開高健 / 夏の闇 直筆原稿縮刷版


角田光代さんの作品を読んだことがない。ロック母とか何とかのジミー・ペイジとか、そそられるタイトルの作品があるし、酒井駒子さんの表紙カバーが目について文庫本を手に取ったこともある。読書系ブログの方たちにも人気があるようなので気にはなっているのだが、男が読んでも面白いかなあと思うと、なかなか買う決心がつかないでいる。


毎日新聞8月15日付/今週の本棚〈この人この3冊〉で角田さんが開高作品を挙げていて、意外な組み合わせに驚いた。
短い文だけど、良い文だったと思う。そのうち何か角田女史のも読んでみようと思う。



開高健 / 夏の闇−直筆原稿縮刷版 (416P) / 新潮社・2010年 (100825-0828)】



・内容紹介(「BOOK」データベースより)
 誰も殺せず、誰も救えず、徒労と焦燥の間を漂うしかなかったヴェトナムでの戦場体験を経て、暗く、抜け道のない「現代」によどむ懈怠と嫌悪の淵に沈潜し、ひたすら女との甘い生活にふけろうとする男。男は「私」であり、作家は自分自身に挑みかかる決意だった。40歳のにがい記念として…。かくて、書き直しも消し跡もほとんどない、この完璧な原稿が残された。作家の決意がみごとなまでに結実した、その記念として―。


・内容紹介(新潮社HPより)
 いま生まれたばかりの小説の息づかいが聞こえる……
発表以来、世代を越えて読み継がれてきた名篇の肉筆原稿408枚を完全収載。人なつこさと繊細さを兼ね備えた書字の列なりから、作者自ら“第二の処女作”と呼んだ作品にかける意志と情熱が、男と女の間に潜む闇を描く文体のリズムとなって浮かびあがる。創作の現場に立ち会うのにも似た、かつてない読書体験の喜びに満ちた408頁。


          



今年は開高健(1930−1989)の生誕八十年。神奈川近代文学館で開催されていた記念展に行きたかったが、とうとう予定のつかぬまま8/1で終わってしまった(どうして盆休み期間までやってくれないのだろう?)
その代わりというのでもないけれど、これを買った。
 − 開高健生誕80年記念出版 夏の闇 直筆原稿縮刷版 −

生前氏の作品の多くがそうだったように函入、本体は原稿用紙51%の縮刷を横版革装・右綴じしてある。
作家が「自分の指みたい」と肌身離さず愛用した万年筆はモンブランの149。ブルーブラックのインキはたしかパイロットのじゃなかったっけ?(印刷はモノクロ)
扉を開くと『夏の闇』執筆当時の殿下(1971年、40歳)の写真があって、次頁に……(!)


          



もう、この一頁だけで嬉しくなった。この筆圧。むくりと作家の肉体が起き上がってきそうな筆触。はてしない彷徨と放蕩の果てにとうとうしたためられた作家渾心、必殺のフレーズがそこにあった。
作家はもういないのに思わず「おかえり」と声をかけたくなった。われらが開高、ここにあり!!!



今日までまだ十回も本書を開いてはいないが、本を開けるたびに、まずはこれをまじまじと見つめてしまう。
『夏の闇』を初めて読んだのは学生時代だったと思う。まだこの作家への特別な思い入れなどなかった若い自分には、ただ中年男が女とぐずぐずぼやぼやしているぐらいの印象しか残らなかったのだが、最終幕に出てくるこの一節は‘独立排除的に’(笑)ぼんやり心に残っていたのだった。
週刊プレイボーイの名コーナー「風に訊け」で毎回機知に富み、軽妙なユーモアあふれる名回答で青少年を指南していた人が、こういう重厚な小説を書く人だったのだと初めて知った。
汚すのは嫌だし本書を読むのがなんだかもったいなくて(貧乏性…泣)、押し入れを探して昔読んだ『夏の闇』を引っぱり出してきた。裏見返しに400円の鉛筆書き。古本屋で買ったのだった。1971年の初版だった。



          



旧本を読んでいき、気に入った箇所だけを本書で読み直す、そういうペースで再読した。
直筆原稿を見てまず驚くのは、きっちり丁寧に書いてあることである。きちんとマス目に収められた文字は乱れず跳ねず、傾きもせず、流れない。漢字も崩さず略さず記されていて、几帳面であるとさえいえそうな書面である。
一枚目から最終四百八枚目まで、途中で飽いたり疲れたり何かで意識が乱れたという形跡がなく、同じ字体が列ねられていることからも、執筆開始直後から緊張は持続され最後まで集中が弛むことはなかったのではないかと想像する。机に座った段階ですでに作家の脳には作品となるべきすべての言葉が決意されていたのだろうか。書いたというより‘開高体’のフォントが一行ずつ印字されているようにも見えてくる。
自身を「一言半句を求めてさまよう野良犬」だと語っていた作家がイメージを文字に昇華変換したときの擦過熱はいまだ失われていない。作家の眼(まなこ)が投射する光が白い升目に灼けついていく様がありありと目に浮かぶ。ここにあるのは選びに選び、磨きに磨かれた言葉だけだ。これは彼が紙に刻んだ一つの生の証であり凝縮なのだ。
さらにここに記されなかった茫漠の闇、荒寥の原野、明滅する無数の断片や、ここに至るまでに霧散した何万もの言葉と長大な時間を思うと、慄然として気が遠くなる。



          



作家はなぜ戦火のヴェトナムに惹かれたのか。十年ぶりに再会し、たがいの孤独を分かち合うことができる‘孤哀子(クーアイツ)’の女に甘えて怠惰を貪りながら、奥底にくすぶる焦燥に常におびやかされている。怯えつつ、いつか衝動に突き上げられる予感を身震いして待ってもいる。絶望は、渇望でもあるのだ。
翻って、なぜ日本にいてはだめだったのか。日本で暮らす女ではだめだったのか。傷の深さをまじまじ凝視し、さらに傷口に自ら手を突っこんで深淵をまさぐらずにいられなかった、それほどまでに彼が求めたのは何だったのか。
釣りやチャプスイや弾よけのジッポなど、作家おなじみの蘊蓄が語られる箇所では、心なしか文字に懐かしい微笑の色があり、読んでいるこちらも一息つきながら作家との旅路を回想することができる。
いまの時代にこれだけの内省を文章化できる40代がいるだろうか。彼の早熟が異様なのか、1970年頃にはそれが普通だったのか、それとも現代のわれわれがただ幼稚なのか、わからない。人類を「大脳が退化した二足獣」と作家が書いて四十年。開高健に一基準を置いてしまえば、今、文学を口にする資格のある作家は数えるほどしかいないと思えてくる。



作家が生きていたなら、この直筆原稿の公開を許しただろうかと、チラリと考えないでもない。
ジョン・レノンの死後、雨後のタケノコのごとく乱発されたデモテイクや未発表音源の寄せ集めレコードは、やがて粗製乱造の公式海賊盤に堕した。今や生前のオリジナル作品よりも死後の編集盤の方が多いのではないか?研究者でもない一リスナーがクオリティを無視した制作現場の未完ドキュメントを所有する倒錯は現在もはびこっている。
しかし、それとこれとは違うのかもしれない。
たぶん、入稿原稿をこのようにそのまま書籍化できる作家は稀有だろう。幸いにして作家はほぼ完全原稿という形で遺してくれた。主人公の「私」=作家の、ほとんど内省、思索、述懐のみで成立する本作には、彼のささやき、呻き、叫びが赤裸々に記録されている。言葉の魔術師が何かをかなぐり捨てて血を流すように滴たらせた文字には魂が宿って目にする者の姿勢を糺す。この肉筆に真摯に向き合おうとするなら、おのずとこちら側も心を澄ませて作家の息づかいを感じねばならない。執筆の邪魔にならぬよう、注意しなければならない。なぜこれを読みたいのか、読まずにいられないのか、自分に問いながら頁を繰る作業はライブ感覚に満ち、読書に似た別の体験だった。

開高ファンなら誰もが喜んでいることだろう。「われらが世代の最良の精神」(ギンズバーグ)、開高殿下からの最後の贈り物。多謝の念を送れば、きっと作家も渋々にでも承諾してくれるのではないか。あらためて敬意を表したい。開高健よ、ありがとう!



          
               [『太陽』1996年5月号/特集・開高健より]