川端康雄 / ジョージ・ベストがいた

ワールドカップは終わってしまったが、サッカー本をもう一冊。


たまたま書店で見つけたこの新書版の本。サッカー評論家が書いたのだったら買わなかった。
カバー裏を見ると、著者は英文学専攻の文学部教授。これまでにもオーウェル関連の著作・編訳がある(岩波の『動物農場』はこの方の翻訳)。そういう人がジョージ・ベストと英国サッカーを書く。あ、これは良いぞ。サッカー好きというより、英国好きの血が騒ぐ。悪いわけがなかろう。直感は当たった。


【川端康雄 / ジョージ・ベストがいた―マンチェスター・ユナイテッドの伝説(264P) / 平凡社新書・2010年(100709-0713)】


・内容紹介
 様々な若者文化が円熟期を迎えた1960年代英国、一人のサッカー選手が彗星のごとく現れた。彼の名はジョージ・ベスト。卓越した技術とその人気から「5人目のビートルズ」と呼ばれ、“Maradona good,Pele better,George Best!”と言われた彼こそ、正真正銘のスーパースターだった ― 死してなお人々を魅了し続ける「ベルファスト・ボーイ」の栄光と挫折の物語。


          


60年代の英国サッカーといえば、1958年の飛行機事故「ミュンヘンの悲劇」から奇跡的に生還した名将マット・バズビー監督率いるマンチェスター・ユナイテッドの復活を抜きには語れない。大破した機体から座席ごと救出され一命をとりとめたボビー・チャールトン、スコットランドの‘ジャックナイフ’デニス・ローとともに「黄金の三人」と呼ばれる強力な攻撃陣を形成したのが北アイルランド出身の天才ドリブラー、ジョージ・ベスト(1946-2005)だった。(1968年までの五年間に欧州最優秀選手‘バロンドール’をこの三人が受賞しているのだから、なんと豪華なラインナップだったのだろう!)
彼の華々しい登場はユナイテッドの欧州制覇への道のりに重なったのだが、戦後の耐乏期を脱しポップカルチャーが一気に開花する英国の時代の空気ともぴたり同調していた。
フットボーラーとしては異例に華奢ながら、モップヘア(マッシュルームカット)を揺らせてトリッキーなドリブルで相手を翻弄しゴールを量産したベストはサッカー選手の枠を越え、英国のポップ・アイコンとなっていく。1968年、悲願の欧州カップ(現チャンピオンズリーグ)を制したとき、彼はまだ22歳だった。あまりに早く成功を収めた彼の私生活はその後乱れていく一方だった…



リバプールファンとしては憎きユナイテッドの名選手ということを差しおいても、この本の良さを認めないわけにはいかない。
まず、50〜60年代の英国の社会情勢、アイルランド北アイルランドのこと、時代背景、風俗がしっかりと書かれているのが良い(サッカー評論家だとこうはいかないだろう)。ベストの生い立ちを語りながら、当時の英国の教育制度や賃金体系のことまで書かれている。
サッカー選手の給料は週給制(=weekly wageウィークリー・ウェイジ)で肉体労働者と同じ給与体系。サラリーsalaryというのは中流階級の給与のことだそうで、すでに百年以上の伝統があった英国のプロ・フットボーラーといえども当時の給料は一般労働者とさほど変わらなかったというのだから驚く。
それからベストのキャリア上、重要な試合がいくつか取り上げられているのだが、その解説が上手い。妙に細かな描写があって、これはただ社会現象としてのジョージ・ベストに興味を抱いた大学教授のペンではないなと読んでいてわかる。サッカー好きな文学者が一度はサッカーを−それも華やかなりし頃の英国のサッカーを−ものしてみたいというのが、ピッチで躍動するベストを描出するこだわりの筆致ににじみ出ている。所々ですごく主観的な一文が入っているのが逆に好ましかったりするのだ。
また、マンUが伝統的にアイルランド/ケルト人とつながりが深いクラブである点を指摘していて、そういえば…とうなずかされたのだった。(現在のチームも、ファーガソン監督はスコットランド人、ライアン・ギグスウェールズ人で、オシェイアイリッシュだ) なるほどユナイテッドが全英的人気を誇るのも、この辺りに一因があるのかもしれない。(悔しいけれど)なるほど認めざるをえないのだった。



1966年の欧州カップ準々決勝マンチェスター・ユナイテッドvsベンフィカリスボン。ホーム・オールドトラフォードでのファーストレグを一点差で勝ったバスビーはアウェーのセカンドレグを守備的に戦うようチームに指示した。ところが、キックオフと同時に監督の指示を忘れて一人攻めに出る選手がいた…それがジョージ・ベストだった。彼は前半12分までに2ゴールを挙げると(!)、さらにユナイテッドの攻撃をリードし続け、エウゼビオを擁し当時世界最強と謳われたベンフィカを5-1で下す立役者となったのだった。
ホーム&アウェーの初戦でリードを得れば次戦は手堅くというのは現在でも常套手段だが、この日のベストのプレーはそんな常識を覆すものだった。古い価値観や規範に縛られない大胆な世代の登場。もちろん元来内気で真面目だったという彼自身にそんな大それた意識はなかったのだろうが、若さにまかせてドリブル勝負に出る彼の姿は、階級と伝統にがんじがらめだった英国の若者に鮮烈にアピールすることになった。
この試合でベストは英国のみならず欧州全域に知られるようになる。ベンフィカサポーターからも拍手喝采され、『エル・ビートル』の愛称で呼ばれるようになったのだった。



彼はサッカー選手としては英国で初めてアイドル的存在としてゴシップ紙の標的にされた人物でもあるが、著者はあくまでプレーヤーとしてのベストをメインに据えている。
ジョージ・ベストは1974年、サッカー選手としては一般的にはピークの年齢であるはずの二十代後半にマンチェスターを(解雇同然に)去り、イングランド下部リーグやアメリNASL等で細々と現役生活を続け、最後はオーストラリアのクラブでユニフォームを脱いだのだった。北アイルランド代表としてワールドカップの舞台に立つこともなかった。それでも、ユナイテッドに在籍した数年の活躍(記録より記憶に残る)により2005年の死後、現在まで彼が愛されているのは、彼がイングランド人ではなかったからかもしれない。

ビッグイヤー獲得後のアルコールに溺れてサッカーから離れた半生は駆け足になって後半はややボリュームが薄くなってしまったのが残念。60年代半ばから70年代初めの数年間に眩く輝いたスーパースターが一気に燃え尽きてトップクラブを去り、どんな思いで二部、三部リーグのクラブでプレーしたのか、知りたい。ベルファストの少年がなぜ地元クラブを選ばなかったのかも興味がある(…‘消えたベルファストダービー’)。おそらく彼は二十世紀後半の様々な事象の象徴的存在として捉えることが可能な貴重な人物という気がする。
各章見出しには貴重な写真が添えられているのも嬉しい。(欲を言えば、新書なので写真が小さい…)補筆して単行本化を希望!
巻末に附された参考資料を見ると、それこそベストがまだ現役時代のものから死後刊行されたものまで、残された評伝の数多さに驚く。有名人の評伝というのは書かれた年代やライターによって内容も違うし(中にはゴシップライターだっているだろう)、読むのに注意が必要なことも多いのだが、著者はそれぞれの評伝から信頼できる記述を選び、出来る限りの調査の上で本書に取り上げて再構成している。もしかしたら、本国で出ているものよりよくまとまっているのではないか。
政治家や文化人ではなく、外国の一スポーツ選手の人生を原文資料のみから一冊の本にまとめあげるのは並大抵の労力ではないだろう。しかし、この本の隠れた魅力は、おそらく資料を読み映像を観るうちに、英国人がベストに惹かれる理由を日本人の著者が解き明かしていくところにある。もっと言えば、その過程で −ベストのプレーに一喜一憂するサポーターの歓声を追体験することで− 著者本人もジョージ・ベスト・ファンになっていったらしいのが文章からかいま見える点だ。
オックスフォードやケンブリッジの教授がこういう本を書くだろうか?この本、日本のサッカーファンは誇ってもいいのではないか。


ブライアン・ロブソン、カントナベッカム、C.ロナウドと受け継がれるユナイテッドの「背番号7」の原点、それがジョージ・ベストなのだった。