小野正嗣 / 夜よりも大きい


『嘔吐』をけっこう集中して読んだあと、無性にふつうの小説が読みたくてたまらなくなった。チラリと立ち読みして大人の童話っぽいのかなと選んでみたのが、この薄い本だった。ところがこれが、どこかロカンタンの世迷い言を思い出させる一筋縄ではない語り口が延々と続く異形の代物で、頭は痛くなるわ目はちかちかしてくるわで大変だった(笑)
小野正嗣さんの作品を読むのは初めてだったが、たしか昨年『アデン・アラビア』の新訳を手がけたことで名前を覚えていた。1970年生まれというから、まだ四十歳。まったく仏文学者というのはどいつもこいつも……



小野正嗣 / 夜よりも大きい (208P) / リトルモア・2010年 (101014-1017) 】



・内容紹介
 大きな流れに運ばれる、人びとの声。圧倒的な密度でうねりくる、文学体験。すぐ隣には、夜よりも暗くて大きい脅威が、たしかに存在していた。女の子がぎゅっとつかんで放さないものは何か。あの遠くの列車の音は。フェンスに囲われたバラックで、弟妹が目にしたものは。崩れ落ちてくる世界全体を受けとめた、ちいさな者の姿を描き、災厄にくだかれた、生のかけらを掬う。著者のあらたな到達点。 Little More〈真夜中〉BOOKS 第3弾


          


なんの先入観もない初めて読む作家の本。そうと知らぬまま読み始めたのだが、数えてみると十の短篇が収められた作品集だった。
まず、その特異な文体・文法にとまどった。状況説明はまったくされず、語っているのが誰なのかわからないままに、何かを語ってはすぐにそれを取り消す異様に長いセンテンスが列なっている。どこの国の話なのか、「私たち」というのが誰と誰なのか、そんなことも特定不可能なままでまったく改行のないページが何ページも続いていたりする。
シュールな映画を途中入場して見始めてしまったような感覚。読み始めたときにはすでに何事か事態は進行していて、きっかけも状況もつかめないまま終わりは唐突に、断ち切られるようにして訪れる。少年は山をめざして歩き出したはずなのに、海辺の回想シーンで終わってしまう。こちらはぽかんと口を開けたままだ。目的に向かって進まず結末ではない着地点で途切れる各話は、不気味、不安、不可解、不審、不穏…「不」のオンパレードだ。



十篇各話の表題は記されておらず白紙の一ページで区切られているだけなのだが(したがって目次はない。巻末の初出一覧で初めてタイトルと発表年を知ることができる)、続けて読んでいくとおぼろげに共通したイメージの断片は浮かんでくる。
何か、仕切りがある。境界線があって、向こうとこちらとで分断されている。どちらかが包囲され隔離されているようだ。取り残されたのか追いつめられて閉じこめられたのか。保護されているのか監視されているのか。見守られているのか、それとも見捨てられて抹殺されようとしているのか。
具体的な迫害や抑圧の描写はほとんどないから語り手がどちら側に属しているのかもわかりづらい。しかし、ページの端々から聞こえてくるのは泣き声と悲鳴ではないか。
書かれているのは不確かなことばかりなのに、ページの向こうに隠れているか細い「助けて」の声が ―それも、衰弱した子供の声だ― 聞こえてくると、本を閉じられなくなっていく。雑音を排除して耳を澄まして読まなければならなかった。



森。闇の奥に潜む者。捨てられ傷ついた子供のすすり泣き。ラジオの雑音。あやふやな、しかし消し去ることのできない記憶。母の乳房に吸いつく赤ちゃん。これらのイメージは次の作品に引き継がれて、全体を覆う背景の暗い影がやっと、かろうじて想像できる。
それが著者の意図したことかどうかはわからないが、発表された年も媒体もばらばらなのに、ここに並べられた順序で読んでいくと、ひとつのまとまりかけた世界の外郭の一片一片のようにも思えてくる。いや、剥がれ落ちた残骸の欠片に記されていた消えかけの記憶のようにか。
いずれにしろ、イメージは漠としているのに妙に生々しい実感がかすかに残って、それが何だったのか気になってしかたがない。



全篇通しても固有名詞は数えるほどしか出てこない。「トヨタニッサンの四駆」と「ムク」という少年、それと同名の人形ぐらいだ。
唯一その〈ムク〉という作品だけが、形式的には一般的な小説に近い作品だった。伝染病が蔓延する城壁の町をさまよう少年ムクが探していたものとは… この作品の前数篇には続けて「腹の膨らんだ女」と「授乳する母親」が登場していて、彼女が痛ましい境遇にあることが仄めかされていた。しかしこの作品集では、それがムクの母親と同一人物かどうかは断定できないし、「お母さん」という言葉さえ本当に母なのか、そう呼ばされているだけなのかは判然としないのだ。

『夜よりも大きい』というフレーズは第一話と最後の作品中に使われている。初めの方を引いておく。

子供たちには理解できなくてもわかっている。昼のあいだは忘れることができたものがやって来るのが。それが来る、と思った瞬間、体がかたくこわばり、息が止まる。真空が生じる。すべてが吸い込まれ、すべてが消える。その一瞬、現れる。日の光を避けるように子供たちの奥に潜んでいた何かが。 ……(中略)…… 笑顔や泣き顔を作る口や目のまわりのしわに押し戻されていた何かが。それが夜よりも暗くて大きいものだなんて、子供たちにはわからなかっただろう。それが子供たちに追いつく。泣いたって無駄だ。


段組が変えられていたり紙の種類が違っていたり、白紙でなく黒いページが挿まれていたりと造りも凝っている。その意図まではとても自分にはわかりかねたけれども、意匠にまで込められた著者のこだわりは本の薄さを忘れさせて凝縮の重みを覚える。
この作品集では何一つはっきりしたことは書かれていない。逆に言えば、すべては曖昧に書かれている。曖昧にしか書けないのかもしれない。直視を避けた視線。説明の拒否はおぞましい真実を思い出したくないからなのか。名前を奪われた者たちはそれでも消しがたい記憶を懸命にたぐり寄せようとする。暗喩を重ねることによってしか語れない世界。いや、暗喩によって世界が明らかになるのだとしたら。異国の、昔の寓話のようにも見えるのだが、現代の薄っぺらな表層をはぎとってしまえば、ここにある荒涼の風景がむき出しになるのではないか。そんな怖ろしさにふと背筋が寒くなる。

想像力だけで構築された世界観を読むには想像力で応じるしかないだろう。よくわからなくても、自分はこういう作品が嫌いではない。