桐野夏生 / ナニカアル

桐野夏生さんの作品は数年前に女探偵ミロのシリーズをいくつか読んだだけ。最近も次々と話題作を出されているけれど、ちょっとエログロ描写が生理的に自分に合わないイメージを持っているのでここ数年はパスしていた。
それが最新刊は、戦中の女流作家・林芙美子がモデルだという。これまでの桐野作品とは趣が違う予感がして読むことにした。

林芙美子か… まだ十代のときに『放浪記』と『浮雲』は読んだが、すっかり忘れてしまった。『浮雲』は教科書にも載っていたな… と思ったのだが、教科書のは二葉亭四迷の方だった(笑…たぶん言文一致体が課題だった)

『ナニカアル』を読むなら林芙美子さんのことをちょっとは知っておきたい。職場の旧・読書クラブの本棚にある古い《日本文学全集》の中の一巻、林芙美子集から『放浪記』を読んでおいた。



桐野夏生 / ナニカアル (416P) / 新潮社・2010年(100618-0621)】


・内容紹介
 昭和十七年、南方へ命懸けの渡航、束の間の逢瀬、張りつく嫌疑、そして修羅の夜。波瀾の運命に逆らい、書くことに、愛することに必死で生きた一人の女を描き出す感動巨編の誕生。女は本当に罪深い。戦争に翻弄された作家・林芙美子の秘められた愛を、桐野夏生が渾身の筆で灸り出し、描き尽くした衝撃の長篇小説。


          


満州事変から第二次大戦へ。大東亜共栄圏を旗印に南進する日本。総動員法のもと、「ペン部隊」として徴用(「懲用」の意もあったという)された作家たちはアジア各地の占領地に派遣され、皇軍賛美・国威発揚の滞在記を書いた。石川達三井伏鱒二らとともに林芙美子もまたそのひとりだった。まずその事実に驚かされる。
軍部の厳しい監視と行動規制があり、さらにメモ書きは禁じられたうえに原稿は検閲されるので、文士は思うがまま自由に書けるわけではない。現在の北朝鮮と同じことを当時の軍部はやっていたわけだが、ちょっとでも厭戦反戦思想と受け取られる文は書けないとわかっていて、それでも戦争の現場を見たい、最前線に立ちたいというのは作家としては当然の欲求なのかもしれない。
『放浪記』で文壇に登場したため「ルンペン作家」とも揶揄されていた林芙美子が迎えた40歳の日々。
作家としての史実と、史実には表れないひとりの女としての姿をミックスした評伝小説のスタイルは、昨年読んだ太宰治と入水した山崎富栄を書いた松本侑子『恋の蛍』を思い出す。



48歳の若さで永眠した作家・林芙美子(1903-1951)の未発表原稿が彼女の夫の遺品の中から発見される。そこには誰も知ることのない作家の姿が記されていた。はたしてそれは創作小説だったのか、真実を記した日記なのか?

昭和18年(1943年)、インドシナ半島の取材旅行から帰国した芙美子の回想形式で語られる南方での秘められた恋物語
「こんなこと慣れているはずなのに…」― えー、林芙美子が?と思う場面がいくつもある。いや、自分だって林芙美子の実像なんてほとんど知らないのだから、どの部分が史実に則していてどの部分が小説的虚構なのかはわからないのだが、それでも戦時中の女性作家がここまで書くとは考えられない。
このあからさまでおおっぴらな書き方は桐野夏生そのものであり、ここにいるのはあくまで赤裸々で多情な‘桐野夏生版・林芙美子’だ。
報国の大義と自身の恋愛。作家としての林芙美子と、女としての林芙美子。どちらかといえば「女」の方にスポットが向けられているので、彼女が生命の危険を顧みずペン部隊に参加した実情はぼやけてしまった感もある。彼女の本質に迫ろうとする意欲は十分伝わってくるが、彼女が戦地に赴いて直接目にした戦争の真実に対してはどうだったか。作家的な、ジャーナリスティックな正義感と軍権力に加担することへの葛藤への突っこみはやや甘いか。



それにしても、シンガポール(昭南特別市と改名された)、ジャカルタ、ボルネオといった日本軍が陥落させた主要都市には軍人、憲兵のみならず、(現在も存続している)有力新聞・出版各社までもが進出して現地紙を発行していたのだという。一旗揚げようと(潜水艦による攻撃で船が沈没する危険を冒してまで)一般の商売人も大挙して押しかけた現地は、空襲に怯え深刻な物資不足に困窮する一方の内地とは別世界の活況を呈していたことなど、歴史年表には出てこない事実が印象強くて、林芙美子が実際どうだったかは正直なところ読んでいてあまり気にならないのだった。
ちょっと残念なのは、当時彼女が実際に書いたルポがどうのようなものだったか、まったくその内容には触れられていないこと。軍部にいわれるまま南方を旅しながら抑えられない彼女の恋愛感情と見え隠れする間諜の影が作品の太い幹であって、はたして庶民派作家であった彼女が本当にまったく軍部のいいなりに当たり障りのないことばかり書いていたのか、そのあたりのことは知ることができない。



『放浪記』は昭和5年(1930年)に改造社から出版された。(『蟹工船』を発表した小林多喜二はこの年、不敬罪で起訴され収監されている)
九州の炭坑街を親について行商して回り、あんパン売りをしていて小学校にも通えなかった貧しい子供時代、貸本屋で借りた小説を夢中になって読んだ。上京してからもカフェの女給や女工、派出婦(臨時雇いの女中・家政婦みたいなものか?)をしたり母と夜店を出したりして糊口をしのぎながら細々と詩や童話を書き続けた。 「私は宿命的に放浪者である」 という有名な書き出しで始まるこの作品は、およそ教養らしきものに縁のない環境で育った彼女がきらめく感性を日記形式で書きつけた自伝的内容で、一躍彼女を売れっ子作家に押し上げた。

・朝も晩も、かぼちゃ飯で、茶碗を持つのがほんとうに淋しかった。


・気持ちが貧しくなってくると、私は妙に落書きをしたくなってくる。豚カツにバナナ、私は指で壁に書いてみた。


・さあ男とも別れだ泣かないぞ!/しっかりしっかり旗を振ってくれ/貧乏な女王さまのお帰りだ。
 外は真暗闇だ。切れては走る窓の風景に、私は目も鼻も口も硝子窓に押しつけて、塩辛い干物のように張りついて泣いていた。


・古ぼけたバスケットひとつ。/骨の折れた日傘。/煙草の吸殻よりも味気ない女。
 私の捨身の戦闘準備はたったこれだけなのでございます。

ひもじさは文学への憧れなど軽々と凌駕する。財布の中の小銭を数えてはため息を漏らし、職を転々とする青春。なのに不思議と卑屈な暗さはなく、逆に飄々としたユーモアさえ感じさせる。涙を零しながら俯かず、ぐっと顔を上げる自分を見つめる観察眼はなんとたくましいのだろう。貧しさと自分の弱さにうちひしがれながら、どこかにもっと堕ちても平気そうなしたたかな泰然がある。昭和初期なのに文章は詩的でずっと洗練されていて、「アブノーマル」とか「テロリスト」なんて単語も自然に登場する。だから少女の日記ながら全然飽きることなく読めてしまった。



『ナニカアル』の芙美子像には、そうした文学少女の面影はない。林芙美子の文章にある瑞々しい言語感覚も、ここにはない。だが。
女性に参政権はなかった時代。日本ではなく大日本帝国だった時代。銃後の守りに専心すべき無学な女性が作家を志すなど、変わり者どころか非国民扱いされる夢だったろう。(ここでも連想してしまうのは太宰の愛人とされた「斜陽日記」の文学少女・太田静子さんだ) そんな時代ゆえの‘女流’の肩書きだったのだろうが、その同性作家の魁(さきがけ)へのリスペクトはひしひしと伝わってきた。 
ラスト近く、ハイライトの破局の場面を読んでいて、いかにも現代的作家であり創作上の接点などなさそうな桐野氏がなぜ林芙美子に惹かれたのかが分かった気がした。残す作品に生命を賭けるのだと芙美子に語らせているが、彼女へのシンパシーがここの台詞に表れていて、そしてこれはそのまま同じ物書きとしての著者の意志表明でもあるはずなのだ。この部分は胸が熱くなった。
林芙美子になりきって書こうとか、芙美子の文体模写をしようとか、偉大な作家の威を借りようとはしない。著者お得意の‘狂おしき愛’とか‘どうしようもない女の性’の枠に躊躇なく、半ば強引に林芙美子という女性を取りこんでしまって、自身の創作態度をストレートに貫いた潔さがこの作品を快作にしたのだと思う。
これからの桐野夏生さんにも期待できそうだ。


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先日書店に寄ったときに別冊文芸「林芙美子」(KAWADE夢ムック)を見つけて、少しだけ立ち読みした。
巻頭には『放浪記』を再読した(オレと同じじゃん!)堀江敏幸氏の感想が。続いてのページには芙美子の放浪性は母親キクの血だとする桐野さんの文が掲載されていた。四十代で亡くなった芙美子が八十代まで生きたキクに残したものは「何か」が書いてあった。
このムック本は2005年刊とのことだから、桐野さんはこの頃からすでに『ナニカアル』に着手していたのかもしれない。