半藤一利 / 昭和史

戦争末期〜終戦のだいたいの流れが頭に入ったところで、一つさかのぼって戦前・戦中の昭和史にトライ。これは最高のテキストだった。



半藤一利 / 昭和史 1926-1945 (509P) / 平凡社・2004年 (100928-1002) 】



・内容紹介
 授業形式の語り下ろしで「わかりやすい通史」として絶賛を博した「昭和史」シリーズ戦前・戦中篇。日本人はなぜ戦争を繰り返したのか―。すべての大事件の前には必ず小事件が起こるもの。国民的熱狂の危険、抽象的観念論への傾倒など、本書に記された5つの教訓は、現在もなお生きている。毎日出版文化賞特別賞受賞。講演録「ノモンハン事件から学ぶもの」を増補。


     


数日前、「中国残留孤児の訪日調査が今年は行われない」という報道があった。ふだんならまったく気にもとめないないニュースなんだけど、本書を読んでいたせいで、これもあの戦争の禍根の一つなのだなと意識して見た。折からの尖閣諸島中国漁船衝突事件の騒動も、ちょうど満州事変のところを読んでいたので、どうしてそこまで?と思われる中国人の潜在的反日意識も少しはわかる気がした。
おそらく大多数のかつて受験生だった人たちがそうだと思うのだが、明治末期〜昭和前半の近代史はほとんどまともに授業で習ったおぼえがない。三学期の最後の数日に教科書を駆け足で読んで「これで本年度の歴史の授業は終わり」というのではなかったか。
満州事変」「国際連盟脱退」「二・二六事件」… 受験用に単語だけは記憶したこれらの事件は、全部、のちの戦争へとつながっていく流れの中で起こっていたのだった。頭の中には教科書どおりの歴史の区切りがあるので、アメリカの原爆投下で終わる戦争の始まりが中国(清朝、満蒙)だということを特別意識したことなはかった。
それぞれの事件は突発的に起こったのではない。一つ一つの事件の背景に何があって、どんな判断がなされたのか。どんな思想の潮流があったのか。断続的なものとしてでなく、戦争へと突き進んだ一連の流れとして追っていくと、とても興味深く読めるのだった。



読み始めてすぐ、これはわかりやすいと感じた。文章が平易だとか、解説が難解ではないということではなく、説明が丁寧なのだ。当時の文語・漢文調の詔勅は原文を引いたあとに現代語で説明がある。キーパーソンが出てくると(たとえば、永田鉄山)簡単な人物像とともに、その人が後のどの局面に登場するかも教えてくれるから、歴史上の役割も把握しやすい。松岡洋右など、立場を変えてたびたび重要局面に絡んでくる者も多い。
読んでいると授業を聞いているような気分になってくる。そう思って後書きを読むと、これは半藤氏が請われて若手編集者に行った昭和史講義の「語り下ろし」ということなのだった。



後の大戦争につながっていく事件がメインに語られているから、必ずしも教科書のように当時の文化や国民生活まで網羅しているのではない。あくまで近代日本史の中の、戦争を縦軸にした昭和史である。
新聞の論調や永井荷風の日記から当時の国民の‘気分’を断定的に語ってしまうあたりには疑問に感じる部分がないわけではない。『日本のいちばん長い日』でもそうだったけれど、日米開戦に至ることごとくの局面で必ず天皇の意向や反応が示されてもいて、中央寄りの‘半藤流・昭和史’という感じもする。
それでも、昭和の動乱期をこれだけ丁寧にまとめてあるのには読みながら何度も感心してしまった。



たとえば1931年「国連脱退」。たった四文字の記憶ですんでしまうところだけど、「なぜ」「どうして」日本は‘栄光ある孤立’を選択したのか、あるいは、そうせざるをえなかったのか、その結果と影響まで話してくれる。少し想像力を働かせれば、国際社会での孤立がどういう事態を招くか分かりそうなものなのに、軍部が権力を握って勢いを増していた日本には冷静な政治判断がまるっきり欠けていたのだった。
その後、ノモンハン事件と日独伊三国同盟締結以降はヨーロッパの大戦の行方も絡んで、世界情勢に疎いままに致命的な判断ミスを繰り返してアメリカとの対決になだれこむことになる。その経緯をひと言で言ってみれば「日本はかんちがいしていた」というのがそう的外れでもないように思われて、やっぱり情けなくなってくる。

陸軍の横暴と一言でかたづけてしまいがちなあの戦争。自分もそう思っていたのだけれど……
現代では誰もが自分たち日本人を「勤勉」で「礼節を重んじる」民族だとのんきな顔して言う。しかし、本当にそうであれば、あんなヘマをやらかすだろうか?
戦争に邁進したのを一部の軍人に押しつけようとするところにこそ、権力に弱く、時流に流されやすく、それでいて自分の責任は直視しようとしない日本人の悪しき性向があるのではないか? それは一部の青年将校が二・二六や宮城事件を決行したことより寧ろ、その行動を傍観し許したこと、またその事後処理の曖昧さにより顕著に表れているような気がする。
これまで自分は戦中と戦後で日本は生まれ変わったと思っていたのに、今では国土が焦土と化して体制は一新されても、実は精神の深いところではそれほど変わっていないのではないかと思い始めている。
あの戦争を振り返って見つめ直すことは、日本人の性質を知ることでもあるのだと、この頃つくづく感じている。優れた歴史書は優れた日本人論でもあるはずなのだ。



べつに歴史書を読んで歴史を覚えよう学ぼうと思っているわけではない。ただ、これまで無意識に目をそらしていた部分を見ることが出来るようになって、これから本選びの幅が広がるだろうし、歴史を考えつつ読書することで、本書で知った内容もより深まっていくはず。そういうことも楽しくて、本を読む。


〈戦後篇〉にはまだ手をつけていないが、こちらはおいおい読み進めていこう。
この二冊と同時に、こんな写真集まで買ってしまった!



半藤一利編 / 敗戦国ニッポンの記録 上巻・下巻 / アーカイブス出版 (2007年)】


・内容紹介
 ワシントンのアメリ国立公文書館(ナショナル・アーカイブス)で所蔵されているGHQ占領下(昭和20年から昭和27年)に撮影された敗戦直後の日本の貴重な写真を多数掲載。焦土と化した街並み、再生への出発点となった復員・引き揚げ、進駐軍と市井の人々とのふれあいなど、驚きとともに懐かしさに満ちたニッポンがいま、ここによみがえります。 昭和史研究の第一人者である半藤一利氏による編著。上、下巻。


     

惨憺たる敗戦ニッポンを想起すると、どうやってその廃墟から立ち上がり、世界史にも稀な経済大国として復興、平和国家建設ができたのか。ほとんど奇跡と思いたくなる。が、決して奇跡でも夢物語でもなく、それは現実であった。日本人はほんとうによく働き、頑張ったのである。この写真集にはそうしたわれら日本人の国家再建復興のための奮闘の原点がある。


他のが読めなくなるので半藤一利シリーズはここで中断。 次は…… これまで何度も挫折した「あの本」に再挑戦だ!こんどこそ!