星野智幸 / 俺俺

『俺俺』といえば…


     




星野智幸 / 俺俺 (252P) / 新潮社・2010年(100723-0726)】



・内容紹介
 実家のドアを開けると、現れたのは俺だった。「誰だおまえ」「おまえこそ誰だ?」
なりゆきでオレオレ詐欺をしてしまった俺は、気付いたら別の俺になっていた。上司も俺だし母親も俺、俺ではない俺、俺たち俺俺。俺でありすぎてもう何が何だかわからない。電源オフだ、オフ。壊れちまう。増殖していく俺に耐えきれず右往左往する俺同士はやがて――。現代社会で個人が生きる意味を突きつける衝撃的問題作!


          



内容については『WEB本の雑誌/作家の読書道』で星野氏自らが語っているとおり。また、氏のブログ『言ってしまえばよかったのに日記』でも(ネタバレではない)作品の背景が紹介されている。その記事には文学へ向かう星野さんの姿勢も書かれているのだが、それはそのまま読み手の態度としても共感でき、勇気づけられる内容にもなっている。

《苦しい者同士が、互いに貶め合う競争社会。それが今の日本社会の風土だ。「自殺」とは、自分たちが殺し合う、という意味なのだ》― 『言ってしまえばよかったのに日記』7/3より
以前から「年間自殺者三万人以上」の異常さについてたびたびブログ等で言及してきた星野さん。本作はその総決算。わかりやすく、読みやすく、明るいものを−。作家のプレッシャーにも見事に応えてみせた快作になった。

(自分はこれらの情報に接していたので、「俺が増殖して俺だらけになる」という怪現象を現代社会の戯画として読むことができたけど、予備知識なしで読んだ人はどうだっただろう)



たぶん、この作品についてはテーマとそのイメージ化が最大の特徴として語られると思うが、奇想の土台にはまず主人公の現実生活があって、それがしっかり書かれている。職場での人間関係、親子関係、アパート暮らしの様子など、都会で働く独身男性の日常がリアルで身近なものとして感じられる。(アルゼンチン音響派とかは…?笑)
「違げえよ」などの今どきの若者言葉を散りばめながらテンポ良く進む会話場面のリズムの冴えはいつものとおり。女性の会話文が上手いのには毎回感心させられるが、今作でも「俺」の母親のあけすけでお節介な口調には(特に息子の立場から見た場合の)よくある母親像が見事に活写されている。超現実に巻き込まれつつある「俺」を地続きの現実に強引に連れ戻す役割を(あるいは現実から超現実へと突き落とす役割も)この母親は担っていて実に機能的な存在だ。
「全身からビスが抜け落ちていく」「クラゲになった気分で湯船に浸かる」「萎んだ花のように生気が抜ける」等々、‘星野節’とも呼べそうな、独特だが当を得た言い回しも小気味よく決まっている。



冗談のつもりで他人の携帯から「オレオレ詐欺」のいたずら電話をかける冒頭から、これまでの星野作品とは違うコミカルなタッチで引きこまれる。唐突に「俺」が増えていく展開に成り行きを予感しつつ、どう決着をつけるのか気にしながら読み進めた。
家電量販店「メガトン」で働く主人公の仕事ぶりや同僚との関わりがつぶさに語られるが、多少の仕事に付きもののトラブル以外にはこれといって破綻の予兆はない。小さな挫折経験はあるものの屈折というほどではない。疎遠ではあるが家族と険悪なわけでもない。なのに、どうしてこの主人公が「俺」だらけになっていくのか。
豊かとは言えなくとも、それなりに自活しているようには見える。しかし、確かなものもまた何一つないのだ。この社会は「俺」みたいな奴ばかりだと気づいた(気づかされる?)ときには、青年は「俺」の大群に囲まれ追いつめられて窒息しそうになっている。同類の中で自分が何者であるのか見失うところまで行けば、その先には…… 
一つ歯車が狂えば、一つレールが外れれば、という危うさは個人の人生に限ったことではない。この作品は現実の一断面をかなり大胆に脚色した社会風刺ではあるけれど、この社会だって徐々に崩壊しつつあるのではないか。歯止めのきかないうねりの中で、暴走の一歩手前で共同体の幻想にすがるようにして、かろうじて体面を保ちつつ暮らしているだけではないか。あらためて自分の周縁をそう振り返らせるところに本作の恐ろしさがあるような気がする。



WEBメディアを積極的に利用して作家の声として表明してきたテーマを、思いがけない形の作品にして発表する。現代の自殺蔓延社会の空気をこんなイメージに仕立ててしまう。小説家なのだから、小説として世に問う。当たり前のことのようだけど、そんな作家が孤高に見えるのは、やはりこの社会の文壇にも俺俺主義が蔓延しているからではないだろうか。
自分が今生きている社会への強い関心を創作活動の第一歩とする星野智幸さん。今作では今まで以上に軽やかに現実と幻想のあやふやな境界を行きつ戻りつしてみせる。内容が示す混沌とは裏腹な洗練されたイメージが鮮やかに残る。自身はそんなことは少しも思っていなさそうだけど、その手際の良さに作家としてのプロ意識の高さが感じられ、ますます頼もしくなってきたように思えてならない。

悪と仮面のルール』が簡単に他人にすり替わって自己の捏造に腐心するのに対し、『俺俺』は自分の存在をぎりぎりまで問おうとする。新刊二作を並べてみた今回の中村・星野対決。腰の座り具合が際だって違った。先のワールドカップの試合でいえば、ウルグアイvs韓国みたいな感じか(笑)


ところで、南米とサッカーへの関心も高い星野氏。2014ワールドカップ・ブラジル大会には行かれるのだろうか。四年後、カナリアイエローに染まったマラカナンかモルンビーでオーレーオレオレオレ♪を歌うのは自分の夢の一つでもある。
これからも読み続けたい。星野智幸、オーレ!