半藤一利 / 日本のいちばん長い夏

『日本のいちばん長い日』のデータを得ようとググったら、この映画記事がたくさんヒットした。


     


この映画のことは全然知らなかった。鳥越俊太郎田原総一郎島田雅彦林望先生、松平定知らが終戦時の国家要人に扮した文士劇スタイルのようで、キャスティングの妙というか、見所はそれだけのような気もする。観たいような、観たくないような…。静岡での上映予定は現在のところ、ない。

それにしても、なんとタイムリーなのだろう。まったく偶然に、ちょっと興味を持って読もうとした本が映画化されていて、最近公開されたばかりなのだ。
ベストセラーなんか全然読んでないのに、ただの読書体験に止まらないこういう偶然がけっこうあるから楽しい。



半藤一利 / 日本のいちばん長い夏 (181P) / 文春新書・2007年 (100924-0927)】



・内容紹介
 玉音放送は軍・将兵への「御言葉」だった!?日本人は終戦をどう受けとめたか。政治や軍部の中枢から前線の将兵や銃後の人々まで、30の視点が語る忘れてはいけないあの戦争。貴重な証言で埋め尽された「後世への贈り物」。当事者30人が昭和38年夏に一堂に会した、前代未聞の「座談昭和史」。司会は半藤一利(当時、33歳)。


          


1963年(昭和38年)に文春誌上に掲載された太平洋戦争を振り返る企画で催された座談会を再編・再録した本書。出席者は終戦時に政治や軍の中枢にいた者からアジア各地に散らばった前線の兵士、庶民まで28人。およそ5時間にわたり、それぞれの戦争体験と終戦が語られた。これを企画し司会を務めたのが、当時文集編集部員だった半藤氏だった。
昭和二十年の夏、彼らはどこで終戦を迎え、そのとき何を思ったかが語られる。



それぞれが貴重な証言なのだが、一方で、どこか噛み合わない感じもある。ポツダム宣言受託を実現しようとした国内の要人たちと、アジア各地に送られて明日をも知れぬ戦闘に明け暮れていた兵士たちの温度差。ホワイトカラーとブルーカラーとで分けてしまってはいけないのかもしれないが、指揮命令系統に属していた者とそれに従うしかなかった実行者とが同席する座談会。会議と指令が主業務の者と、銃声と爆音と悲鳴の地にいた者。戦争推進の中枢にいた者は生身の天皇に接する機会だって珍しくはなかったのに、もう片方はその天皇を現人神と崇めてはるか大洋を渡り、御真影を胸に南方のジャングルをあてどなく彷徨っていたのだ。
終戦決定に至る急転の内部事情はたしかに興味深い。しかし彼らが語っているのは一つの解釈の可能性であって、いかに戦争終結が難産だったかをうかがわせはするが、国家存亡に関わる決定がいかに不安定だったかも露呈していて、やっぱり情けない。その間にも外地の兵士も内地の国民も、それこそ「耐え難きを耐え」ていたのだから。
当然、兵士だった出席者たちの方が中枢にいた者たちよりも若く、元が付くとはいえ要職にあった者たちの前では緊張も遠慮もあったはずだ。経営者と営業・生産現場のずれはどこにでも当たり前にあるものだが(笑)「戦争体験」というテーマでくくったこの場でも現実認識の溝は深い。
雑誌の一特集なので全発言が余さず収められているわけではない。終戦までの政府決定を縦軸に、そのときそれぞれの現場ではどうだったかの証言が重ねられていくが、自然と要人の発言が紙上に多く編集されている。



それは国家運営にたずさわる人間の俯瞰した戦争観と、まさに自分の命がかかった戦場で見た個人的な戦争観との違いということになるのだろう。
軍・政府要人はある意味で冷静に、どこか他人事のように醒めた回顧をしている。彼らの胸中にあの戦争で死んでいった者、戦後戦犯として裁かれた者に対して自分は生き残ったことへの後ろめたさが少しでもあるかどうかは、ここでの発言からはうかがい知れない。
こういう一見、好企画のようで実は大雑把な力業でまとめる手法はいかにも文春らしい企画だという気もする。昭和38年当時、こうした企画記事は斬新だったのかもしれないし、各々の発言は全般的に当時の内幕暴露話に流れていくのだが、「宮城事件」の顛末や玉音放送の実現秘話は当時としては衝撃的だったのかもしれない。
出席者の中には大岡昇平もいた。なのに彼の発言は数えるほどしか採録されていない。そこに企画そのものは画期的であったけれど、出席者全員が必ずしも公平に自由にすべてを語り尽くしたのではない、もどかしい現場の空気を感じてしまった。

この九日の朝でした。わたしは総理に呼ばれましてね、行ったら「ソ連が参戦したが関東軍は大丈夫か」 「とても大丈夫じゃありません(笑)。昔は関東軍は優秀でしたが、南方へ兵力を持って行かれて、今はもぬけのカラです。新京、奉天まで二週間ともちません」
…(中略)… みんな南へ持って行かれたのをごまかすため、師団数だけは減らさないように現地召集をやったのです。無差別といっていいくらいの、単なる員数合わせで、鉄砲もない、カカシなんです。

これは上の映画予告編で鳥越さんが演じている池田純久氏(元関東軍参謀副長)の発言部分だが、大岡昇平だけでなく出席していた元兵士たちは、上官のこんな発言を目の前に聞かされてどんな気分だっただろう。



この企画をもとに二年後に半藤氏が書いたのが『日本のいちばん長い日』だった。そのタイトルはもともとはこの記事につけられていたものだった。

この座談会は東京オリンピックを翌年に控えて高度経済成長まっただ中の1963年、戦後十八年目に行われた。それだけの時間の経過を待たなければ明かされなかった真実もあるだろう。時効と判断して初めて公開されたこともあるだろう。そういう証言の数々があるのだが、これは純然たるノンフィクションと言えるだろうかと考えてみた。
もとより正確な当時の記録というものはほとんどない。あの戦争がどんな戦争だったかというと「全体像を把握して記録していたものが一人もいない戦争」だったというのが数少ない真実の一つなのにちがいない。公式発表の断片を列ねた年表があるだけなのだ。戦争が同時記録されたことがこれまでにあったかどうかは知らないし、戦争とはそういうものなのかもしれないが(そんなものなのだろうか?)。 それゆえ点在する生存者の記憶と証言をできるだけ多く一ヵ所に集めてみるという企画はけして無謀なものではなく、有意義で貴重なものだったとは思う。現在ではもう実現不可なのだから、という意味でも。
座談会の記録としてはノンフィクションと呼んでいいが、戦争の記録としてこれはノンフィクションとは言い切れないのではないか。(ときに曖昧で、意識的に変更を加えることも無意識のうちに書き換えられていることもある記憶というものはノンフィクションの範疇に入るだろうか?) 同じときを生きて同じ体験をしながら、語る機会を永遠に失われた者も多いのだ。歴史は絶対に生存者によってしか伝えられないという事実を重くかみしめるしかない。


この本の内容が四十七年後に映画化される。曖昧な領域を含むノンフィクションを、さらにフィクショナブルに再現しようとする。もしこの映画からなにかしらリアリティを感じとったとしても、そのリアリティが何に基づくものなのかには注意しなければならないのではないか。現場感覚に疎い国家要人をプロの俳優ではなく現代の‘文化人’に演じさせるというのは奇抜なアイデアに思える。だが、それによってますます稀薄になってしまう部分だって、きっとある。その薄っぺらさをリアルだと確信犯的にかん違いする現代の感覚が、自分は大嫌いだ。


なんだかまだ観てもいない映画の方に話が行ってしまったが、自分的には『日本のいちばん長い日』と重なる内容で、続けて読んだのは正解だった。
戦争観というよりも、その議論を通じて昭和の日本人論が見えてくるという点で『長い日』とは違う面白さがあった。