小林正典 / 英国太平記


アイルランドの次はスコットランドだ、と思ったわけではないが、昨年買ったものの読むタイミングを逸して忘れかけていた本書を開くことにした。

けっこうなボリュームがあるし、早川から出ているとはいえ著者は本職の作家さんではない。これどうなんだ?と始めはあまり気が進まなかったのだが、………これが意外に面白かった!



【 小林正典 / 英国太平記 −セントアンドリューズの歌− (437P) / 早川書房・2009年(101113−1117)】


・内容紹介

 十三世紀末〜十四世紀初頭、中世ヨーロッパ。日本が『太平記』の語る南北朝の動乱期を迎えた頃、英国でも三十年にわたる苛烈な戦いの日々がつづいていた。ブリテン島統一を成し遂げフランス征服をも目論むイングランドエドワード。彼に果敢に戦いを挑むスコットランド王ロバート・ブルース。対照的な二人の王の生涯を縦糸に据え、横糸に両国間の戦場での数々の死闘、フランス等を巻き込んだ国際政治の権謀術数、苛酷な時代を懸命に生き抜いた人々などを克明に描いた歴史物語である。本邦初、英国史に真っ向から挑んだ快作!



          



小説としても歴史書としてもどちらにしても中途半端な感じ。だけど、だから気楽に読めたということもある。作家や歴史家が専門家ぶって大上段から持論を展開するインテリ臭もない。良い意味で、無関係な人間が異国の英雄伝を好き勝手に書いているおおらかさを認めれば、文章が拙いことも物語性に乏しいこともさほど気にしないで読むことができた。
歴史上の人物だからといってわざわざセリフを「おぬし〜」みたいな時代調にする必要はないのにとは思う。「飛んで火にいる夏の虫」なんて英国王は言わないと思うのだが(笑)、おかげで日本の戦国時代小説を読んでいるような気分にもなってきて、強権を揮うエドワード王が織田信長みたいに見えてくる。「よくさえずるわ」なんて、たぶん著者も日本の豪傑武将像を思い浮かべていたにちがいない。(スコットランド目線なのでエドワードは暴虐邪知な専制君主として描かれているが、イングランドでは賢王として人気が高い)
そういうミスマッチ感も含めて、騎士道精神などそっちのけな和風スコットランド史なのだが、当然英国らしい話は満載なので、英国好きにはその部分だけでも嬉しい。



大枠の構成は押し寄せる強大なイングランドの軍勢に脆弱なスコットランド軍がどう対抗したかという点に尽きる。
まだ火器のない時代なので、戦となれば弓と剣と槍で闘う。敵将を捕らえれば残忍な方法で辱めて処刑し、首を晒して見せしめにするのは洋の東西を問わず同じ。
中盤以降はイングランド軍が国境に終結して侵攻、スコットランド勢がゲリラ戦で迎え撃つという展開が繰り返される。いくつもの戦いを通した独立戦争の経過に終始して物語は平板。
スコットランド貴族でありながらイングランドにも代々領地を持っていた主人公ロバート・ブルースは、ときにイングランド王に仕えてスコットランド征伐軍を率いもする。その彼が打倒イングランドの兵を挙げるのだが、人物造型が浅いため権力志向の風見鶏に見えて英雄の威厳には乏しい。
敗走してひとり山中をさまよい、憔悴しきって洞窟に逃げこんだ彼が闘いをあきらめようとする終盤の一場面。蜘蛛が岩間に糸を渡して巣づくりする様子をじっと見つめながら再蜂起を決意するのだが、逆境から逆襲に転じるここがハイライトと思われるのに全然ドラマチックではなくて、ちっとも盛り上がらないのは著者の力量か。



おそらくスコットランド各地には七百年前のこの独立戦争を偲ぶ遺跡や逸話が各地に現存していて、今でもイングランドとの関わりあいの中でことあるごとに語られているのだろう。ラグビーやサッカーの‘バトル・オブ・ブリテン’では、必ず両者の歴史的トピックが掘り返されて因縁絡みの意義づけがなされる。
「伝統の国」英国を支えているのは歴史と物語を好む国民性であるのは、翻って日本を見てみればよくわかることで、第二次大戦以前の日本はほとんど時代劇でありフィクションとしてしか扱われない。ときに同じ島国国家として類似性が指摘される日英両国だけど、独立戦争の経験の有無は決定的な違いなのだと思う。
イングランドスコットランドウェールズ、そしてアイルランドの人々にとって、歴史を語ることはアイデンティティの確認に他ならない。何百年もそれを繰り返してきたことが彼らの豊かに物語る才能を磨いてきたのではないだろうか。なんというか、憎悪とか怨嗟とかの民族感情はひとまず横に置いておいて歴史を物語として楽しむ‘物語力’というか…



本書ではイングランド人とスコットランド人の民族性や文化慣習の違いにはほとんど触れていないので、せっかくの好素材なのにただA国とB国の対立の年表に肉付けしただけに感じられるのが残念。スコットランドといえば‘Scotland the Brave’。もちろん彼らが勇敢であったのは対イングランドにおいてなのだが、もう少し彼らの心情に迫れなかったものか。
著者はUKニッサンの社員として英国滞在中に原書で中世英国史を読んで、本にする構想を練っていたという。退職後、満を持して執筆に専念、数年を要して本書を書き上げた。
作品としての完成度はイマイチだとしても、動機の勢いとエネルギーは感じられた。どうせなら1707年のグレートブリテン島統一まで続きのスコットランド史も書いてしまえばと思うのだが、やはり日本人には荷が重いだろうなとも思うのだった。

ちょうどウィリアム王子が来年結婚するという報道が伝わってきたが、お相手はセント・アンドリューズ大学で同窓だった女性とのこと。これはイングランド人にもスコットランド人にもおめでたい話なのはまちがいないわけで、彼の国にまた一つ新たに生きた歴史が加わるのだ。ゴシップも含めてかまびすしいロイヤルウェディング報道がこれから続くと思うが、それも彼らの伝統の一部であり、才能の一端なのだ。