ダニエル・ペナック / 片目のオオカミ

オオカミ本三連発のラストは、これまた白水社の本(現在この作品は白水Uブックス―ライ麦畑の―にラインアップ)。オオカミ本と硬派なサッカー本を出す「おまえはオレか?」的な出版社である。
白水社さま、生まれ変わったら就職希望です。その節はよろしく!


【ダニエル・ペナック / 片目のオオカミ (169P) / 白水社・1999年(100614-0616)】
L'CEIL DU LOUP by Daniel PENNAC 1992
訳:末松氷海子


・内容紹介
 人間に傷つけられ、生きる気力も失っていた片目のオオカミは、動物園の片すみでひっそりと生きていた。そこに現れたアフリカ出身のひとりの少年。この限りなく優しい心の少年によって、オオカミは再び生きる力を取り戻す。


          



うーん、こういう本は苦手だ。リアルオオカミ本を二冊読んだあとで、どのツラ下げてこういうのを読めというのだ! ……といっても選んだのは自分なのだが。
大きな活字で、漢字熟語も少ない。出てくるのは動物園のオオカミと黒人の孤児だけ。いかにもお涙頂戴風の設定で気が進まない。読んだところで面白かったでもない、つまらなかったでもない、なんにも感想を持てなかったらどうしようと読む前から怖じ気づいてしまう。
べつに無理して「感動しなくちゃ症候群」みたいな読み方をしないでもいいのだ。そう自分に言い聞かせながら、おそるおそる本を開く。


オオカミの話と少年の話、二つが最後に融合する。
オオカミの章はまだいい。人間の恐ろしさを子供たちに話して聞かせる母狼《黒い炎》。わんぱく盛りの仔狼の兄妹たち。その中でひときわ美しい毛並みの雌狼《スパンコール》が毛皮目当ての人間に狙われる。妹を助けようとして傷つき人間界に囚われの身になる賢い兄《青いオオカミ》。
「オオカミは病気のカリブーしか食べない」とか、イソップやグリム童話のような扱いではなく、それなりにオオカミのことはちゃんと描かれていた。


が、続く少年の話を素直に読めなくて困ってしまう。このフランス人作家がアフリカの貧しい子供を書いている態度はフェアじゃないと思ってしまい斜に構えてしまう。
児童文学かYA(ヤングアダルト)カテゴリだから多少の省略はあって当然なのかもしれない。著者に悪意はないのだろう。でも、かつての宗主国側の人間が植民地だった国々に接するときには、おのずと取るべきスタンスがあるはずではないか。
名もない少年は《アフリカ》と名づけられる。もうこの時点でアウトだった。どこまでもあの大陸の黒人はアフリカ人でしかない。名前も故郷も奪われて画一の個性に押しこめられてしまう。

あら探しをしたり難癖をつけるつもりなんてないんだけど、ついムキになってしまうのは、この前の日本戦でのカメルーンがあまりにお粗末だったせいもある。A.ソングを使わないフランス人監督の無能のおかげで日本は勝てた。カメルーンはあんなへぼチームじゃなかったはずだ。
アフリカの代表監督には以前からフランス人が多い。ブルーノ・メツ、フィリップ・トルシエ、ル・グエン… そこに植民地時代の名残を見るのはこじつけに近いかもしれないが、そろそろ‘アフリカ人の身体能力’とフランス人のエゴを排除すべき時期じゃないか…


……ワールドカップの話にズレてしまいそうなので止めておこう。

そもそも少年がアフリカ人である必然性はないし、一方の動物がオオカミである必要だってまったくない。コンクリートに囲まれた動物園は刑務所のようだなんて憐れんでおきながら、ラストシーンは動物園での大団円だ。
マイノリティを創作する一見優しげな目線が自分にはひどく作為的で偽善的に思えてしかたがなかった。少年とオオカミの自由を奪ってきたのは誰なのかの客観はまったくない。
皮肉なことに最後は少年とオオカミがしっかり見つめあって、これまで見ようとしなかった世界に目を向ける、みたいに終わる。見えてないのはこの作者の方じゃないかなんて思ってしまった。


こんなふうに読んだら楽しく読める童話なんて一冊もないかもしれない。やっぱりオレってひねくれてるのかなぁ…