開高健 / 白いページ 、他エッセイ選集


開高健 / 白いページ (643P) / 光文社文庫・2009年 (100802-0825)】



・内容紹介
 「純潔無比の倨傲な大岩壁をしぼって液化したかのようである」新潟・銀山平の水を「飲む」。200人の部隊のうち17人しか生き残らなかったヴェトナム戦争最前線を回想し「弔む」。老釣師から鮎釣りの秘技を「伝授される」――。動詞系をタイトルに、あらゆる事象を多元的な視点で捉え、滾々と湧き溢れる言葉で表現していく。行動する作家が遺した珠玉のエッセイ集。


          


8月初めに開高健の文庫本をまとめ買いした。昨年出た光文社文庫のエッセイ選集『白いページ』『眼ある花々/開口一番』『ああ。二十五年』と中公文庫の『開高健の文学論』の四冊。
今年の夏読書として夏休みに集中して読んで八月のうちに全部読み終えるつもりだったのだが、甘かった。エッセイとはいえ、作家のことだから油断はできない。どこでどんな話に結びつくのか予測不能。随所に作家ならではの峻烈な言葉が飛び出す。もちろん創作よりは気楽に書いてあるのだが、そのリラックスが言語脳の回転を滑らかにするのか、小説作品以上に自由にペンを走らせていて‘これぞ開高健!’的金言警句のオンパレードなのである。
いつもは付箋紙を使うのだが、本の天がにぎやかでかえって大変なことになりそうである。こんなことはずいぶん久しぶりなのだが、赤鉛筆片手に印を付けたり線を引いたりしながら読むことにした。軽く読み流すなんてとてもできない。もったいない。(←やっぱ貧乏性?)



『白いページ』から読み始める。通勤カバンに入れて常時携行、職場で昼休みにも一篇は読むことにしていたから、この八月は開高の文を読まない日は一日もなかった。600ページ超の『白いページ』には今数えたら全63篇が収められていて、やっと先週読み終えたところだ。
昭和46年から52年まで六年に渡り『潮』に掲載された連載エッセイをまとめたこの本。各話の表題は「飲む」「食べる」「困る」「申上げる」など動詞で統一されている。分量も全話が約十ページ(原稿用紙15枚程度)でそろっている。
作家のことだから食道楽・酒場のうんちく・旅、それに釣りの話が多いのはいつものごとしだが、それだけに終わることはない。
たとえば巻頭の「飲む」。酒の話かと思えば、水の話である。スタインベックの掌篇で始めて東南アジアの水事情に触れ、最後に執筆のために数ヶ月籠もったという山奥の岩清水に持っていく。

これを水筒にうけて頭や額にふりかけ、頭と手を洗い、さてゆるゆると飲みにかかる。いまのいままでフキの葉のあいだに、小さな、淡い虹をかけていた水なのである。
 ピリピリひきしまり、鋭く輝き、磨きに磨かれ、一滴の暗い芯に澄明さがたたえられている。のどから腹へ急転直下、はらわたのすみずみまでしみこむ。脂肪の澱みや、蛋白の濁りが一瞬に全身から霧消し、一滴の光に化したような気がしてくる。

質素にして豊潤。無垢にして優雅。こんな文があっちにもこっちにもあるのだから、たまらない!



読み始めてしばらくして気づいたのだが、これは1970年代のエッセイ集である。1971年刊の『夏の闇』を書いた直後にこの連載が始まった。昭和45年に新潟の山中で数ヶ月過ごしたというのは、まさに『夏の闇』執筆のためだったのだ。
小説を書くとき、作家はいっさい外部との接触干渉を遠ざけると他の章で書いている。テレビも新聞も見ない。虫や魚や花の図鑑ばかり眺めているという。精神衛生にとてもいい。無邪気で純潔で、透明な背景を作ってくれるのだと書いてある。
『パニック』で芥川賞を受賞して十年、日本文学界の‘俊英’から四十代前半の若さにして文豪へと変貌を遂げる作家がここにいる。サルトルに会い、アウシュビッツを見てアイヒマン裁判を傍聴し、プラハの春を取材した。そしてベトナム戦争に従軍、200分の17となって生還した… 60年代後半の「叫びの年」を現場で目撃し体験してきた作家が、現在進行の世界を言葉にするために肉厚な表現を志向した時期なのだ。
小説家が連載エッセイを書くことを作家はこう位置づける。「絶えず何かを書いてペンを錆びつかせないこと。それは小説家の必修科目の一つである」



「遠望する」と題された章はこう始まる。

 ある作品の書きだしの一語が決定できなくて私はもう何ヶ月もあがいている。その一語を蒸溜することが目下の私の大仕事で、何をどうしていいのやら、見当がつかず、とどのつまり、寝たり起きたりしている。

そうしてごろごろしてばかりいる近況を伝えていて、話題はミュンヘン五輪で起きたパレスチナ過激派によるイスラエル選手団襲撃殺害事件に飛ぶ。1972年だな。『夏の闇』のあとだ。してみると、その「書きだしの一語」とは、おそらくあの… ― 「漂えど沈まず」、に違いない。そうか、始めの一行、あのたった六文字の名句をひねり出すのに巨匠は何ヶ月もかかったのか。困ったもんだな(笑)

作家の当時の状況を知って読むと、旅に出る、飲んで食って釣る、そんな道楽話の端々に表れる文学にこだわる意志の透徹、堅固な態度がその後の創作活動にどう結実したかがわかって、よりリアルに感じられてくる。
ルポルタージュを書くことと創作すること、どちらも「書く」ということでは同じだが、開高健の両輪でもあるフィクションとノンフィクションの境界線に関する考察は特に興味深かった。
近代日本人への、日本の言論文化への鋭い警告は現代社会でも百発百中。四十年前に書かれたとは思えないほどの精度である。エコとかCO2削減だなんて概念などまだ乏しかった時代に、‘釣り師’としてすでに環境破壊を憂えているあたりもさすがである。「愚にもつかない、べつにどうッてこともない清潔癖のために、われわれは知らず知らず、とほうもないことをやってのけているのではあるまいか」

ルポでもエッセイでも、時評でも人物論でも、開高健開高健である。何を書いても開高だとあらためて感嘆するのだが、さてこの文体を獲得するのにどんな自己鍛錬をしたのだろう。そういうことはいっさい書いてない。
練りに練った粘度の高い文体、反語また反語でイメージを増幅させるアフォリズム、けして私小説的安易に流れない小説作法…… 作家への興味は増すばかりである。


人間は人智と技巧のかぎりをつくして、自然にそむきつつ自然にもどっていく。豊満な腐敗、混沌たる醗酵、円熟の忍耐を通じて水へ、水へとめざしていく。そうでなければならないし、そうなるしかないのでもあり、無技巧が技巧の極みなのだと暗示されるようである。  ― 「もどる」より

続いて『文学論』と『眼ある花々』を現在読んでいる。一日一篇、開高健。長い夏になりそうだ。もちろん楽しみは長い方がいいに決まってる。