熊谷達也 / 銀狼王

澤見彰『月香の森』を買いに行って、この表紙を見てしまった。それから半時間、文芸書の棚を離れて文庫や雑誌コーナーをぐるぐる歩きつつ迷う。あーどうしようか。買うのは一冊。どっちにしよう…
『月香』は読みやすそうなファンタジーみたいだった。『銀狼王』はドキュメンタリータッチのマタギの話のようだ。千疋狼の伝説というのも気になるが、最後は表紙絵の迫力で決めた。


熊谷達也 / 銀狼王 (216P) / 集英社・2010年(100727-0729)】


・内容紹介
 明治二十年、開拓期の北海道に齢五十を越える猟師がいた。初冬のある夜、彼は、知己であるアイヌの古老から、「銀色の毛並みの巨大な狼が生き残っている」という噂を聞く。老猟師は、その幻の狼を「銀狼王」と名づけ、ぜひとも自らの手で仕留めたいと、山に分け入るが…。銀狼王と老猟師のしたたかな駆け引き、そして―雪の舞う大自然の中で対峙した、彼らの闘いの行方は…!?獣と人間の枠を超え、魂と魂が激突する。著者渾身の傑作長編小説。

          


ああ、これは『老人と海』だな。途中で気づく。『老人と海』に『狼王ロボ』だ。
大寒波で鹿が激減すれば狼も減る。山中に餌を見つけられず人里に下りてきた狼が牧場に被害をもたらす。家畜を荒らされた人間は狼を駆除しようとする。シートンも大量に使った薬がここでも使われた。ストリキニーネ。いやな響きだ。
飢えた狼は毒餌に手を出して数をさらに減らしていき、ほとんど絶滅したかに見えたが、狼を神と崇めるアイヌの間に一つの噂が広まる― 銀色の毛並みが美しい堂々とした体躯の狼が生きているらしい。すると、何かに導かれるようにして老猟師がやってくる。噂を吹き込まれたその猟師・二瓶(にへい)はまだ見ぬ獣に言いしれぬ宿命をかぎ取って、そいつを追う決意をする。
まったく自然に反することがない展開で二瓶の出立までが描かれる。



北海道の早い冬、山中に踏みいってしまえば西洋銃一丁だけ持った初老の男と相棒のアイヌ犬・疾風(はやて)だけである。仙台藩の二瓶が蝦夷地へと移住してきた経緯が説明され、彼の狩人としての半生が語られる。十年も連れ添っている疾風が愛嬌のあるところを見せるのもいい。
冬山をさすらう二瓶が豪胆なマタギ者の一端を見せつけるのは、雪が降り始めて野宿できなくなった凍てつく夜のこと。疾風が見つけた羆が隠れた蝦夷松の根元の穴に銃弾を撃ち込み、そのまま潜りこんで獣の屍体で暖を取りながら一夜を明かすのだ。火薬と硝煙、血と獣臭にまみれて、死んだとはいえ熊の腹に体を預けて眠る… 眠れるものだろうか? ところが彼にとっては快適で極楽といって良いほどの寝床なのだった! まどろみつつ、彼は目指す狼−銀狼と名づけた−の夢を見るのだった。



雪が積もれば足跡は見つけやすい。銀狼が鹿道で獲物を待ち伏せすると読んだ二瓶の思ったとおりに、やがてまだ新しい狼の足跡が見つかる。
ここから緊迫の度は増して、どんな形で人間と狼が遭遇し、どんな闘いが始まるのか、期待が高まる。
一進一退の攻防はサスペンス風味(背後に気をつけろ!)でスリル満点だ。闘いは次第に人と獣の垣根が取り払われて心理戦の様相を呈していく。妻子を亡くした孤独な猟師とパートナーを失ったボス狼の立場が目まぐるしく入れ代わる。追う者が追われ、追われた者が追う。いつしか二瓶と銀狼が逆転しているのが本作品のハイライトだ。
おそらく銀狼は二瓶がどんな男なのか理解していた。二瓶が銀狼という存在に確信を持っていたのと同様に、それはもう自分の後を追ってくる者がいると察したときからそうだったのだろう。はたして人の心を狼が読むものかどうか、それはわからないが、本能的に似た者同士の直感を得たのだと信じたい。風に運ばれる情報は臭いや音、熱だけではない。‘気’だって届いてしまうのだ。



集団で狩りをする狼の統制された動き、ユニークな習性、群れの成り立ちや番いの愛情など、狼の生態・行動もツボを押さえている。
それなのに、やけにあっさり読み終えてしまった感じなのはなぜだろう。人と狼の対決が予想外の展開を見せて引きこまれたにもかかわらず、どこか予定調和の感を越えることがないのだ。

それはたぶん、「間」が少なかったからだと思う。『老人と海』の、ただ巨大カジキに曳かれていくしかない、あの永遠とも感じられた時間。
いかな有能な猟師とて、広大な山野に狩りに出てほんの数日で目的の一頭と対峙してしまうのは、ちょっと早すぎないか。それから、二瓶の孤独を強調するためか、彼は独り言を口にする癖があって、もう喋るなと自分を戒める場面すらあるのだが、それですら冗舌に感じる。こういう主人公はもっと寡黙であってもいいのに。(一方の銀狼は徹底して寡黙だったではないか! 本当は、お喋りな段階で人間の負けだ←オオカミ族主観)
ただ狼を待つ。何の成果もなく過ぎる時間。無為に過ぎ去るように思われる時間。樹上に体を固定して銀狼を待つ場面があるが、その間でさえ短く感じた。森と同化し風景の一部となり、息を殺して獣を待つ時間の豊かさが伝わってこないのが残念。それは狩人の集中力と忍耐と太々しさを表現することにもなったはずだと思うのだ。
人と獣が魂をむき出しにしてぶつけ合うのに、時間だけは人間のペースを外れない。人と野生が完全なる均衡と溶融に近づくのに、ただ一点のみで人間のエゴが消えずに残った分、印象は醒めやすいのかもしれない。


しかし、この猛暑の最中にこういう物語を読むのもなかなか乙なものだ。