坂東眞砂子 / ブギウギ

こちらも『ナニカアル』同様にこれまでの作風とはちょっと違う坂東眞砂子さんの新刊。やはり敗戦直前の日本が舞台。


坂東眞砂子 / ブギウギ (468P) / 角川書店・2010年(100622-0626)】


・内容紹介
 敗戦間近の箱根で、疎開中のドイツ軍潜水艦長が変死した。遺体を発見したのはドイツ兵が逗留する旅館の女中・安西リツ。事件の調査に通訳として呼ばれた法城恭輔は、他殺の可能性が強いと感じるが、ドイツ軍は自殺と断定。その裏には秘密兵器の存在とナチスの陰謀が隠されていた。
激動の時代を力強く生きる人々を描く、著者渾身のミステリー巨編!


          


〈敗戦前夜〉〈敗戦〉〈戦後〉の三章構成。箱根の旅館で働いていた女性が戦後東京で歌手になるのを縦軸に、ナチの機密文書の行方を絡めて終戦の激動期を描く。
主人公・リツが体制に縛られない(無頓着な?)自由で気ままな存在で、もう一人の男性主人公・法城が絶えず権力を意識しながら生きる男を代表していて、戦時の男女のあり方の対照を描いているようにも読めるのだが、ややその構図に無理があってどちらも存在感はいまいち。人物像にもさほど魅力を感じなかった。

たとえば大学教員の心理学者・法城は憲兵やMPの高圧的な態度を嫌悪し恐れながらも、ドイツ人艦長の死因を調べに箱根を訪れたときには自分が権力側に立っていることに気づいていない。ベルリンに留学経験があり独語と英語に堪能なインテリらしく「米英に勝てるわけがない」と他人事のように戦況を分析しながら、教え子の学生まで徴兵される時勢に自分が徴兵を免れていることを幸運とさえ感じている(病弱だとして徴兵検査を通らなかった太宰治でさえそのことに後ろめたさを感じていたというのに)。
戦後、日本人が手のひらを返したように旧敵アメリカの文化に親しんで遊興にうつつをぬかすようになったと世相を嘆いたりもするのだが、そういう彼だって満員の映画館で『荒野の決闘』を見て(そこで偶然探していたドイツ人軍医に出会う)ジャズ・バーに寄ったり(そこに偶然リツが出演している)していて、言っていることがまったく頼りないのだ。
彼は無垢なリツに対して小説上の状況説明者的役割を担っているのだが、たんなる傍観者であって行動も偶然頼み。そんな男に戦争や権力のある部分を象徴させようとしても、いかにも苦しい。



著者はお調子者で闊達なリツの姿に激動期の混沌を生き抜いたエネルギッシュな女性像を重ねたかったのだろうが、それも空回りの感は否めない。
南方から無事生還した夫へは無関心な態度をとり、ドイツ兵の子を生みながら自分で育てることを放棄してしまう。東京に出てこなければ子供を背負って農作業をする一生で終わっただろうなどという述懐。
たくましさとか屈託のなさというより、ただ自己中心的で軽率な人物だとしか思えなかったのは自分だけだろうか。
モデルは戦後「ブギの女王」と称された笠置シヅ子なのだろうが(マネージャーとして服部良一のような男も出てくる)、これならばたぶん、ストレートに笠置さんの人生を読む方が面白いだろう。



『ナニカアル』でもそうだったが、この本でもあらためて知る事実に驚く。日本にもドイツ軍潜水艦Uボートが寄港していたこと。ナチスドイツとアルゼンチンの親交。箱根が当時の在留外国人の疎開地であったこと(連合国側に通達されて箱根は空襲を免れた)。
観光や温泉に来る客がいない戦中の箱根は傷病兵の療養や戦没者家族の慰労の地として、また学童の集団疎開先として施設を国に提供していたが、戦局とともに外国人の収容所としても機能していたのだった。
富士屋ホテル/ヒストリーのページをのぞくと日米開戦の1941年には「開戦直後より連合軍側の外交官軟禁が行われ、富士屋ホテルにはヨーロッパ諸国や中南米の公使以下外交官約70名が抑留」と記載されている)

「水晶の夜」からホロコーストの「夜と霧」、ヒトラーの自殺とナチスの崩壊、南米での第三帝国復活の目論見まで、法城とドイツ兵との会話からドイツ情勢もかいつまんで語られるのだが、それらをストーリーの背景に全部取り込もうとしたのは欲張りすぎか。
はたして終戦直前の日本でドイツの事態をどれだけ把握できていただろうかと思うと、登場人物たちの当事者意識の希薄さが逆に目立って見えてしまった。



そうした史実の重みと、現代の作家がつくりだすキャラクターのミスマッチが最後まで気になって期待したほど楽しめる作品ではなかった。自分にはどうしたって事実の方が重く、強いのだ。それに、たとえエンターテイメントではあっても、ホロコーストや原爆投下はもっと慎重に扱われるべきだとの思いもある。
この主人公の男女はいかにも戦後六十年を経た現在地点から想像した登場人物だという気がするし、二人にはなにより戦争の実感が乏しい。男はどう生き、女はこう生きたなんて考察が書かれているが、当時の男も女も、もっと必死の思いで生きていたんじゃないか?
もちろん自分にだって‘戦争の実感’なんてものはない。だけど『ナニカアル』や奥泉光『神器 軍艦「橿原」殺人事件』に感じられた、暗い時代ゆえの生への執着が放つぼんやりとした鈍い光のようなものが、この作品からは見えてこなかった。ナチスユダヤ人廃絶思想も日本軍の中国での人体実験も男の「純血」へのこだわりだというのは意味の後付け以上のものではない。法城の自分の国の戦争に対する冷めた見方に、著者の後学の戦争観が色濃く出すぎてしまっているのが残念。


坂東眞砂子さんや桐野夏生さんのような現代作家(おそらく彼女らの親は戦争体験者)が2010年の今そろって戦時小説を手がけたのは偶然ではないという気もしている。