人生の物語 (521P) / ハヤカワ文庫SF・2009年(100501-0506)】
STOTIES OF YOUR LIFE AND OTHERS by Ted Chiang 2002
訳:浅倉久志、他


・内容紹介
 地球を訪れたエイリアンとのコンタクトを担当した言語学者ルイーズは、まったく異なる言語を理解するにつれ、驚くべき運命にまきこまれていく……ネビュラ賞を受賞した感動の表題作はじめ、天使の降臨とともにもたらされる災厄と奇跡を描くヒューゴー賞受賞作「地獄とは神の不在なり」、天まで届く塔を建設する驚天動地の物語--ネビュラ賞を受賞したデビュー作「バビロンの塔」ほか、本邦初訳を含む八篇を収録する傑作集。


          


表題作「あなたの人生の物語」は、国防省のスタッフとして異星人(樽型で七本足であることから‘ヘプタポッド’と呼ばれる)の言語研究に携わる女性学者ルイーズが研究を重ねるうち、彼らに影響されて世界観が変容していく様を描く。
人類とはまったく違う概念のヘプタポッドの言語・文字表記形態を分析し自ら習得しつつある彼女が、人類的認識から外れて彼ら的な思考法を獲得していく。
言葉と思考に関しては伊藤計劃虐殺器官』でもサブテーマ的に扱われていたが、言語の違いが価値観の相違をもたらすのは地球上でも確認できることで(それを‘虐殺の文法’として大衆操作に用いたのが『虐殺器官』)、それをさらに人類と異星人間に押し広げて展開してみせたのが本作品といえるかもしれない。
本作のスタンスだと、言葉(言語)が人間の思考を規定する(制約、束縛する)ということになるが、どうだろう。



ヘプタポッドとのコミュニケーションに追われる姿と平行して交互に、ルイーズの‘あなた’への追想がつづられているのだが、その時制の乱れた文章はちょっと奇怪なもので、始めは途惑わされる。

 そのとき、あなたがもぞもぞして、身をよじりながら左右の足を交互に突きだし、わたしはその動きが、おなかのなかであなたが何度となくするのを感じたあれだと気がついて。そう、まさにそんなふうだと。
 これは母と子のかけがえのない絆を証明するものだと、これはあなたがわたしのおなかのなかにいた子であることを確認させてくれるものだと思って、わたしは有頂天になるでしょう。

まだ見ぬわが子の、記憶…? なぜ未来と過去が混淆したこんな語り口になるのか。それがヘプタポッドの言語研究が彼女の意識にもたらした変化のせいだと気づくのには時間がかかってしまった。
多言語を習得するということは、多言語での思考が可能になるということだと思うが、異星人の文法を習得することは異星人的な思考と認識方法を得るということで、ここまではとても興味深い。ネイティブ言語が脳内でどう駆逐され侵食されていったか。もしそのDNAに異星人の思考パターンがすり込まれて彼女の子供が生まれてくるなら……、と本作の文面外への想像は刺激的だ。
ただ、ヘプタポッドの言語形態に顕れる物理学の論理についていけなかったのが、残念。フェルマーの原理がルイーズと‘あなた’の関係のメタファーになっているのもうっすら莫然とは感じ取れるのだけど、。



ヘプタポッドが地球にやって来た目的や主人公たち以外の人類との接触はまったく書かれていないのは、神や天使の存在を暗示しながら、詳しく書かない「バビロンの塔」「地獄とは神の不在なり」も同様。著者のSF作家としての想像力はそうした超自然よりも人間側の能力の応用へと向けられるようだ。
視点は狭く局所的で、現場以外の俯瞰描写がないのは短篇だからだろうか。



「地獄とは神の不在なり」では‘天使降臨’をめぐる人間の欲望と運命の気まぐれを描いている。
この作品での天使は黒雲と雷鳴を引き連れて顕現し、重病患者や障害者に‘奇跡の治癒’を授ける一方、降臨時の衝撃で多数の事故死者を出す災厄をひき起こす存在でもある。
天使のせいで最愛の妻を失った男は、それでも神を愛せるか。生まれつきの重度の障害を受け入れて生きてきた女は、望まなかった神の御業によって180度変わってしまった人生を取り戻せるか。
日本人からすると、ありがた迷惑な存在として描かれる天使が可笑しくて、この作品集中で最も劇画チックでSF的イメージを喚起しやすい作品ではあったが、これは信仰者からするとどうなんだろう? 神の思し召しが不公平だったり場当たり的なのをあげつらう作品ではないけれど、それぞれに敬虔であれば良いはずの信者の姿をネタ扱いする無神論者的な書き方に違和感も残った。同じように癌患者や障害者への配慮も浅く感じられる。

アメリカ本国で数々のSF賞を受けている作品ではあるけれど、自分としてはSFのカテゴリを超えたものとして読むことができなかったのは、大学の図書館か研究室に籠もりきりで書いたように思われて人物像の肉付けが薄いと感じてしまったからでもある。