W.トレヴァー / アイルランド・ストーリーズ


アイルランドの本を読むということで、お伴というかガイドとして読んでいたのが、押し入れのMy段ボール図書館から発掘してきた


司馬遼太郎 / 愛蘭土紀行Ⅰ・Ⅱ(街道をゆく 30、31 ) / 朝日文芸文庫・1993年 】


          


昔読んだときには、さすが司馬遼太郎と思ったものだが、今回あらためて読み返してみると、純然たる紀行文と呼べる内容ではなくてがっかりした。
ロンドン−リヴァプール−ダブリン−ゴールウェイ、そしてアラン島へと作家は旅するのだが、旅先で会うのはことごとく現地在住の大学教授や研究者、大使館員とかの日本人ばかり。彼ら在留邦人の目を通したアイルランドに、お決まりのオスカー・ワイルド、スウィフト、イェーツ、ジョイスらの引用が足される。アイルランドアメリカ人への言及も多くて、ジョン・フォードの映画や『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラからアイリッシュの典型を語ろうとするのだが、現地の、素顔のアイルランド人の姿はほとんど伝わってこない。作家が未知の国で新しい発見に出会うというよりは、日本語文献(それも権威筋の)に出てくるアイルランドを確認しているだけにすぎない。にわか仕込みの知識でもって語っているのは、あくまで日本人の書斎における愛蘭土観で(司馬史観?)、これなら素人の旅行記の方がはるかに新鮮で生き生きしたものを提供してくれると思う。

とはいえ、かの国の歴史と風土をかいつまんで復習するには適当で、忘れていたことを思い出させてもくれたのだった。



【 ウィリアム・トレヴァー / アイルランド・ストーリーズ (372P) / 国書刊行会・2010年(101105−1110) 】
Selected Short Stories Vol.2 by Willam Trevor
訳:栩木伸明



・内容紹介
<現代で最も優れた短篇作家>ウィリアム・トレヴァー、『聖母の贈り物』につづくベスト・コレクション第2弾! 稀代のストーリーテラーが優しく、そして残酷にえぐりとる島国を生きる人々の人生模様……O・ヘンリー賞受賞作を含む全12篇。


          



本書には『聖母の贈り物』同様に十二の短篇が収められている。〈マティルダイングランド〉のような凝った大作はなく、全話がそれぞれ30ページ前後の長さでそろっていることもあって、全体の統一感はこちらの方が高い。
やはり登場人物は壮年〜老年世代が多いのだが、彼らの現在と平行して過去の記憶も同時に語られていく。一つの作中に複数のストーリーを展開するのがこの作家は得意で、恋愛模様を描く〈トラモアへ新婚旅行〉〈パラダイスラウンジ〉でもカップルの男女それぞれの事情や思惑がつぶさに語られていて、その二人の関係がどう現実に帰結するのか気になって頁を繰る手を止められない。
どの作品も物語性豊かなのだが、とりわけその手際が鮮やかだったのが最後の〈聖人たち〉。イタリアに移住してのんびりと余生を送っている老人が数十年ぶりにアイルランドに帰国して、幼少時に彼の屋敷でメイドを務めていた女性の死に立ち会う。今際のときに初めて知らされる女の半生は哀しみに満ちたもののはずなのに、年月も男の推測も超越した奇跡を感じさせて終わる。プロテスタントカトリックの対比も絶妙で、この作品集の最後を飾るにふさわしい逸品だった。



同じ国の同じ民族。なのにアイルランドでは宗派のちがいが決定的に生き方を分ける。育てられ方も通う学校も違う。つきあう仲間も結婚相手もおのずと決まってくる。カトリックプロテスタントのコミュニティが共存する街には二つのサッカークラブがあって、そのダービー対決はまさに代理戦争の様相を呈するということが『英国のダービーマッチ』に詳しく書かれていたけれど、やっぱり無宗教の自分には完全には理解できない世界だ。
彼らは子供たちに、それをどう説明しどのように教えるのだろう。宗教の血というものは親から子に遺伝するものなのだろうか? いずれにせよ子供たちはその違いを生活の中で実感しながら成長し、成人すればまた彼らの子供に自分の親がそうしたように話すのだろう。代々語り継がれてきたケルト神話と英雄譚、それに彼ら自身の現実の体験談。その伝承にどれだけの修辞がつくされてきたかを想像してみれば、かの国が言葉の国であるのはなんとなくだがわかるような気がする。遠い国の無関係な第三者として思い切って言ってしまえば、実は彼らを分けているのは受け継いだ言葉の違いだけではないのだろうか。
(幸いといっていいものかどうか、基本的に日本人にはそんな言語感覚は必要とされない。むしろ、なんとか差別化を図ろうとして、いびつな人間関係を形成しているばかりに思える)


「あいつらは、俺たちが使った食器を下げた後、二度洗う。皿もカップもグラスもだ。俺はあるときコインランドリーで、ちょうど洗濯機を使い終えたところだったんで、やって来た女に『お次どうぞ』って言ったことがある。俺がそのひとことを言い終わらないうちに、女は『いえ、けっこうよ』って言いやがった」


幼いときに両親を失った〈アトラクタ〉という女教師の物語には、わざわざ彼女に両親の悲惨な死の真実を話してカトリックへの憎悪をかき立てようとする強硬なプロテスタントの男が登場する。教員になったアトラクタは教室で生徒たちに自分の生い立ちとそれ以来続いている報復の連鎖を語って聞かせようとする。ここでも主人公を襲った悲劇と現実の悲惨な事件が並列して語られている。
カトリックプロテスタントの断絶を、ウィリアム・トレヴァーは取り除こうとも融和させようともしない。そこにフィクションの甘さはみじんもない。しかし、ただカトリックだから、プロテスタントなのだからと彼らを固定観念で縛って人物を定型化することもしない。頑なな心情を以てしても震えたり揺さぶられる状況に彼らを遭遇させて、必ず個人の内部に小さな反応を起こすのだ。その微動に途惑う様をすくい上げ、それが解決の糸口であるのか、さらなる深い混沌に迷うことになるのかはわからないのだけれど、不思議とその先にあるのは絶望ではないと予感させて物語を閉じる。

久しぶりに帰省する娘が連れてきた恋人が革命組織に関わる男だったら(〈秋の日射し〉。ダブリンで暮らしていればそんなことを気にしなくとも生きていけるのにロンドンに出稼ぎに行った若者がアイルランド人ゆえの差別を受け、知らずうちに反英闘争組織の活動に組み込まれてしまう(〈哀悼〉)。
民族運動の対立が続いていた当時、実際に身の回りにそんな出来事は珍しくはなかったのだろうと思うと背筋が寒くなるのだが、トレヴァーは紛争の当事者を直接描くのではなく、何らかの形で巻きこまれ(無関心ではいられないのだ)、暗い影を絶えず感じつつ日々を過ごす人々の内面をのぞく。頻発したIRAの爆弾テロや1972年「血の日曜日事件」(Bloody Sunday……今年初めて英政府が公式に謝罪した)がいかに彼らの心に深い傷を負わせたかがストレートに伝わってきた。



そうした宗教が政治イデオロギー化した社会背景があるのだが、作品に描かれるのは、あくまで主人公の個人生活の分岐点である。
親が経営する自動車修理工場で働く若者が町外れの謎めいた女に惹かれていく〈女洋裁師の子供〉。金目当てに男を欺して生きてきた初老の女が初めて別の人生のあり方に気づきそうになる〈見込み薄〉。農場のやりくりのために親が金を借りた商人の屋敷で働くことになった末娘の苦悩を描く〈キャスリーンの牧草地〉。田舎で音楽の才能があると持ち上げられながら何故か婦人洋品のセールスをしている男の〈音楽〉。
さて彼らがどうなったのかについてはほのめかす程度ではっきりとは書かれていないのだが、例によって最後の一頁にウィットに富むスパイスの利いた文章が用意されていて、人生模様の皮肉をくっきりと映し出す。対立する相手があって、それを完全否定してしまえば自分たちの存在理由もおぼつかなくなる。そんな二律背反性がさりげなく各話に忍ばせてあって、心の振り子が行きつ戻りつする様子が一番の読みどころになっている。

カトリックがいるからプロテスタントがいる。プロテスタントがいるからカトリックは自らの存在を主張する。そして、英国があるからアイルランドアイルランドであろうとする。日本人なら沈黙のまま通してしまうそれを全部、言葉でやってきたのがアイルランド人で、ほとんどの作品に出てくる教会とパブは彼らの言語能力を磨く道場のようなものなのかもしれない。




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べつに無理してアイリッシュ・ロックをリンクさせようとは思っていなかったけど、「血の日曜日事件」やマイケル・コリンズのことが作中に出てきたので…… ひさしぶりにU2を!


          


1985年のライブエイド。ディランとキースの‘風に吹かれて’も良かったけど、女王陛下のスタジアム・聖地ウェンブリーで‘サンデー・ブラッデー・サンデー’をぶちかました若き日のU2も鮮明に覚えている。…と思っていたけど、ボノが着てるのって、学ラン???
政治的な発言とこの曲によってボノはIRAブラックリストに載せられ命を狙われることになったが、同時に世界の目をアイルランドに向けさせることにもなった。やがて彼らは、IRAなんていう田舎のちっぽけな暴力組織がおいそれと手を出せない存在へとなっていく。U2の登場と世界的な成功が出口の見えなかったアイルランドの停戦と和平への道に果たした役割は小さくないと思う。


それと、もう一曲。歌姫シニード・オコナーがチーフタンズと共演したこの曲。


          


‘Foggy Dew’はたしか英国からの独立戦争につながった「イースター蜂起」のことを歌ったフォークソングだったと思う。