B.フラバル / わたしは英国王に給仕した


【 ボフミル・フラバル / わたしは英国王に給仕した (261P) / 河出書房新社池澤夏樹=個人編集 世界文学全集第3集)・2010年(101118−1125) 】
Bohumil Hrabal 1971
訳:阿部 賢一



・内容紹介
 いつか百万長者になることを夢見て、ホテルの給仕見習いとなったチェコの貧しい少年。支配人にまず言われたことは、「おまえはここで何も見ないし、何も聞かない。しかし同時に、すべてを見て、すべてに耳を傾けなければならない」。富豪たちが集う高級ホテルを転々としつつ、着々と野心を実現させていく男の波瀾の人生 ― 中欧を代表する作家が18日間で一気に書き上げたという、エロティックでユーモラス、シュールでグロテスク、ほとんどほら話のような奇想天外なエピソード満載の大傑作。映画『英国給仕人に乾杯!』原作。


          



本文は240ページとそれほどの枚数ではないのに、改行の少ない一人語りの文章がひたすら続いて、本の物理的な厚さをはるかに超えるボリュームがある。ページを繰って次の見開き二頁にもまた、右上端から左下端までの長方形にぎっしり文字が埋まっているのを見て、ちょっとくらくらして、へこたれそうになる。一度目をそらすと、続きを探してすぐに元の箇所に復帰できない。集中して読んでいても、さっきから十ページも進んでいない。そんな調子でリズムをつかむのにかなり手こずった。


各章とも「これからする話を聞いてほしいんだ」で始まり、「満足してくれたかい? 今日はこのあたりでおしまいだよ」で終わる五話で構成される。
「黄金の都プラハ」ホテルで給仕見習いとして働きはじめた主人公ヤン・ジーチェは、高級ホテルを転職しながら一人前のホテルマンになり、ついには給仕長まで昇格する。
その前半は、彼が勤めるホテルにやって来た個性的な客たちの突飛なエピソードで埋めつくされている。「そして、信じられないようなことが現実に起こった」。
愛人とおしのびでやって来て、その夜限りの大乱行をくり広げる大統領。「こんな不味いもんは食えん」といちいち料理に難癖をつけながら次々と皿を平らげ、高級ワインとコニャックのボトルを空けていく将軍。自著を自室から廊下、階段にまで一冊ずつ並べる詩人。稼いだ大金をカーペットに敷きつめ、窓から小銭をばらまくセールスマン。
主人公は彼らに接客しながら、この世を動かしているのが何なのかを確信し、自分も彼らのように生きるのを夢想するようになる。

この話を聞いているうちに、給仕の試験を受けるようになったら、わたしもこの会社で新しい燕尾服を作ろうという気を駆り立てられた。わたしも、そして世界で唯一と思われるこの会社の天井で、わたしの胴体模型も上昇していくように、と。こういうようなことは、チェコの人でなければ考えそうもないようなことだったからだ……


学もなく貧しい出自の若者がのぞき見る権力者や金持ち連中の退廃的なご乱行は、彼に片寄った大人の世界の強烈なイメージを植えつける。一人称の「わたし」の回想なので、彼の経験が一般市民的な生活感からはかけはなれていることには気づかない。豪華ホテルの従業員とはいえ、社会から隔絶した空間の、異形・畸形の住人なのだ。
しかし、著者は権力者や富裕層の豪遊ぶりを諧謔的に揶揄していても、その筆致に批判的な感じがないのはどうしてだろう。愛人と夜の庭園を駆け回る大統領の姿は子供っぽくて愛らしくさえ映り、偏屈で威張った将軍が酔ったあげくにグラスを標的に射撃を始めても、どこか寒々しい孤独を感じさせて、その傲慢ぶりをただ憎めないのだった。

「わたしは英国王に給仕した」というのはジーチェが尊敬する上司の給仕長の口癖なのだが、そこには王には王の、大統領には大統領の、権力者の権威と威厳がまだ存在していたことをうかがわせる。
やがてジーチェの勤めるホテルにハイレ・セラシエがやって来る。彼はそこで機敏にも皇帝に給仕する機会をつかみ、「わたしはエチオピア皇帝に給仕しました」という彼自慢のセリフを手に入れるのだ。それは給仕人として最大の栄誉であり勲章なのだった。



そうして非公式の限定的な経験のみを重ねて大人になった彼に、激変が訪れる後半。ドイツとソ連の間にある小国の運命は、一個人のささやかな成功など丸々と飲みこんでしまうのだが「エチオピア皇帝に給仕した」彼の運命も一筋縄なものではないのだった。
ナチスの台頭下でドイツ人女性と交際するようになり、彼はナチの施設で働くようになる(アーリア・ゲルマンの純血種交配を推進する施設 ― 皆川博子『死の泉』を思い出した)。ここで彼にはチェコ人でありながら外から(ドイツ側から)蹂躙される祖国を見る役割が与えられるのだが、その目はドイツ系チェコ人に対する迫害も等しく映す。
もちろん彼は計算高くドイツ人と結婚することが得策だと考えていたわけではない。純粋にその女を愛し、愛されて結ばれたのだ。しかし、そのことでドイツ人からも同朋からも白い目で見られることになる。
それでも念願のホテル・オーナーとなって経営が軌道に乗り出した矢先、今度は大戦後の共産主義体制移行によってホテルは強制的に閉鎖に追いこまれる。
ブルジョアは財産を没収され拘束される。ところが成金の彼には逮捕状が来ない。そこで彼はみずから出頭して自分が逮捕されるべき富裕者であるのを主張して、望みどおり財界の有力者としての扱いを得るのだった。

女はまたまずい発音をし、勉強したくない、もう知っているといわんばかりに拗ねているようだった。そしてわざと間違えて、教授が「愚かで、悪意のある、罪深い人間の子孫め」と優しく罵るように仕向けているようだった。扉を閉めると、教授はわたしに向かって「どうもな!」と声をかけた。わたしは扉の側柱から頭を出して、「わたしはエチオピア皇帝に給仕しましたから…」と言って、掌で青い懸章に触れた。


放置されたままのホテルは荒れ果てていて、解放されてももはや彼には何も残っていなかった。勤労奉仕を命じられた彼は山奥の道路工夫としてひっそりと暮らすようになる。
その山中で出会うフランス人教授とコールガール上がりの女とのエピソードが良かった。この最終話は雪の降りしきる山小屋で家畜と暮らす寓話的な展開で、前半とはまた違う魅力にあふれた章だった。主人公がどうしてこんな長話を始める気になったのかも語られていて、物語の円環がきちっと閉じられる。滔々とまくしたてて、過剰なまでのめくるめくイメージを吐き出し続けた主人公が皇帝の懸章のついた燕尾服を身につける最後の場面も実に見事で、「完璧!」と思わせられた。
酒場の与太話にしては高貴だが、大人の寓話としては愚かしすぎる。無垢な権力志向と出世欲の行き着いた先が大雪に閉じこめられそうな粗末な山小屋なのだとしても、その皮肉を笑えないどころかむしろ清々しくさえ感じさせて、この魔力的な語りは終えられる。皇帝に給仕した彼が次に給仕するのは誰なのかというささやかな疑問を残して。


これがいったいどんなふうに映画化されたのかも気になるところだけど、まずはこの原作を読んで良かった。もう少し、始めから集中力を持って読めていれば、もっと楽しめたはずと思う。