伊東潤 / 戦国奇譚 首


伊東潤 / 戦国奇譚 首 (186P) / 講談社・2009年 (100731-0803)】



・内容紹介
 獲れ!出世も褒賞も「それ」次第。少しでも高い身分の敵の首を、1つでも多く― 己の出世と一族のため、戦場を駆け回る武士たちの首獲り物語。首が明暗を分けた時代の悲喜劇を綿密な考証と大胆な解釈で描く、初の戦国「首」小説集。
「戦国もののマンネリズムを打ち破った着想の妙」 「一見、勇壮な武者たちの人間的弱さや哀しみが心にしみる」


          


日没まであと少し。敗走する敵軍勢を追って夕闇を駆ける男たちの目は異様にギラついている。血走った眼で探す獲物は「首」。武具や旗指物が散乱し、すでに首無し屍体がごろごろしている河原を右往左往する男たちはなりふりかまわぬ本性を晒け出す。
本作が異例なのは、どちらが勝った負けたの合戦の経過はほとんど語らず、軍の最末端で功名の幻想に振り回される名もなき武士たちの奔走ぶりを描いたところ。
戦場での命の奪い合いは手柄の取り合いでもある。盗み、掠め取り、横取りしようとし、戦果を得られなかった者は譲ってくれとねだり、ある者は落ちていないかと葦の茂みを這いずりまわる。
そうまでして手に入れたい「首級(しるし)」がもたらすのは栄光か没落か。そうした行為に駆り立てられるのは堕落なのか。



本能寺で織田信長が斃れた後、戦乱は東国にも飛び火した。小田原に本拠を構える北条氏も上杉、足利勢を追って関東一円に勢力を拡大していた。
頼まれ首・間違い首・要らぬ首・雑兵首・拾い首・もらい首 の全六篇。いずれも北条氏に仕える下級武士が首をめぐって一喜一憂する掌篇である。
戦の大勢が決してしまえば武者たちの関心は自らの功名を上げることしかない。「討ち取り勝手」の触れを待てずわれ先にと駆け出す若武者たち。さっきまでの激しい戦闘で疲れ果てた古参兵にそんな気力はない。それでも首を獲ってこなければならない。とぼとぼと重い足を引きずりつつなんとか辿り着いた先にはもうめぼしい獲物は残されていない。
そんな彼らにも一攫千金の機会は訪れる。目の前に転がる首がまばゆい「物」に変わる瞬間。その首は何かを試すかのように老兵の手元に転がりこんできた。

 思えばここ十年、清右衛門は功名にありついていなかった。若い頃は、戦場に三度も出れば、必ず一度は首を提げてきたものだったが、ここのところ、ずっと功名からは遠ざかっている。
― わしが首を挙げたと知ったら、皆は驚くだろうな。
 ついそう思ってしまった清右衛門は、即座に己の醜い考えを否定した。
― 何を考えておるのだ!


戦利品を腰や槍先に括りつけて本陣に戻ると「首実検」が開かれる。その場で「首」が検め(あらため)られ大将が論功行賞を判定するのだ。そこで「誰の首なのか」「それを獲ったのは誰か」が問題になる。
意気揚々と手柄を掲げながら、その数瞬間後には首筋を冷や汗が伝い落ちている転落の落差。明暗貧富の痛切な逆転。
必死の抗弁で恥の上塗りを重ねるにせよ突っ伏し嗚咽にむせぶことになるにせよ、その痛恨にはなんとも身をつまされる親近感があるのだった。滑稽なまでの貪婪は、しばしば聖者の禁欲よりも人間的に映るものなのだ。



二、三篇読めば、物語の構成も展開も読めてしまい、シンプルに各表題のイメージどおりになる。
首狩りの蛮行を淡々さらりと書く文章のクールさは戦場の倫理感も生死を賭した悲壮感も匂わせない。行為は情緒を否定しながら、情緒はより情緒的に描き出される。肉体の一部を切断する非人的行為を、どうしようもなく人間臭い行為に転換してみせるところに本書の成功がある。
戦国時代の一スケッチのように見せかけてはいるが、六篇に共通のテーマは欲望と理性のせめぎあいである。どさくさにまぎれて手に入れた首級を自分のものだと主張するのを、けして愚かだと笑えないのは、現代人の感覚ゆえではないか。

あなたにはもう何年も誇るべき武勲がない。故郷には飢えた一族が待っている。そこに屍体がある。そいつは雑兵かと思われるが、もしやして高名な武将かその縁者であるやもしれぬ。さて、あなたはいかがいたす―
その場にいたならば、恩賞褒賞を脳裏にちらつかせないでいられるだろうか。自分だって一度くらい幸運に恵まれたっていいはずだと思わないでいられるだろうか。さあ獲れ、持って行けと首が魅惑的にささやくのが聞こえる気がする。
読んでいる途中から他人事ではなくなってきて……それからわが身が凍りついたあのときこのときの経験が甦ってきてぞっとさせられるのである。高潔など簡単に破れることを自分も知っているからである。
首狩りの凄惨さよりも嘘が露見したときの失望感をより怖ろしく感じてしまう。やはりこれは戦国の名を借りた現代小説だ。


今どきの軽いタッチの時代小説ではあるけれど、良かった!
続けて『戦国鬼譚 惨』を読む!